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ラッツ&スター『ソウル・バケイション』
【2024年12月14日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
12月は1982年にDate fmが開局したメモリアルな月という事で“Fantastic 80's”と題して、80年代初期のJ-POPをお送りしています。今回は、鈴木雅之率いるラッツ&スターのアルバム『ソウル・バケイション』をお届けします。
“ラブソングの王様”マーチンこと鈴木雅之は、1956年9月22日東京都大田区に生まれました。実家は町工場で、姉が聴いていたラジオから流れるポップスやR&Bに影響を受けました。幼少の頃は、海苔漁師だった祖父の船で、のり巻きをマイク代わりに歌っていたそうです。
中学に入るとフォーク・ギターで歌い始め、岡林信康やガロのコピーをしていました。中学2年で音楽室を借りて開催したコンサートが、パフォーマーとしての原点。その頃ラジオで聴いた、つのだ☆ひろ の「メリー・ジェーン」に衝撃を受け、そのルーツを求めて洋楽を聴き漁り、レコード店巡りをしていました。
高校時代はローリング・ストーンズやグランド・ファンク・レイルロードなど、ブルージーなロックをカヴァー。つのだ☆ひろの影響でドラム&ヴォーカルを担当しました。一方でディスコに出入りするようになると、チーク・タイムで「メリー・ジェーン」に再会、バラードの魅力に取りつかれつつ、ソウルやファンク、R&Bを吸収していきます。
1975年に同級生の田代まさし、中学時代の同級生佐藤善雄、久保木博之らとシャネルズを結成。当時キャロルのコピー・バンドが横行する中で、他と違ったことがしたいと、映画「ウッドストック」で見たバンドSha Na Naの影響で、ドゥーワップやR&Bを演奏していました。その頃TV出演も経験し、自信満々で出場したバンド・コンテスト『EastWest'77』では、決勝まで進出しますが惜しくも優勝を逃してしまいます。
しかし父親に励まされて一念発起、ステージでのインパクトを求めて“黒塗り”スタイルを確立。再び挑んだ『EastWest』のステージを見ていたEPICソニー創設スタッフから声がかかり、定期ライヴで腕を磨いた後、シャネルズは1980年「ランナウェイ」でメジャー・デビューを果たします。これがいきなりオリコンチャート1位となると、日本でドゥ・ワップ・ブームを巻き起こしました。
飛ぶ鳥をも落とす勢いのシャネルズでしたが、メンバーが問題を起こし一旦活動休止。83年にグループ名をラッツ&スターに改め、デビュー曲「め組のひと」は80万枚を売り上げました。そしてこの年、アマチュア時代から親交があり敬愛する大瀧詠一をプロデューサーに迎え、アンディー・ウォーホルがジャケット・デザインを手掛けた『ソウル・バケイション』をリリースしました。
85年以降はグループとしての活動は少なくなり、86年に鈴木雅之はソロ・デビュー。87年に姉の鈴木聖美とリリースしたデュエット曲「ロンリーチャップリン」が大ヒット。再集結した96年以降は、ラッツ&スターとしてのリリースはありませんが、ソロ・アーティスト鈴木雅之は、今でも“ラブソングの王様”として君臨し続けています。
ラッツ&スターのアルバム『ソウル・バケイション』
SIDE A
「We are RATS & STAR」
「楽しき街角」
「今夜はフィジカル」
「裏切りの都会(まち)」
「One Dream Night」
「星空のサーカス」
SIDE B
「Tシャツに口紅」
「真夜中のダイヤモンド」
「女って・・・」
「月へはせる想い」
「Miss You」
ラッツ&スターのアルバム『ソウル・バケイション』いかがでしょうか?
ちなみに、シャネルズが惜しくも優勝を逃した77年のコンテスト『EastWest'77』には、サザンオールスターズやカシオペアも出演、残念ながら両者とも優勝は逃しています。
https://www.martin.jp/
★鈴木雅之 オフィシャルサイト