銀黒鉱石 (ginguro ore) 串木野鉱山 #0660

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串木野鉱山の銀黒鉱石です。片面が切断されています。よく見ると銀黒中のところどころに自然金の細粒が見られます。(背景はソフトウエア処理しています。)

串木野鉱山は総産出量国内第4位(約56トン)の主要金鉱山で、狭義には西山坑(一坑)、芹ヶ野坑(二坑)からなり、北西に位置する荒川鉱山、羽島鉱山と併せた広義の串木野鉱山は東西12km,南北4kmの範囲に分布していました。鉱床は熱水で変質した輝石安山岩中に胚胎した浅熱水性含金銀石英-方解石脈で、銀に富んだ黒色の縞状部や斑点部を含む「銀黒鉱」と、白色粘土鉱物を伴う「おしろい鉱」を金銀鉱石として産出しました。串木野鉱山の歴史は17世紀半ばに遡るといわれますが、1906年(明治39年)に中小の採掘業者が保有していた鉱区を三井鉱山合名会社が買収・統合し、1914年(大正3年)に我が国最初の全泥青化製煉工場を建設する等、鉱山の近代化を進めました。1928年(昭和3年)に当時休山となっていた芹ヶ野金山の譲渡を受け、1934年(昭和9年)には芹場鉱山の再開発を開始、1939年(昭和14年)には、1日で1,300トンの鉱石を採掘し、年間1,397kgの金を産出しましたが、1943年(昭和18年)、金山整備令により操業を休止しました。戦後は1949年(昭和24年)に操業を再開、1950年(昭和25年)に三井鉱山から分離し神岡鉱業(後の三井金属鉱業)の傘下に入り、1964年(昭和39年)に三井串木野鉱山として独立、1965年(昭和40年)頃には出鉱量が年間15万トンに達しましたが、その後鉱石品質の低下により1989年(平成元年)には年間採掘量は1万トンに減少しました。1994年(平成6年)以降、串木野鉱山での採掘は行われず、1997年(平成9年)に金鉱山としての操業を終えました。この間、串木野鉱山では坑道を利用したテーマパークの開設(ゴールドパーク串木野、1988年開設、2003年閉鎖)、我国唯一の全泥青化製煉法を採用した貴金属精錬事業の継続、リサイクル事業展開等を行っています。

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