- Sekisentei Japanese Mineral Museum
- 39F 鹿児島県 Kagoshima Pref.
- 錫石 (cassiterite) 錫山鉱山 岩屋坑 #0613
錫石 (cassiterite) 錫山鉱山 岩屋坑 #0613
銀白色の錫石が網状に含まれています。(1枚目~6枚目は背景をソフトウエア処理しています。)
錫山鉱山は1655年(明暦元年)に島津家の家臣、八木主水佑元信によって発見され、1701年(元禄14年)に薩摩藩の経営となりました。1853年(嘉永6年)には山師山元三九郎が御手山湧上り鉱床を発見、藩主島津斉彬の命により翌1854年(嘉永7年)にかけて約14万8千斤(約89トン)もの錫を産出し「十万斤」(充満金)時代と呼ばれる好景気を迎え、鉱夫は遠く尾張(愛知県)や美濃(岐阜県)、伊予(愛媛県)などからも多数集められ、1854年(嘉永7年)頃には約300人が働いていたといわれ、薩摩藩の財政を支えました。維新後の1874年(明治7年)には錫山鉱山の鉱区権が鹿児島県から島津家へ移り、1886年(明治19年)に岩屋疎水坑掘削に着手、1898年(明治31年)に自稼制が廃止されて島津家の直営となり、稚児ヶ滝選鉱製錬所に着工、1905年(明治38年)頃に完成しました。
昭和に入ってからは協和鉱業が経営、1979(昭和54)年には産出量84.5トンと全国第2位の実績を誇りましたが、1986年(昭和61年)に中国のダンピング等により錫価格が暴落し、1988年(昭和63年)に開山後330年余にして閉山しました。錫山には藩の奉行所跡や、鉱山の神を祀った大山祇神社、錫を採掘した坑道跡など、当時の盛況を偲ばせる数多くの遺構が残っています。