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カローラⅡにのって
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「MR. FANTASY」 Traffic
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「You Don't Love Me」 Gary Walker
ウォーカー・ブラザースのドラマー、ゲイリー・ウォーカーの初ソロ・シングル。 ブルースマンのウィリー・コブスのオリジナルでしたか、ソニーとシェールのファーストアルバム『Look At Us』を聴いてその中に入っているこの曲がすっかり気に入った彼は、バックをつとめるザ・クォーテーションズとほんの4時間ばかりアイディアを考えると、わずか10分でレコーディングしたとか…。鼻にかかったヴォーカルが、いかにもゲイリーらしい楽曲。FUZZギター炸裂、ミッドテンポMOD-ガレージ・ナンバー! 1966年3月に全英シングルチャートで最高位26位に達した。 収録曲 Aside You Don't Love Me Arranged and Produced by Scott Walker & John Stewart(Alec Noel Productions) Written By [Incorrect]–Tommy Raye Written-By [Uncredited]–Willie Cobbs Bside Get It Right Arranged and Produced by Scott Walker & John Stewart(Alec Noel Productions) Written-By–John Stewart 蛇足ながら、1968年、アル・クーパーとスティーヴン・スティルスはこの「You Don't Love Me」をレコーディングし、大成功を収めたアルバム『Super Session』に収録した。 2年のうちに4度も来日をするほど親日家で、コケティッシュで、気さくで、私にとって親しみやすさを感じさせる最初の“外タレ”でした。 彼がライヴでよく歌っていた「ディジー・ミス・リジー Dizzy Miss Lizzy」の熱唱が懐かしい。 ゲイリー・ウォーカー (Gary Leeds) 1942年3月9日生まれ。1962年末~64年、ロサンゼルスのガレージバンド、スタンデルズ (The Standells)にドラマーとして参加。脱退後P.J.Probyのバンド・メンバーとして英国をツアー。ブライアン・ジョーンズと交友を深める。米国に帰国後ウォーカー・ブラザーズのスコットとジョンと出会う。ウォーカーズのサウンドが“スウィンギング・ロンドン”にピッタリだとして、ロンドン行きを説得。65年2月ウォーカーズのメンバーとなり、スコット、ジョンと共にロンドンに拠点を移す。その後ウォーカーズは大ヒットを放ち人気グループとなる。スタンデルズ~ブライアン・ジョーンズの流れから想像できるのはゲイリーは生粋のガレージサイケ好きではないか?ということだ。その証拠に1966年の2枚のソロシングル『夜明けに恋はない You Don't Love Me b/w ゲット・イット・ライト Get It Right』『トゥインキ―・リー Twinkie-Lee b/w すてきなあの娘 She Makes Me Feel Better』はどちらもガレージ感覚たっぷりの粗削りなサイケポップ。シングル曲はUK サイケ発掘ものコンピレーションに収録されている。 ウォーカー・ブラザーズは実質的に67年5月に解散しており、ゲイリー・ウォーカーは次の活動のためにレインというバンドを結成した。メンバーは ゲイリー・ウォーカー(ds,vo)、ジョーイ・モランド Joey Molland (g, vo)、ポール・クレイン Charles "Paul" Crane (vo, g)、ジョン・ローソン John Lawson (b)。1968年1月にシングル『スプーキー Spooky b/w いつまでも僕のそばに I Can't Stand To Lose You』をUKポリドールからリリース。2ndシングル『孤独な影 The View』、3rdシングル『マガジン・ウーマン Magazine Woman』、さらに1969年1月リリースの唯一のアルバム『アルバム No.1 Album No.1』は日本のみのリリースだった。68年7月にレインは来日し、ザ・カーナビーツを前座に日本ツアーを行い人気を博した。 アルバムの後69年1月に、UK Philipsからシングル『Come In You'll Get Pneumonia』をリリースしレインは解散。ポール・クレインはプロデューサーに、ジョン・ローソンはハニカムズの後継バンドLaceに加入、ジョーイ・モランドはバッドフィンガーのメンバーになる。ゲイリーは英国滞在許可期間が切れたため米国に帰国。75年に英国に戻りウォーカー・ブラザーズ再結成に参加、78年に再び解散。79年にイギリス人女性バーバラと結婚し、公の場から姿を消し、特殊な樹脂混ぜた砂を使って城や船など様々な模型を作る事業を始めた。2005年に27年ぶりにステージに登場しジョン・ウォーカーと共演。また、2007年にはジョンと共にラジオ出演した。しかし、ジョンは2011年5月7日に死去、スコット・ウォーカーも2019年3月22日に没したため、現在80歳のゲイリーがウォーカー・ブラザーズの最後の生き残りとなってしまった。願わくば長生きしてほしい。
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「Back In The High Life」 Steve Winwood
スティーヴ・ウィンウッドが1986年に発表した、ソロ名義では4作目のスタジオ・アルバム。 “本気出した、売れ線ポップなアルバム。 これまでの多重録音から一転し、共同プロデュースにラス・タイトルマンを立て、バックにはスタジオ・ミュージシャンをずらり。 弦のアレンジはアリフ・マーディンを起用した。さらにチャカ・カーンやジェイムズ・テイラーをコーラスに招き、話題性も忘れない。” しかし、このアルバムを聴いた昔からのファンは戸惑いとある種のショックを隠せなかった。 かつてスティーヴは、コマーシャルな音楽を嫌い、人気を否定する男といわれて、スペンサー・デイヴィスのもとを去った。 そのスティーヴが「Higher Love」でチャカ・カーンと歌って踊るとは…。実際見たくなかった。(これは次作の「Roll With It」で全くのとりこし苦労であった…。) 全英アルバムチャートでは8位に達して自身2度目のトップ10入りを果たし、42週チャート圏内に入るロング・ヒットとなった。 アメリカでは1986年9月6日付のBillboard 200で3位を記録し、1986年9月にはRIAAによりゴールドディスクに認定されて、1988年1月には3×プラチナに認定されている。 本作からは1.「Higher Love」(全英13位・全米1位)、3.「Freedom Overspill」(全英69位・全米20位)、4.「Back in the High Life Again」(全英53位・全米13位)、 5.「The Finer Things」(全米8位)がシングル・ヒットした。 また、グラミー賞では、「Higher Love」が最優秀レコード賞と最優秀男性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞。 スティーヴは2011年のインタビューにおいて、本作について「僕自身は方向性に明らかな変化があったと思っていたけど、 実際のところは、僕がいつもやってきたようにジャズ、ロック、フォーク、民族音楽の要素を融合する試みを続けていた」と語っている。
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「If you go away」 John Walker
アメリカのシンガー ソング ライター、ギタリスト。 英国に渡りスウィンギン・ロンドンの時代に活躍したアメリカ人グループ、ウォーカー・ブラザーズの創設者、ジョン・ウォーカーの1967年のソロ・アルバム。本作はCD化の際、オリジナル「If you go away」に、後のシングル曲などを加えてリイシューされた、いわば“Best of John Walker”というべき内容。(全24曲) スケールの大きい美しいストリングスが絡むドリーミーな1.「The Right To Cry」、可憐さとダイナミックさが融合した美曲3.「Reaching For The Sun」や7.「It's All In The Game」、キース・マンスフィールドの指揮による12.「An Exception To The Rule」、キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンの6.「So Goes Love」etc。 全編通して弦楽器・管楽器をフィーチャーした、英国特有のファンタジックでエレガントな音で満ち溢れた美しい傑作です。 あと、ジョンがソロになって発表した第4弾シングル14.「Kentucky Woman」が収録されたのが嬉しい。本家ニール・ダイアモンドやディープ・パープルのヴァージョンよりカントリーっぽく親しみやすいアレンジで、ジョンのハスキーヴォイスにぴったりの佳曲。またこのB面の18.「悲しい帰り道(I Cried All The Way Home)」も良い曲で当時ラジオでよく流れていたのを憶えている。
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BLIND FAITH
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The Essential PAUL YOUNG
“The Essential”シリーズからのポールの、いまさら説明不要のベストアルバム。 素晴らしい選曲で、彼のキャリアを網羅した内容となっています。 殊に、映画「フライド・グリーン・トマト」(1991)で取り上げられた、08.「What Becomes of The Broken Hearted」の収録が嬉しい。 ジミー・ラフィンの名曲をカバーしたポールのヴァージョンも素晴らしい出来で、まさに“曲良し、アレンジ良し、演奏良し、歌良し”。 (全米ビルボード誌チャート最高位22位)
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「JUST FOR A MOMENT Music 1973-1997」
ロニー・レーンのフェイセズ脱退後のシングル曲で構成されたベスト・アルバム。 多くのミュージシャンに慕われ続けたロニー・レーン。その死後も変わらずの尊敬が若いミューシャンの間にも根強く残っている。彼の音楽の特徴は…、一言では言い表しにくいが、ある人が彼の音楽をロックンロールならぬ“rock'n'folk”と評していて、私が聞いた評価の中では一番簡潔かつ的確かなと思う。ロックはロックなんだけれども、えらくのどかで、マンドリンやらアコーディオンやらフィドル(ヴァイオリン)やらが頻繁に出没し、人懐こくて楽しげなくせに時々ホロリとさせ、雰囲気は素朴だけれど野暮ではない作品群。スモール・フェイセズ、フェイセズで同僚だったスティーヴ・マリオットやロッド・スチュワートのような圧倒的な迫力はないけれど、いかにもお酒が好きそうな、どうにも人の良さそうな歌声…、早すぎる旅立ち。 Track List 01. Just For a Moment (Lane, Ron Wood) Album「Mahoney's Last Stand」 02. The Poacher (Lane) Album「Anymore For Anymore」 03. Anymore For Anymore (Lane, Kate Lambert) 04. How Come (Lane) Debut Single 05. Tell everyone (Lane) Album「Anymore For Anymore」 06. Roll On Babe (Derroll Adams) 07. Little Piece of Nothing (Traditional) Album「Ronnie Lane's Slim Chance」 08. Anniversary (Lane) 09. Brother Can You Spare A Dime (Lane) 10. Don't Try 'n' Change My Mind (Lane) Album「One For The Road」 11. One For The Road (Lane) 12. Annie (Lane, Lambert, Eric Clapton) Album「Rough Mix」 13. April Fool (Lane) 14. Kuschty Rye (Lane,Lambert) Album「See Me」 15. Barcelona (Lane, Clapton) 16. One Step (Lane, Alun Davies) 17. Spiritual Babe (Lane) (Demo Version) 18. Strongbear's Daughter (Lane) (Arlyn Studio Session / 1989)
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『The Low Spark of High Heeled Boys』
トラフィックは「John Barleycorn Must Die」(1970)で復活した。そのアルバム・ツアーでデイヴ・メイソンが復帰にもかかわらず、またしても脱退。なぜかトラフィック名義を使わなかった、ツアー音源のアルバム「Welcome to the Canteen」(1971)を経て、メンバーはそのままにロンドンのアイランド・スタジオで制作されたのが本盤。 変形ジャケットも話題となり、アメリカでリリースされてから1年も経たないうちにゴールドに認定され、最終的に1996年にプラチナに認定されました。(全米7位) あまりライヴで演奏されなかったオープニングの「Hidden Treasure」。ブリティッシュ・フォークに東洋風のメロディーをミックスしたような幻想的な曲。ジムによるとチベットの死者に関する書物から題材を得て作詩したという。一時期のフェアポート・コンヴェンション的なダークさを持ったこの曲は、ブリティッシュ・トラッド以外にも様々なエスニック・ミュージックの要素も感じられ、楽器編成は普通なのにクリスのフルートやチャランゴっぽいフレーズのアコースティック・ギターのせいか、南米のフォルクローレのようにも聴こえてきたりもする佳曲。 2曲目は、仄かにジャズ・テイストが香り、趣味のいいR&Bに刈り込んで仕上げられた、後期トラフィックを代表するタイトルトラック「The Low Spark of High Heeled Boys」。ファンの間では特に人気が高い。各メンバーの即興的なプレイが10分以上に渡り繰り広げられる。メランコリーなムードに包まれたマイナー調のメロディと、適度な緊張感を伴うゆったりとしたノリが、なんとも心地良い高揚感を生み出す不思議な作品。 「Light Up Or Leave Me Alone」はパワフルなリードヴォーカルを披露したジムの代表作。スティーヴのギターもフィーチュアしファンク風の演奏が繰り広げられ、ステージではジムがメンバー紹介を曲中に挟むことも。2007年開催のトリビュートライヴ A Celebration For Jim Capaldi では、スティーヴが歌うヴァージョンを聴くことができる。 「Rock And Roll Stew」はリック・グレッチとジム・ゴードンの共作という珍しい曲。ストリート・ミュージシャンを題材にしたシンプルなロックで、リードヴォーカルはジムが歌っている。アメリカでシングルカットされ、2分ほど長いロングヴァージョンがAB両面に収録された。 全米93位とチャートアクションは振るわなかったが、ファンの間では人気が高く、“Top 10 Traffic Songs”(By Michael Gallucci)では、「John Barleycorn」をおさえて堂々5位に入っている。 「Many A Mile To Freedom」はあまり目立たない地味ソングだが、長閑な自然を想起させる牧歌的な作風はトラフィックらしい。スティーヴのギターソロにクリスのフルートも全編で活躍する。作詞クレジットは、ジム・キャパルディではなくアンナ・キャパルディとなっている。実際に作詞したかは不明だが、ジムが当時付き合っていたアンナ・ウェストモアを指すと思われる。 ラストはイントロのクリスのフルートが奏でる異国風なメロディが印象的な「Rainmaker」。前半は哀愁感のあるスティーヴのヴォーカルがリードする穏やかなムード、後半から曲調が変わりスティーヴのギターやクリスのサックス、リーバップらのパーカッションが活躍しアフロジャズ的な展開をみせる。ブラインド・フェイスではいまひとつ遠慮がちに聴こえたリック・グレッチも、まるでチャック・レイニーみたいな渋派手?なベース・プレイ…。タイトル曲と並ふ本作のハイライトである。尚、公式サイトの本作品のドラムスのクレジットは、ジム・ゴードンではなくマイク・ケリーと記されている。元スプーキ・トゥースのマイク・ケリー本人の発言もあり公認されている。 プロデュースはスティーヴが単独で行い、エンジニアリングはブライアン・ハンフリーズが担当した。アルバムデザインにはトニー・ライトを起用、変形六角カットのジャケットは、立体感を演出したユニークな発想でなかなか面白い。裏面の写真はリチャード・ポラークが撮影。
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『LIVE ANTHOLOGY 1965 -1968』
2001年にヴァレーズ・サラバンド・レコードからリリースされた、本作はスペンサー・デイヴィス・グループのスタジオセッションとライヴ音源を集めた編集盤だが、ボーナストラック以外は「Mojo Rhythms & Midnight Blues The Live Album Vol. 1: Sessions 1965 -1968」、「Mojo Rhythms & Midnight Blues The Live Album Vol. 2: Shows 1965 -1968」の2枚のアルバムと同じ音源。スタジオセッションの楽曲はオリジナルに比べると格段にパワフルでノリが良く、こちらを聴いてしまったら原曲が物足りなく感じるほど。 「I Can’t Stand It」や 「Goodbye Stevie」などのセッションテイクは臨場感に溢れていて新鮮だし、極め付けは代表曲の「Gimme Some Lovin’」と「I’m A Man」で、オリジナル以上に黒っぽさを感じさせる素晴らしいプレイを聴くことができる。ライヴ音源の収録地は英国、ドイツ、フィンランドで、なかでも英国ライヴにおける「Stevie’s Blues」は、スタジオテイクの原曲である初期ヴァージョンを収録。8分に及ぶスリリングなスロ-ブルースで、スティーヴがピアノを弾きながら旋律に合わせて即興で歌うパートも聴きどころ。また、スペンサー・デイヴィスの持ち歌「Dust My Blues」では、スティーヴが弾くソリッドなギターソロなど、ティーンエイジとは思えないパフォーマンスを披露している。 あと、ジャケットとディスクのレーベルの曲表記に誤りがあり、3曲目はスペンサー・デイヴィスの持ち歌である 「Midnight Special」と書いてあるが、実際はスティーヴ・ウィンウッドのヴォーカルによる「Midnight Train」が収録されている。 収録の全20曲中後半の5曲がウィンウッド兄弟脱退後の録音で、そのうちボーナストラックとして収録された「Mr. Second Class」と「Good Old Days」は、1997年にスペンサー・デイヴィスが、ベニー・デリンジャーらと共に制作したアルバム「Keep On Running」からの選曲。 “天才少年”スティーヴィーの歌と楽曲がいかんなく発揮されたアルバム。黒人ばりのシャウトしたヴォーカルには当時から驚かされた。選曲されたものは外せないものばかりでこの1枚で充分スペンサー・デイヴィス・グループを満喫できる。スティーヴには今でもこうした楽曲をやってほしい。
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『Hole In My Shoe』
シタールにフルートにメロトロン、おまけに少女の語り入り! サイケてんこ盛り。 1967年8月、トラフィックのセカンドシングルとしてB面「Smiling Phases」とのカップリングでリリースされた。デイヴ・メイソンの処女作で、イントロからシタールを大々的にフィーチュアしたサイケ風のラーガ・ロック。オリジナルアルバム未収録だが、両面とも現行のCDにはボーナストラックとして収録されている。 クリス・ウッドのフルートが凄くいい味出している。ファースト「Paper Sun」を上回る英国チャート第2位の大ヒットを記録したが、そのコマーシャルな曲調は、他のメンバーがバンドに求める音楽性とは異なっていた。最近のインタビューでデイヴは「かわいい曲だが自分の書く曲は好きになれなかった」と当時を回想している。(プロデュース:ジミー・ミラー) 間奏部での、デイヴが奏でるメロトロンをバックに語られる短い“朗読(Spoken Word)”は、クリス・ブラックウェルの継娘フランシーヌ・ハイマンが話している…。 [Francine Heimann]: I climbed on the back of a giant albatross 巨大なアホウドリの背にしがみつき Which flew through a crack in the cloud 雲の切れ間をすり抜けて To a place where happiness reigned all year round 永遠に幸福が覆う地へ Where music played ever so loudly そこは絶え間なく高らかに音楽の流れるところ Personnel: Jim Capaldi – drums, percussion, backing vocals Dave Mason – lead vocals, sitar, mellotron Steve Winwood – organ, backing vocals Chris Wood – flute, backing vocals
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『Straight Up』
イギリスのバンド、バッドフィンガーがバンド名を"アイヴィーズ"から変更して3作目にして、最高傑作と呼ばれるアルバム。 1971年1月よりジェフ・エメリックのプロデュースによりレコーディングを開始し、同年5月にはジョージ・ハリスンがプロジェクトに参加するが、最終的にエメリックは外され、トッド・ラングレンがプロデュースを引き継いだ。9.「Day After Day」ではジョージ・ハリスンがスライドギター、レオン・ラッセルがピアノを演奏しており、また、ジョーイ・モーランドによればハリスンは5.「I'd Die Babe」でもギターを弾いているという。ビートルズ譲りのメロディから、現在にまで繋がる胸キュン系パワー・ポップ・ナンバーが堪能できる。 本作は全英アルバムチャート入りを果たせなかったが、アメリカではBillboard 200で31位に達し、シングルカットされた、「Day After Day」はBillboard Hot 100で4位、「Baby Blue」も14位にチャート・イン。
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『Byrds』
1973年に発表された、オリジナルメンバーによるザ・バーズのリユニオン・アルバム。 プロデュースは、CSN&Yで成功を収めていたデヴィッド・クロスビーが務め、アルバムのコンセプトといったものはなく各メンバーが楽曲を持ち寄り、全編アコースティックな響きにバーズ特有のハーモニーがのる、'70年代前半の典型的なウエストコースト・ロックに仕上がっています。音的にはクリス・ヒルマンのフラットマンドリンがいい雰囲気を生みだしています。(Billboard 200チャート最高位20位) シングルカットされたジーン・クラークの1.“Full Circle”やロジャー・マッギンの2.“Sweet Mary”ニール・ヤング作の11.“(See the Sky) About to Rain”がフィーチャーされて秀逸ですが、個人的には、5.“Born To Rock'N'Roll”10.“Laughing”も好きでよく聴いていました。 7.“Cowgirl in the Sand”はカントリーっぽくアレンジされていて、本家ニールのヴァージョンと聴き比べるのも面白い。
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『STEVE WINWOOD』
トラフィック解散後3年の間、サルサ界のスーパー・グループ、ファニア・オールスターズのアルバム「Delicate and Jumpy」やツトム・ヤマシタのプロジェクト「GO」(いずれも1976年)への参加など、ちょっと意外なところに顔を出していたスティーヴ・ウインウッドの記念すべきファースト・ソロ・アルバム。 ベイジング・ストリート・スタジオで収録した「Hold On」、「Time Is Running Out」、「Luck’s In」、「Let Me Make Something In Your Life」の4曲は、リズムセクションにウィリー・ウィークス(b)とアンディ・ニューマーク(dr)を起用している。スティーヴはこの名コンビとジョージ・ハリスンのアルバム「George Harrison」(1979)参加時にも共演しており、またウィリー・ウィークスは、2011年のエリック・クラプトンとの来日ジョイントツアーにも同行していた。アルバム幕開けの1.「Hold On」は、マイナー調の渋めの曲で重心の低いグルーヴ感が心地よい。「GO」で共演したブラザー・ジェイムズがパーカッションで参加している。2.「Time Is Running Out」はスティーヴの真骨頂といえるブラックフィーリング溢れる名曲。リーボップがコンガ、ジム・キャパルディもパーカッションで加わり、リズミカルでファンキーなサウンドが展開される。ジムはバックヴォーカルにも参加、それにスティーヴの最初の妻ニコル・タコットもコーラスに加わっており、エンディングでの掛け合いもスリリング。 チッピング・ノートン・スタジオで収録した4.「Vacant Chair」は、アラン・スペナー(b)とジョン・サスウェル(dr)がリズムセクションを固め、ブラザー・ジェイムズがパーカッションで参加、ジュニア・マーヴィンがギターを弾いている。歌詞は親友のヴィヴィアン・スタンシャルが、元ボンゾズのデニス・コワンの死をきっかけに書いたもので、タイトルは葬儀で使われる花で飾られた椅子を指す。ヨルバ語による一節を挟むなど、ポップなサウンドのなかに異国情緒を感じさせる響きもある凝った内容。3.「Midland Maniac」は珍しく歌詞もスティーヴ自ら手掛けた単独作品で、緩やかな導入部からアップテンポへと展開するドラマチックな曲。ベイジング・ストリート・スタジオなどで収録されたピアノソロ音源をベースに、スティーヴの自宅にてドラムスを含むその他すべての楽器を独りで演奏し、移動式録音システムのアイランド・モバイルを用いて、マルチレコーディングにて完成させた。この制作のスタイルは完全自宅録音を試みたセカンドアルバム「Arc Of A Diver」(1980)への布石となっている。 本作がリリースされた1977年はちょうどパンク台頭期にあったが、スティーヴの作品は時流に反して完全にオーソドックスなスタイルを貫いていた。そのため話題性やシングルヒットなどとは無縁で、商業的には成功作とは言えない内容であった。しかしこれまでの長いキャリアと持ち前の才能は駄作を生み出すことを許さず、音楽的なバランス感覚と作曲センス、それに演奏テクニックは超一流といえる。スティーヴは「レコード会社からの要請に応じて制作した部分が大きかった」と述べていることから、必ずしも実力の全てを出し切った成果とはいえないかも知れない。にもかかわらずクオリティは非常に高く、トラフィックの雰囲気も随所に感じさせる渋い魅力を放つ傑作となっている。本作をソロ・アルバムのベストに挙げるファンが多いことにも頷ける内容で、決して風化することのない永遠の名盤。(Billboard 200 最高位22位)
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『TRAFFIC』
このアルバムは、制作に先立って、スティーヴ・ウィンウッド、ジム・キャパルディ、クリス・ウッドの3人はデイヴ・メイソンを説得し、再び4人でのレコーディングを実現させ、再び彼が脱退するまでのわずか9カ月のあいだに完成している。デイヴがトラフィックと再会したのは、ちょうど渡米していた1968年4~5月頃と思われ、互いにそれぞれ5曲前後の持ち歌があった。トラフィックに復帰したデイヴは、主にニューヨークのレコード・プラント・スタジオで録音することになった。デイヴとその他のメンバーとの音楽的な相違が如実に現れている点も、このアルバムの特徴といえる。スティーヴ、ジム、クリスの3人のペンによる曲と、まったく趣向の異なるデイヴの曲が交互に並ぶ本作を聴くと、それを明確に感じることができる。スティーヴが関わった曲は、R&Bをベースにした曲調にソウルフルなヴォーカルが絡むどちらかというと渋めの方向性、一方デイヴのほうはスワンプやフォーク寄りの曲調に、持ち前のキャッチーなメロディが際立っている。そんな両者が生み出したタイプの異なる作品が、絶妙なバランスをもって1枚のアルバムに共存し得たことが、成功の要因であったといえる。(全米17位、全英9位) ポップセンスに溢れるデイヴの曲「You Can All Join In」で幕を開ける。アコースティックギターをデイヴが弾き、リードギターとベースはスティーヴが担当、ジムのドラムズにクリスのテナーサックスも活躍する。雰囲気はガラリと変わってウィンウッド=キャパルディ作の「Pearly Queen」が続く。幻想的で黒っぽい雰囲気のメロディにシュールな歌詞も素晴らしく、トラフィック・ソングのなかでも突出した完成度を誇る名曲。4月にレコード・プラントにて録音されており、スティーヴはオルガン、ギター、ベースとマルチに演奏。エンディングのハーモニカはデイヴ。「Don’t Be Sad」はデイヴの作品で、泣き節のヴォーカルが曲調にふさわしい。デイヴはギターとハーモニカをプレイ、スティーヴはオルガンとソロで歌うパートもあり、デイヴのヴォーカルとのコントラストが面白い。スティーヴの黒っぽいハイトーンヴォーカルが冴える「Who Knows What Tomorrow May Bring」は、ジムのドラムズとパーカッションにスティーヴのオルガンがリード。クリスとデイヴは録音に携わっておらず、シンプルな曲構成に抜群のセンスを感じさせる。シングルヒットしたA面ラストの「Feelin’ Alright?」は、トラフィックのキャッチーな面を代表するデイヴ作フォーク・ポップの名曲。リードヴォーカルとアコースティックギターはデイヴ、ピアノとコーラスをスティーヴがバックアップする。 「Vagabond Virgin」はデイヴとジムの共作曲でリードヴォーカルもこの二人が歌う。リードとアコースティックギターはデイヴ、ピアノはスティーヴ、クリスはフルートを吹いている。「Forty Thousand Headmen」はデイヴが脱退していた1月にロンドンのオリンピック・スタジオで録音した曲で、ファーストアルバムの雰囲気と後期トラフィックのスタイルを合わせ持つような作品。クリスのフルートが幻想的な雰囲気を創りだし、スティーヴの物憂げなヴォーカルと解け合う。スレイベルとコーク缶の効果音もクリスによる。「Cryin’ To Be Heard」はドラマティックに盛り上がるデイヴの力作で、多彩な表情を見せるヴォーカルが素晴らしい。またスティーヴによる絶妙なバックヴォーカル、ハープシコード、オルガン、クリスのサックスなどが効果的な彩りを加えていく。儚いメロディのクラシカルな「No Time To Live」は、静寂に包まれた夜に奏でられる悲歌のような曲で、むせび泣くサックスと哀愁を帯びたスティーヴのヴォーカルとピアノが美しい。デイヴはオルガンで参加、オリンピック・スタジオで5月に録音された。最後の「Means To An End」はノリの良いカントリー風のナンバーで、ジムのドラムズとパーカッション以外の楽器とヴォーカルはスティーヴによる。ブラインド・フェイスのステージ・レパートリーにも加えられた。プロデューサーは前作『Mr. Fantasy』と同じジミー・ミラー。エンジニアはエディ・クレイマーに加え、グリン・ジョンズ、ブライアン・ハンフリーズ、テリー・ブラウンの名がクレジットされている。アルバムのデザインコンセプトはジム・キャパルディが担当している。
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