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Hesdin (フランス)
エスダンはフランス北部の町です。 フランダース伯爵領下のアルトワ伯の領地でしたが、1180年にフランダール伯爵家の姪にあたるイザベラがフランス王フィリップ2世と婚姻した際に、当地は持参金としてフランス領となりました。その後、ブルゴーニュ伯領になったことから神聖ローマ帝国の一部となりましたが、1639年にフランスの侵攻を受け、以後フランス領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. IV(1588年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum IV 銅版画 54.5cm × 42.0cm 1588Roku
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Neuss (ドイツ)
ノイスはドイツ西部、ライン川を挟んでデュッセルドルフの対岸に位置する町です。 紀元前16年にローマがケルト人に対する要塞を築いたのが町の起源で、その後要塞の周りに町が発展しました。中世に入るとライン川の渡河地点として発達し、1138年には都市としての記載が見られます。しかし、1586年の大火事で町の3分の2が焼失し、さらにフランスのルイ14世の侵攻や渡河地点としての重要性が薄れたことから衰退します。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol.Ⅲ(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 46.8cm × 35.7cm 1588Roku
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Sneek, Dokkum, Ijlst & Sloten (オランダ)
スネーク、ドックム、エイルスト、スローテンはいずれもオランダ北部の町です。 スネークは10世紀頃に土砂の堆積によりできた半島に水路を掘り、その堤防沿いに町が造られました。1456年に公式に都市権を獲得し、そのころから約100年間貿易により栄えました。 ドックムは1298年に都市権を獲得しました。オランダ独立戦争中は独立側についたため1572年にスペイン・ハプスブルク家に占領されました。1597年に独立軍側のフリースランド艦隊の本部が置かれましたが、1645年に本部はハルリンゲンに移転してしまいました。 エイルスト1268年に都市権を獲得しました。その立地から地域の交易拠点及び造船業で栄えましたが、運河の堆砂により交易拠点としての魅力は失われ、造船業の町となりました。 スローテンは13世紀にスローテン家が設置した要塞が起源です。1426年に都市権を獲得しました。この町は内陸部とハンザ都市を結ぶ水路とドイツまで繋がる陸路の結節点であったため、その通行料収入などで栄えました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. IV(1588年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum IV 銅版画 53.6cm × 40.6cm 1588Roku
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Saint Omer (フランス)_2
サントメールはフランス最北部に位置する街です。サン・ベルタン修道院の門前町として発展し、中世初期は織物産業、また当時はアー川の河口に位置する交易拠点として栄えましたが干拓により内陸部に立地するようになると、カレー、ダンケルク、グラヴリーヌまで運河が掘削されました。 932年にフランドル伯領となりましたが、1212年にアルトワ伯領となって以降フランス化が進み、その後何度かの変遷を経て、1678年にフランス領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. IV(1588年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum IV 銅版画 52.4cm × 38.0cm 1588Roku
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Leeuwarden & Franeker (オランダ)
レーワルデンはオランダ北部の町です。元々は海に面した港湾都市でしたが13世紀に始まる干拓により内陸都市となりました。港湾都市であったときは海上交易で栄え、1435年に都市権を得ます。17世紀前半にはユダヤ人コミュニティが形成され、金銀細工が盛んになります。 フラネケルもオランダ北部の町で、8世紀後半のカロリング朝フランク王国の時代に造られた要塞が起源です。1374年に都市権を得ますが、徐々にレーワルデンに繁栄を奪われていきます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. Ⅲ(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 54.8cm × 40.1cm 1588Roku
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Mâcon & Chalon-Sur-Saône (フランス)
マコンはフランス東部ソーヌ川沿いの町です。ソーヌ川を利用した水運の中継地点として紀元1世紀頃にケルト人により造られ、ローマ帝国時代に発展しました。中世にはブルゴーニュ伯領でしたが、ソーヌ川対岸のサヴォイ公国領への橋が架かっていたことからこの地方の中心となりました。 シャロン・シュル・ソーヌもフランス東部ソーヌ川沿いの町です。ガリア人の王国の首都でしたが、ローマ時代にはソーヌ川を利用した水運とローマ街道の結節点として栄えました。中世のブルゴーニュ伯領時代の6世紀には事実上の首都となったこともありました、10世頃まで度々他国からの侵攻を受けました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. Ⅲ(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 54.6cm × 40.1cm 1588Roku
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's-Hertogenbosch (オランダ)
スヘルトーヘンボス(デンボッシュとも言われる)はオランダ南部の町で、ブランバント公爵の狩場であったことから「公爵の森」と名付けられました。また、石壁に囲まれた要塞都市としても有名です。 1185年に都市権が認められましたが、80年戦争中の1629年に都市権を喪失、その後フランス革命軍による占領等を経て、1815年にネーデルラント連合王国の一部となりました。また、中世には羊毛の交易都市及び芸術都市として繁栄しました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. IV(1588年初刊)のドイツ語版になります。
Civitates Orbis Terrarum IV 銅版画 53.8cm × 38.8cm 1588Roku
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Lier (ベルギー)
リールはベルギー第二の都市アントワープの郊外にあり、町の周囲はネーテ川に囲まれています。 760年に聖グマルスが修道院を設立したのが町の起源で、1212年には都市権を取得しています。その後、織物業を中心に繫栄しましたが、17世紀以降衰退していきます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. IV(1588年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum IV 50.7cm × 37.9cm 1588 Braun & HogenbergRoku
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Saint Omer (フランス)
サントメールはフランス最北部に位置する街です。サン・ベルタン修道院の門前町として発展し、中世初期は織物産業、また当時はアー川の河口に位置する交易拠点として栄えましたが干拓により内陸部に立地するようになると、カレー、ダンケルク、グラヴリーヌまで運河が掘削されました。 932年にフランドル伯領となりましたが、1212年にアルトワ伯領となって以降フランス化が進み、その後何度かの変遷を経て、1678年にフランス領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. IV(1588年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum IV 銅版画 44.4cm × 38.3cm 1588Roku
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Bolsward, Harlingen, Stavoren & Hindeloopen (オランダ)
ボスヴァルト、ハルリンゲン、スタフォーレン、ヒンデローペンはいずれもオランダ西部フリースラントに位置する小さな港町です。 ボスヴァルトは紀元前に河川の氾濫を避けるため人工的な丘の上に築かれたことが起源で、1422年にはハンザ同盟に加わりました。当時は北海とMiddle Seaを結ぶ要衝として栄えましたが、Middle Seaが埋め立てられたことにより徐々にその繁栄は失われていきました。 ハルリンゲンは漁業と貿易の町で、1234年に都市権を取得しました。 スタフォーレンは1060年頃にフリースランド地方で最初に都市権が認められた町です。中世後期頃からの港口の土砂堆積に伴い港町としての魅力を失い、衰退しました。 ヒンデローベンは1368年にハンザ同盟に加わりました。ヒンデローベンの繁栄は17・18世紀に黄金期を迎え、北海、バルト海まで交易範囲を広げていました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol.Ⅳ(1588年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum IV 銅版画 55.4cm × 41.5cm 1588Roku