FUTURAのちょっとした歴史    A LITTEL HISTORY OF THE FUTURA  by Bob Butts

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FUTURAのちょっとした歴史と題したレターは ボブバッツと言う人が書いたものです。

彼はバットモービルを作ったジョージバリスにレプリカを作る事の了解を貰い受け、1990年代にレプリカをFANTASY CARSという会社で作り販売した人です。
彼がバットモービル誕生の秘話を明かしてくれているので紹介します。
翻訳を載せました

(英語は堪能ではないので以下はグーグル翻訳です、あまりにもおかしい所はご勘弁ください)

1965年8月20日金曜日に、20世紀フォックス社のフィッツサイモンズは、Barris Customs のジョージバリスとBatman T.V. & Movie Series の車について話し合いました。

フィッツサイモンズは可能な限りクライスラーを使用することを提案しました、しかしバリスは自分が所有するカスタマイズされたフォード(Futuraの事です)を簡単にバットモービルにすることが出来て改造費をかなり節約できると伝えました。

次の8月25日の水曜日に、バリスは、クライスラー製品の代わりにカスタマイズされたフォードを使用する場合のスケッチと改造見積もりをスタジオに提出して、映画会社は了解しました。

1965年9月1日、20 世紀フォックス テレビジョン社とグリーンウェイ プロダクションズ会社(以下はプロデューサーと呼ぶ)はレスター E. トンキンス、アーヴィン カンズ、ジョージ バリスの各個人がバリス カスタムシティとして事業を展開して、以下「所有者」とする契約を結びました。

契約には、所有者がその 3 枚のバットモービル モーター ビークル (以降、バットモービル 1 と呼ぶ) の図面に従い、それに基づいて、プロト リンカーン シャーシの内部および外部の機械的および構造的な構築および変更することが記載されています。

契約には、バットモービルが 1965年10月11日より遅くとも10月21日(原文には10201と書かれているが誤記と思われます) ウェスト ピコ ブールバード、ロサンゼルス、カリフォルニア州のプロデューサーに引き渡されることになっていると記載されていました。

すべての修正、塗装などを行うのにわずか41日。

私の知る限り、車は契約通り10月11日に納車され、撮影が開始されました。
ただし、撮影中にいくつかの問題がありました。 パンクしたタイヤ...でもスペアはありません。 バッテリーが死んでいて、イグニッションスイッチが外れ、マフラーとエキゾーストパイプが外れました。
発電機は充電をやめ、ギアシフトレバーはマウントブラケットで緩んでいて、助手席のドアは開いたままで、ヘッドライトの配線がショートしているため、BAT EYES の照明源はありませんでした。 時速 45 マイルを超える速度を出すには、モーターに十分なパワーがありませんでした。
上記の問題により、撮影に2時間半から3時間の遅れが発生しました。

上記の情報が有益であり、「バットモービル」として FUTURA の利用について理解を深めていただけることを願っています。

ボブバッツ

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