濃紅銀鉱 (pyrargyrite) 院内銀山 #0459

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黒色の銀黒部分は微粒の濃紅銀鉱、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱からなっており、濃紅銀鉱粒が銀色に光るのが目視出来ます。周辺には微粒の濃紅銀鉱により小豆色に染まった部分が斑点状に見られます。

院内銀山は慶長11年(1606年)に発見され、江戸時代を通して秋田藩直営銀山として繁栄した浅熱水性鉱脈型金銀鉱床です。1833年(天保4年)からの約10年間は年間の産銀量が千貫(=約3,750kg)を超える「天保の盛り山」と呼ばれる最盛期を迎え、人口15,000人あまりと、藩都久保田城下をしのぐ賑わいだったそうです。明治維新を経て新政府の直轄経営から1885年(明治18年)には古河鉱業の経営となり近代化を推進しましたが、銀価格の下落や鉱脈の枯渇などで次第に衰退し、1954年(昭和29年)に閉山しました。

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