16世紀ー17世紀 日本 侍と大砲(大筒) セット1 REDBOX

0

16世紀~17世紀の日本の和製大砲(大筒)をアイテム化。

セット1とあるように、シリーズとしてセット2
https://muuseo.com/toysoldier/items/670?theme_id=20188
もあります。

このセット1のほうは野砲というよりは地面備え付けの攻城砲に近いです。

16世紀には資料にも初登場した日本における大砲(青銅砲)ですが、あまり野砲としての発展は見られず、、

大阪夏の陣や伊豆水軍等における攻城戦や海戦での活躍が目立ちます。

砲手(って言い方が正しいのか?ですが)は4パターンと寂しいですが、中々上出来です。

侍 4ポーズ 16体
砲 4門セット。

Default
  • File

    fanta

    2022/03/24 - 編集済み

    箱絵はリアルに渋いですね👍😆

    大筒…それも和製のものは、
    どの程度の威力だったんでしょうね~?

    パッと見、イギリスやオランダから送られた大砲かと思っちゃいましたが。。
    言われてみれば、そっちはもっと筒が長かったかもです(^^ゞ

    返信する
    • File

      toysoldier

      2022/03/24

      fantaさん

      ありがとうございます。

      渋いっちゃ渋い、モノ好きっちゃモノ好きな感じですね(笑)

      威力はさておき、見た目の威圧感と砲音で威嚇してたのかなーなんて思ったり。。

      結局は欧米には一歩先を行かれてましたが、
      それでも日ノ本の底力は凄かったんだと思います(゜ロ゜)

      返信する
    • File

      fanta

      2022/03/25

      なんかセット2の所でも、似たようなこと書いてましたワw

      火縄銃の演舞を見たことありますが、
      あれでもけっこうな音でしたもんね。大砲だったらどうなるか…確かに音で威圧できそうです😅

      返信する
    • File

      toysoldier

      2022/03/28

      fantaさん

      返信遅れました(_ _)

      火縄銃ってやっぱり音はうるさいんですね??パアァーッンとけっこう迫力ありそうです。

      それが大砲なら、そりゃもうって感じですね(笑)

      いきなり放たれたらびっくりするだろうな~なんて。。。

      返信する
  • File

    デルタ

    2022/03/26 - 編集済み

     日本の大筒の歴史は、諸説あるのですが一般的には、戦国時代末頃と言われています。
     後に「種子島」と呼ばれる事となる火縄銃がポルトガルから伝来されて以降は、諸大名が欧州からの導入された各種火砲を元に製造されたようです。また、豊臣秀吉の北条氏討伐の小田原城攻めに大筒2門との記録があります。

     今回の「toysoldier」さんの画像を見ての推測ですが、この時代では先進的な、後装式の「フランキ砲」に見えました。
     これは発射装薬と点火部をカートリッジ(チャンバー)式にし、弾丸(石火矢)を射撃側から装填する現在の火砲に通じるものがあります。
    (但し、現在の火砲は、弾丸・発射装薬の後方(射撃側)からの装填は同じですが、撃発する砲尾環は砲身一体型なので、カートリッジ式ではありません。誤解のないように。)

     さて日本への伝来は、豊後(現在の大分県)の大名である、大友宗麟がポルトガル宣教師から輸入したのが最初との記録があります。(当時の名称が「国崩し」) ※何やら、「もののけ姫」を連想します。

    ※画像を入れました。

    File
    返信する
    • File

      toysoldier

      2022/03/28

      デルタさん

      返信遅れました(_ _)

      いつもながらドンズバの資料ありがとうございます。フランキ砲、面白いですね。
      そうか!後装式なんですね(゜ロ゜)

      国崩しって凄い名ですね(笑)
      文字通りの破壊力ということなんでしょか。

      返信する
    • File

      デルタ

      2022/03/28 - 編集済み

      コメント返信感謝します。
       フランキ砲の構造は、前装式大砲が主流だった当時としては、先進的かもしれません、しかし提示したイラストを見たらわかりますが、チャンバーを木製ウェッジで固定して射撃など危険過ぎです。チャンバーが跳ね上がりますので、連続した射撃は不可だったと思います。
       フランキ砲(後装式)が、この時代、これ以上流行らなかったのは、発射直後の暴発、また安全性を担保する冶金技術が未熟さからで、従来の前装式が主流でした。
       18世紀後半に、チャンバー式でなく、砲身と砲尾環(撃発装置)が一体式の火砲の登場を待たねばなりませんでした。

      返信する
    • File

      T. S

      2022/03/28

      フランキ砲は靖国神社の遊就館に展示がありますよー☝️

      返信する
    • File

      デルタ

      2022/03/28

      コメント感謝です。

       実は、6年程前に靖国神社に見学に参りました。

      返信する
    • File

      T. S

      2022/03/28

      ありますよねー
      これがフランキか、と思いました。

      返信する
    • File

      toysoldier

      2022/03/29

      T.Sさん

      ありがとうございます。

      遊就館ってまだ行ったこと無いのですが、行ってみたいです。

      日本軍事史の貴重な資料達をこの目で見たい…

      桜花や彗星なんて、近くで見たら迫力あるんだろうなー、なんて(_ _)

      返信する
    • File

      toysoldier

      2022/03/29 - 編集済み

      デルタさん

      ありがとうございます。

      なるほど。
      技術の未熟さで…というのは歴史あるあるですね。
      完成形が登場するのはまだまだ先の話と。

      人類の歴史は戦争の歴史、戦争の歴史の中で銃器の発達が見えてくるというのは複雑な話ですね。。

      遊就館行かれたことあるんですね♪

      返信する
    • File

      デルタ

      2022/03/30 - 編集済み

       この前、佐嘉神社に参った際、展示されていた、幕末期の佐賀藩所有のアームストロング加膿砲を提示します。特に砲尾環(撃発部)が分かる画像です。
      砲腔内の火薬の圧力をネジ込み式の閉鎖機で暴発を防ぐ、この技術が現在の火砲の原型とも言えます。
       これを見られたら、16世紀のフランキ砲との技術の違いがご理解頂けると思います。

      File
      返信する