村田兆治  投手

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1949年 広島県三原市
福山電波工業高校(現:近畿大学附属広島高等学校福山校)→ 東京オリオンズ(1969年ドラ1)→ ロッテオリオンズ(1970年名称変更)→ ロッテオリオンズ引退(1990年)
愛称”マサカリ投法””昭和生まれの明治男”"一匹狼"
村田の代名詞であるフォークボールは当初 監督濃人から速球の威力が落ちることを恐れ、フォークボールの練習だけは禁止されていたが、どうしても習得したくて指にボールを挟んだまま縄でくくりつけて眠ったり、握りを深くしようとするあまり、人差し指と中指の間にナイフで切り込みを入れたこともある。又右手の中指と人差し指の間に牛乳瓶や特注の鉄の球を挟んだり、ドアを開けるときもノブを中指と人差し指で挟んで開けるなど、日々のトレーニングを欠かさなかった。夫人によれば、村田が中指と人差し指でビール瓶をはさむと、夫人が引っ張っても抜けなかったと言う逸話がある。

背番号 29 81
主なタイトル
・最多勝利:1回 (1981年)
・最優秀防御率:3回 (1975年、1976年、1989年)
・最多奪三振(当時連盟表彰なし):4回 (1976年、1977年、1979年、1981年) ※パシフィック・リーグでは、1989年より表彰
・最多セーブ投手:1回 (1975年)
・ベストナイン:1回 (1981年)
・月間MVP:1回 (1981年4月)
・カムバック賞 (1985年)
・日本シリーズ最優秀投手賞:1回 (1974年)
・オールスターゲームMVP:1回 (1989年 第1戦)
・前後期MVP:2回 (1977年後期、1981年前期)
・パ・リーグプレーオフMVP:1回 (1974年)
・パ・リーグプレーオフ敢闘賞:1回 (1981年)
・野球殿堂競技者表彰(2005年)
・新語・流行語大賞 特別部門人語一体・語録賞 (1990年、「昭和生まれの明治男」、妻と共同で受賞)
・都民文化栄誉賞(1990年)[22]
・ベスト・ファーザー イエローリボン賞 (1994年)
主な記録
・通算148暴投(プロ野球記録)=目が悪かったため、サイン違いをすることが多く、それならば先入観のないノーサインが多かった為
・1試合16奪三振:1979年6月8日、対近鉄バファローズ前期9回戦(日生球場)
・1試合3暴投:3回 (1987年5月28日、1987年6月14日、1990年5月15日)
・1イニング3暴投:1987年6月14日、対近鉄バファローズ11回戦(ナゴヤ球場)
・開幕投手:13回 (1975年 - 1982年、1986年 - 1990年)
・オールスターゲーム出場:13回 (1971年、1974年 - 1981年、1985年、1986年、1988年、1989年)
通算記録
・22年間で215勝177敗33セーブ 奪三振2,363 防御率3.24 暴投148(2020年現在プロ野球記録:二位は石井一久115

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