1977 (38TH) BRM P201B L.PERKINS

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BRM 最後の決勝走行
ラリー・パーキンス BRM P201B

1977年前年度1戦のみで活動休止した
BRMがR2ブラジルGPより復活参戦
ドライバーは富士スピードウェイで開催の
1976年F1グランプリ インジャパンで
ブラバムより出場した
ラリー・パーキンス(オーストリア)

パーキンスはR2ブラジルGP
R3南アフリカGPと連続で予選22位で通過
ブラジルはリタイア 南アフリカGPは15位完走

パーキンスは2戦のみでチーム離脱
サーティスで3戦限り出場

BRMはその後コニー・アンダーソン
ガイ・エドワーズ/テディー・ピレットが
参戦するもすべて予選落ち

1951年と1956年~参戦し
1962年にはグラハム・ヒルで
ワールドチャンピオンを獲得した名門BRM
ブリティッシュ・レーシング・モータスは
のべ23年でF1から姿を消す事となった

モデルはSPARK
R3南アフリカGP 予選22位→決勝15位
チームBRMの最後520回目の決勝
また最後260回目の完走となった

この年は1895年スイス生まれで
1905年~イギリスブランドとなった
高級時計【Rotary Watches】が
メインスポンサーとなったが
チームの資金難を救うことは出来なかった

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