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野坂昭如 Petit Testament '80 事実上のラスト・アルバム 野坂流・10年遅れの切腹の儀
アマゾン・プライムかなにかで既に配信によって全曲が聴けるとはいえ、レコードとしては未聴のまま、探し続ける事40数年。世間ではさほどのレア盤ではいのかもしれないが、自分個人にとってはいつまでたってもみつからない、そんなレコードも稀にあります。これなどその典型。遂に、野坂のラストライブが。当然未CD化ですが。1980年4月30日、東京厚生年金会館でのライブ。ジャケットを見ると沢田研二トキオへの対抗意識が(笑)ここでの選曲、はしゃぎぶり、50歳にして病を得た後の歌手生命への疑念。そして総括の決意。明らかにこれは歌手・クロード野坂流の、ポップでキッチュでふざけた、しかし同時に極めてシリアスな、彼の切腹の儀とみえます。それを敢えてドキュメンタリー・レコードとして遺した。歌唱としては初になる作詞作「おもちゃのチャチャチャ」やお馴染みのレパートリー、拘りの大国での大ヒット、YMCAなどを交えて最後には「君が代」。ささやかな遺言という意味である「ブティ・テスタマン」の文底に流れる野坂流のミシマ・マナー。あの檄文など、三島の遺した諸々の直球とは対極に位置する徹底したコミカルなギミック、しかしそこには「冷徹」な笑いしかありません。 三島の自決は彼にとって二度目の強制終戦だったのに対し、野坂も「二度目の敗戦コンサート」としている。小沢昭一の歌った、アプレゲールのなれのはて、とまでは言わないまでも、これは野坂なりの、ライブ・パフォーマンスによる再びの敗戦ということなのだろう。実際に鬼籍に入る35年も前の、ショウの形をとった遺言か。音楽は残念ながら、80年代丸出しの浅薄かつバッド・テイストな伴奏。しかしこれは仕方があるまい、電飾パラシュートの時代だったのだから。しかし、それにしても一体なぜこのレコードだけが、無視黙殺ノーリイシューのままになっているのか。無論様々な事情が絡んでいたのでしょうが。自主製作からCBSソニーに始まり、エレック、コロムビア、パイオニア、東芝、そしてビクターとレーベル移籍の変遷はめずらしいことではないが、しかしそこを乗り越えた楽業総括のボックスひとつ出ないとはね。現役のレコード業界人には誰一人、歌手・野坂を知る人物などいないのではないかとすら思えてきます。(そういえば、晩年になりダニアースの唄や小林亜星と組んで曲を発表したりしていたけれど、あのへんは蛇足の感、強し)
歌謡曲 LP、アルバム ビクター揖斐是方
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米キャピトルより逆輸入デビューしたイーストの「ビューティフル・モーニング」
吉川忠英、瀬戸龍介を擁したイーストを御記憶の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。音楽雑誌にもそこそこの大きさで取り上げられ、72年頃でしょうか、東芝もあわや行けるのかもと期したフシはありました。チャートアクションはしりませんが、米国でもシングルリリースはされたはずです。英詞ボーカルは弱いけれど、なかなか味わいのある佳曲でした。ただ、まだあの時代の要請か、イントロに和楽器「笙」を使用し、否応なくオリエンタリズムを演出させられている点、このへんは渡米してエド・サリバン・ショーに出たはいいがイントロで余計な琴かなんかのソロを遮二無二くっつけさせられて「ブルーシャトウ」をするしかなかったブルー・コメッツの、いわば敗戦国者としての悲哀丸出し、いかんともしがたいところでしょうか。アルバムではラストに「ソーラン節」を配せざるを得なかったところも哀し。そんなイーストでした。それにしても「すき焼き」以来の先達たちの米本土上陸挑戦は、やっぱり歯がたたなかったですなー。いい曲だったんだけれどなー、外人はちっともそうオモワナカッタンダナー笑。
ロック 7" Single 東芝音工 キャピトル揖斐是方
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「愛の祈り」「コーヒー天国」 オクトーバー・チェリーズとジェイド・アンド・ペッパー 日本盤シングル
シンガポールとマレーシアで絶大な人気を誇った60-70年代の東南アジアを代表するバンド、オクトーバー・チェリーズとその前身、ジェイド・アンド・ペッパーの国内盤シングルです。まさかこのバンドが、過去に日本盤で出ていたなんてと驚愕する例がいくつかありましたが、これらもそのひとつ。サイケデリック・ロック・ファンの中では「ペッパーリズム」といったオムニバス盤やポコラ本などで以前から認識されていた、ビートレスク・ポップ・サイケの名バンドです。1969年がデビュー・アルバムを発表した年で、そこには「ゲット・バック」から多大なヒントを得たような(笑)曲も入っていました。この二枚は順序からいえば「コーヒー天国」の方か先にリリースされたものですが、国内発売されたとはいえ、殆ど誰も買わなかったのではないかと思われるほど知名度低し。最初から器用なバンドで、「愛の祈り」の方はB面がほぼ原曲に忠実なハード・ロックとしてグランド・ファンクの「アー・ユー・レディー」を。それにしても、帯付きLPとしか思えないようなジャケットデザインのシングルというのも非常に珍しいのではないでしょうか。
ロック 7" Single グラモフォン・ポリドール揖斐是方
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「天本英世の世界」 死神博士/ドクター・フー/ウルトラQ 反骨の名優が語る日本人論
得難い個性派だった名優、天本英世氏は一般的には「死神博士」役が有名なのかもしれませんが、当然他にも、そのキャリアと実力からたくさんの映画、テレビに出演していました。「キングコングの逆襲」でのドクター・フーやウルトラQ「あけてくれ!」での作家・友野健二などは痛烈な印象を残す役柄でした。まさに唯一無二の存在感。 そんな天本氏の、若き日の従軍経験から抱き始めた日本と日本人への激烈を極める批判・反駁が99トラックにわたって展開されるスポークン・ワード・アルバムが本作です。実体験から導きだされた日本人論は、俳優としての語り口の巧さも手伝って、圧倒的な訴求力。当然、世代的にも性根が座っており、戦後生まれの観念論だけに終始する反日思想などとは雲泥の差、体感に裏打ちされた彼の言葉の説得力。有無を言わせぬ迫力です。ただ憂国の国士かといえば、そうではなく(笑)ひたすら日本人の馬鹿さ加減をストレートにあげつらう、だからこそ痛快なのですが。また一方では、スペインへの熱い憧憬も語り、何曲かはアカペラでスペインの歌も披露しています。戦後日本人への幻滅、泥臭く人間臭いスペイン人への眼差し。今度こそ彼はスペインの地に産まれ全く新しい人生を歩んでいると思わずにはいられません。
スポークン・ワード CD カエルカフェ揖斐是方
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世界的カルトGS ザ・タイガースの12枚組CDボックス 1967-1971
GSの頂点にはザ・ビートルズが、続いてザ・ローリング・ストーンズが君臨しています。数人編成のロック・コンボという意味では、彼等もまた広義の「クルーブ・サウンズ」といってもいいでしょう。60年代、言うまでもなく日本のそれではこのタイガース、圧倒的な人気を誇っていました。沢田研二のスター性に、あまりに依存し過ぎていたと言えばそこは否定しがたいものがあるかもしれませんが、とにかく他を大きく引き離すスーパー・グループであったのは間違いありません。そこで、このコンプリート録音源集を聴いてみる。すると非常に歪なグループだったことがはっきりとわかるのです。ライブではとにかくストーンズのカバーが中心、おそらくこれは彼らの素の欲求だったのでしょう。走りまくるだけの衝動ガレージといっていい曲もあります。末期のライブなどはGFRやCCRなどまでカバーした熱演を聴かせてくれます。一方で、問題はスタジオ録音のシングルやアルバム群。とにかく徹頭徹尾、タイガースのブレーンである作曲家、すぎやまこういちのクラシック・コンプレックスに翻弄されたテイストの作品がほとんどといっていいでしょう。まさにその点が、海外での日本のGS評価で無視黙殺されつづけている原因に他なりません。ほぼ「バンド」の創ったレコードとは言い難いあさってぶりです。他のどんなGSと比較してもその点は否定できませんが、これは「ポリドール」というレーベルのレコード作りのセンスにも大きく左右されているように思います。もしもフィリップスだったら、もっとましな録音を残せたのでは。日本ではGSの頂点に君臨しながらも世界的には全く相手にされていないアサッテの存在。まさに世界規模での「カルトGS」といっていいでしょう。本当のカルトGSのレベルにある「愛するアニタ」のタイガース・バージョンと、ヘンドリクスの「紫のパクリ」としか言いようもない「割れた地球」の二曲しか拾い物はない、がしかし、だからこその日本国でのスーパーグループともいえるわけですが。
グループ・サウンド CD ポリドール揖斐是方
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ザ・サイレンサー 「恋の夜汽車」 自主製作盤GS
現在、グルーブ・サウンズの音源というものはとっくに大方がシーディー化も終え、しかしアナログのオリジナル盤というものも、たとえ帯付きであっても以前のように高価のままかといえばそうでもなく、もはや当時のアマチュアバンドが自主製作したレコードの世界だけが、中古レコード市場の相場という点ではエライ事になってしまった感があります。愛知県のバンドによる、おそらく1968年頃に発表された唯一のシングルがこれです。簡単に現在ではユーチューブでタダで聴けるわけですが、実際に針を降ろして聴くとなると、そこまでこぎつけるのは色々としんどいものが(笑) サイレンサーの特徴は、まずメンバーは全員の名字が漢字一文字(それは別にどうでもよいか)、当時のGS人気投票では44位と健闘、あのヤング720にも出演など、ローカルバンドながら頑張っていたようです。また、解散後はメンバーのうち二人がコスモス・ファクトリーに参加ということです。この曲はとにかく素朴な味わいが素晴らしく、シンプル、ストレート、オーソドックスなガレージ・ナンバーとして、かつ、いかにもあのイノセントな時代ならではの情熱がかんじられる佳曲です。
グループ・サウンド 7" Single 日本マーキュリー揖斐是方
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麻雀。というよりマジューンかマージュンか、フレンチ・サイケデリアの傑作ファースト。
古くはアーバン・サックスのマネージャー、その前がラード・フリーのスタッフかなんか、そしてまだ大学生の頃には、パリのクラブで泥酔する晩年のモリスンを発見、面倒をみてやったことでお馴染みの友人、ギーユ・肉をくれっ・イェプリミアンとは、2000年ごろからか、このアルバムのCD化を巡っていろいろと情報を交換するも、しかしどこからもまったくリリースの気配なしと半ば諦めていたところに2022年、ソフルコンテニュー・レーベルからチェコ盤としてようやく登場しました。バンドのライセンス下に正式リイシューされたもののようです。スペシャル・サンクスのクレジットには彼の名前が筆頭に。さて71年といえば日本ではただひたすらポルナレフ旋風が吹き荒れる時勢、こうしたサイケ・プログレものは細々と国内盤が出ていたり出ていなかったり。演奏ではフルートやサックスをフィーチャーしたり、オリエンタリズムを感じさせる楽曲など、粗削りながらなかなかの意欲作として面白い作品に仕上がっています。バンドはこの後、1974年までに5枚ほどアルバムを発表しましたが、完成度が高まり洗練されていく以前の録音の方が往々にしてスリリングな愉しさがありますねロックでは。多くのバンドのアルバムにおいて。
サイケデリックロック CD ソフルコンティニュー揖斐是方
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グッド・モーニング・スターシャイン/ザ・ストロベリー・アラーム・クロック
1969年の四作目にしてラスト・アルバム。大幅なメンバー・チェンジ後の唯一作。SACといえばなんといっても「インセンス・アンド・ペパーミンツ」でいきなり初期から成功したサイケデリック・バンドと認識されています。が、セカンド、サードと厳しい内容の作を重ねました。とはいえそれはあくまで私見、個人の好みの問題であり、コーラスハーモニーポップの、いわゆるソフト・サイケの文脈ではそれなりの評価は下されているのかもしれません。しかし、それにしてものオーバー・プロデュース、あんたらはすぎやまこういち先生についぞ頭が上がらなかったザ・タイガースか、とつっこんでもこの際差支えはないでしょう。それくらい柔らかい作風でした。もっとも、SACもタイガース同様、ステージではワイルドなパフォーマンスを披露、ドアーズぱりのインタープレイや、「ソウル・キッチン」でステージを終えるといったこともしていたそうです。一転してこのアルバム、音に黒っぽさは伴ったものの、力強い男性的なボーカルが響きわたりこれがあのストロベリーズかと驚かされます。ラストにして、強烈な個性こそないもののアメリカン・ロック然とした骨のある音を獲得したとでもいいますか。同じメンバー・チェンジ後のラスト・アルバム「ロックンロールがなつかしい」で終わったプルーンズ(完全に別のバンドが プルーンズを名乗っていた笑)よりははるかにましな幕引きでした。
サイケデリックロック CD UNI揖斐是方
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カサノヴァ7 (セッテ) コロムビア・コンプリートと夜の柳ケ瀬
ヘンな外人という言い回しがありました。ロイ・ジェームスでもイーデス・ハンソンでもイーエッチ・エリックでも誰でもいいですが。 ただし、出門英と組んだロザンナは、あまりそういう形容はされなかったような気がします。されたのかもしれませんが。遮二無二曲中でアモーレミーヨーなどと叫ばされたのは致し方ないでしょう。まだ60年代の日本国ですから。このグループはそのロザンナの兄や叔父がメンバーとして在籍していたコーラス・グループで69年コロムビアからデビュー。「夜の柳ケ瀬」はデビュー盤、そこそこのヒットらしいのですがまったく記憶にありません。白眉は三作目のシングル「万博でヨイショ」。コンニチハーコンニチハーの三波ばかりが歴史に残っていますが、これも見逃せないカルト歌謡の傑作です。イタリア語も交えて橋本淳が作詞。人類に夢も希望もあった時代への追想が。デビューシングルには女性メンバーとしてキャシー中島の姿があります。しかしセカンドにはもういません。そもそも最初からメンバーじゃなかったという話もあるようで真偽不明。どうでもいいですけれど笑。
ムード歌謡・ただしカルト+ディーブ CD 七インチシングル コロムビア揖斐是方
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元オックス 野口ひでとの「ひでとからあなたに」 a.k.a.真木ひでと
1970年12月にリリースされたラスト・シングルのタイトルは、グループ・サウンズ・ブームが完全に終焉したことをペシミスティックに総括する「もうどうにもならない」でした、この人がリード・シンガーを務めていたオックスの。失神が失意にとってかわったわけですが。のたうち回って「テルミー」を啼唱していた野口は、何枚かのソロ・シンクルを出した後、72年にこのファースト・ソロを。ポール・アンカ、アダモ、モップスが歌った吉田拓郎、沢田研二らのカバーが収録されていますが、なかでも自ら作詞作曲を手掛けた「笑いを忘れたピエロ」が聴きものです。野口本人の弁によると、自分自身がナーバスになっていた時に作った、自分に対しての応援歌だそうです。オックスという過去を思えば、道化ができなくなってしまった自身を客体化しつつも苦悩している、聴きようによってはそこそこヘビーな楽曲といえるでしょう。先にシングルでだされた「他に何がある」は当時レノンの「マザー」のパクリに聴こえたわけですけれども、せめてこのアルバムでは8番まで歌詞のある7分を超えたといわれるバージョンで収録して欲しかったのですが。本作の後、あの「全日本歌謡選手権」で優勝、真木ひでととして再デビュー、オックス時代の栄光を再びといわんばかりのタイトル「夢よもう一度」というポール・アンカのパクリに聴こえた曲で復活することになります。なお、現在このアルバムは真木ひでとのボックスセット内に全曲収められてCD化されています。
歌謡曲 LP, Album フィリップス揖斐是方
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ミス・プレスのような見本盤 聴かれなかった『淋しかない』 歌・珊瑚一
まず、ジャケットの端をちぎり取ってあるのはやむをえないでしょう。1966年11月発売のビクター盤ですから当然ベルマークが印刷されていた。それはともかく、三浦綾子作詞による「淋しかない」を聴こうとしていました。珊瑚という人がどこの誰かは全く関知の外ですが。しかしながら聴こえてきたのはまったく歌詞の違う別の曲。レーベルを見ますと『黄色い道』とある。このレコードはビクター・SV-492 『ナナカマドの並木道 b/w 淋しかない』であることに疑いの余地はありません。歌詞カードにも『淋しかない』は印刷されている。ところが、B面のレーベルにはSV-415 の『黄色い道』が。A面のマトリクスがVEY-1891なのに対して、B面のそれはVEY-1654。 『黄色い道』のシングルは『ナナカマドの並木道』より以前に発売されたものでしょう。レコードのミス・プレスというものは実に様々なパターンがありますが、当初はB面をここまで自信をもって堂々とミスしているレコードというのもちょっと珍しいのでは。と思ったのですが、実はこれは「ミス」していないのかとも思えてきました。これは白ラベルの見本盤なので、以前に出したシングルA面のダメ押し、テコ入れのために敢えてこういうものにしたのではないのか?ただし、このプロモ専用のジャッケットまで製作はしなかったと、こういう事情だったのかもしれません。なんにせよ、変なレコードではあります。勿論、『黄色い道』のほうは最初の数十秒しか、『ナナカマド』のほうはまったく聴いておりませんけれども。
歌謡曲 7" Single プロモ ビクター揖斐是方
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ジム・ゴードン参加の『JOYRIDE/FRIEND SOUND』 1969年
あの、デレク・アンド・ザ・ドミノスのドラマーであり、長いおつとめで有名なジム・ゴードンがセッションに参加している奇盤です。他の参加メンバーはベーシストのクリス・エスリッジだったり、ポール・リヴィア・アンド・ザ・レイダースのメンバーだったりするのですが、パーマネント・バンドとしての唯一のアルバムではなく、企画もののセッション・アルバムといったところでしょう。しかし、ありがちな、フリーク・トーンやノイズの垂れ流し的なところはなく、かつ、レイドバック気味の単なるリラックスしたセッション・アルバムとも言えない内容で、各曲それぞれが非常にサイケデリックで一定のテンションを保った、なかなか聴かせるものがあるのです。時流に乗った、安易に製作された企画物サイケも横行していた当時、これは拾い物ではないでしょうか。サイケデリック・ロックの隠れた好盤として記憶されるべき一枚だと思います。
サイケデリックロック LP, Album RCA揖斐是方
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三島由紀夫への弔魂歌『憂国』伊藤久男・歌 児玉誉士夫・作詞 古賀政男・作曲
「ニッポンはこれでいいのかーっ!」という命掛けの絶叫に、国民は「いいですよ別に」と笑顔で答えたに等しい、あのお馴染みの事件から半世紀余、しかし三島由紀夫の問いかけは今日いよいよ重く響き渡ります。このレコードは事件から一年後、1971年11月に発売された三島と森田への弔いの歌。歌うは「イヨマンテの夜」の、あの伊藤久男です。作曲が古賀政男ですから、これもれっきとした古賀メロディーといえるでしょう。しかしこの内容ですから、あまり表立ったところでは顧みられていないのかもしれませんが、その辺の事情はどうなんでしょうかね。「筆に尽くせぬ憂国を 剣に替えて叫びたり」と作詞したのは、自称CIAエージェントにして任侠右翼の巨魁、もちろん代表作は「ロッキード事件」の、あの児玉誉士夫。ただ、「剣に替えて」じゃなくて「刃に替えて」にしたほうがよかったのではないでしょうか。ジャケットには7ページにわたって、B面の曲ともどもこの曲の舞のための振り付け写真が。三島由紀夫事件に関して、こうした形でのシンパシーを表現した作品は、他にあまりないのではと思います。その意味では極めて貴重な楽曲といえるでしょう。#三島由紀夫
ディープ歌謡 7" Single コロムビア揖斐是方
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暗い夜 b/w テスト・パターン 古谷充とザ・フレッシュメン
クール・ジャズという言葉がありますが、本当に「クール」な日本人によるジャズとはこういう曲を指すのではないかと思います。普段はジャズ・ボーカルものなど全く聴かないのですが、この曲だけは別格。何度聴いても、昭和の大人たちによる、大人のための音楽であると痛感します。確か小谷氏が20代中ごろの録音のはずなのですが、そのスモーキーな歌声のすばらしさ。言うまでもなく関西ジャズ・シーンの重鎮だった小谷氏、一昨年の逝去が惜しまれます。B面の「テスト・パターン」の歌詞、「夕暮れ前のテレビに映る テスト・パターンのその顔」この曲のリリース当時はまだテレビ放送の黎明期で、テレビの放送開始は夕方からだったはずなのでこういう歌詞。これは誤った解釈だろうか。ちょっと古すぎてそこは定かではありません笑。いずれにしても、日本のジャズ史に残る極めてモダンかつユニークなキラー・チューンだといえるでしょう。
ジャズ 7" Single テイチク揖斐是方
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ESP 日本盤 コンパクト 『オーネット・コールマン/タウンホール・コンサート』
日本では最後に国内盤のCDが出てから30年近く経っているのではないですか、米国のカルト・コレクタブル・フリーキー・レーベルのESP。もう誰も興味は持たないですかね。歴史的名盤も擁するフリー・ジャズにおけるこのレーベルの重要性は、やはり看過できないものがあるでしょう。1960年代は日本ビクター・ワールド・グループが国内発売を行なっていました。もちろん、あのすべてのカタログではなく、ごく一部ですが。1968年1月にジョン・コルトレーンのものとともにリリースされたのが、このコンパクト盤です。オリジナルの定価は500円。収録曲が長いので、シングル盤ではなく、それより高い設定の規格で出されたレコードで、やはり「コンパクト盤」といったところでしょうか。ジャケット、タイトルが示すようにこれは『タウンホール1962』からのカットです。長いキャリアの中でも不遇時代で、活動歴の中でのミッシング・リンクとなる貴重なライブ・アルバムであることと、内容のすばらしさ、そして何よりもESPの日本盤17cmコンパクトという点で、ずいぶん長い間探していた一枚です。ゴッズのものと、ポール参加の盤「パスオンジスサイド」からのカットくらいしか米国盤ESPシングルなど記憶にない中での日本盤笑。ただし、これは白レーベル。やっぱり当時は売れなかったんだろうなーと確信できるわけですが。#freejazz #ESP #ornettecoleman
フリー・ジャズ 7" コンパクト ビクター ESP揖斐是方