京の通り名の唄 南北編
初版 2021/08/25 20:43
改訂 2021/08/25 20:43
2004.11.20
条と條の使い分けはさほどの意味はありません。昔はこちらの文字だったはずという程度。もっとも他にも多くの文字が現代当用漢字になっていますね。
さて,京都特集。いろいろ私も新たに知った事もあります。とてもここでは言い尽くせませんね。1200年前の京の様子がどのようであったか,いくつか知る手がかりもありました。
ともかく,最後は,京の通り名の南北編でしめくくります。
また特集ではなく,単発でもいろいろ紹介出来る機会があればと思っています。前置きが長くなりました。
てらごこふやとみやなぎさかい
寺御幸麩屋富柳堺
寺町,御幸町,麩屋町,富小路,柳馬場,堺町
たかあいひーがしくるまやちょう
高間東車屋町
高倉,間之町,東洞院,車屋町
からすりょうがえむろころも
烏両替室衣
烏丸,両替町,室町,衣棚
しんまちかまんざにしおがわ
新町釜座西小川
新町,釜座,西洞院,小川
あぶらさめがいでほりかわのみーず
油醒ヶ井で堀川の水
油小路,醒ヶ井,堀川
よしやいのくろおおみやへ
葭屋猪黒大宮へ
葭屋町,猪熊,黒門,大宮
まつひぐらしちえこういん
松日暮智恵光院
松屋町,日暮,智恵光院
じょうふくせんぼんはてはにしじん
浄福千本はては西陣
浄福寺,千本
最後の西陣は通り名ではなく,地域を表しています。
現代の京都の繁華街,京都駅の位置などから考えると,全体に西にずれています。千本通りの南には朱雀と呼ばれる地域があります。
朱雀大路,いわゆるメインストリートは,かつては千本であったことが伺われます。
当時の東の端は寺町。現在,寺町の一筋東は新京極と呼ばれています。おそらく京極,京のはて,端であったのでしょう。
そして,西は,西京極がその名を残しています。
通りを歩くのに,通りから次の通りまでを一筋といいます。
歩く方向によっても言い方があります。
京都の場合,北に向かうことを「あがる」南に向かうことを「さがる」といいます。東西方向は,そのまま,東入る,西入るという言い方になります。
京は今,秋真っ盛り,短い秋が終わると底冷えのする冬に向かいます。
#思い出