都をどり 明治5年 十二調

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第1回 都踊 番組表?
1872年(明治5年)

 今や京都の年中行事となっている「都をどり」ですが、これは第1回都をどり、つまり初演時のもの!?と思われるものです。第1回の都をどり唱歌(当時の京都府参事、槇村正直作)が載っており「番組表」の走りと思われます。しかし、「唱歌」のみの掲載である事、そして明治から昭和(現在)にかけて行われた都をどりの「番組表」の形式にならっていない事から、これが何なのか?について今も調査中です。便宜上「番組表?」としています。

 これは、全体的に「虫喰い」カ所があったりで、かなり痛んでいますので、普段は厳重に保管しています。

 都をどりは当時、京都で行われていた第1回博覧会の余興として行われたのが始まりとの事です。ネットで検索すれば「都をどり」の歴史は詳しく知る事が出来ますので、ここでの詳細は割愛します。

この番組表?の最後に「八坂新地」とありますが、これは当時、祇園町が「八坂新地」と呼ばれていたからです。「近代歌舞伎年表京都篇第1巻(八木書店刊)」の98ページに「都踊 十二調」についての記載があり、この中でも「なお翌六年には八坂新地に歌舞練場が設けられ、そこを会場として以後毎年開催・・・」とあります。

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