バブルの象徴 荒木師匠の時代

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1982M Mitsubishi Strarion
半年位前に近所のスーパーに鳥のモモ肉だけを買いにお遣いに行かされた際に20年以上以来振りにスタリオンを駐車場で目撃して興奮のあまり鳥肉売場へ行ったらどの部位を買えば良いのかを失念してしまいました。
バブル前夜にリリースされたクルマですが、トヨタのソアラ、日産レパード、いすゞピアッツア等と同時期生まれの自動車市場に活気をもたらし始めた存在と言えます。

1984M Toyota Crown
「いつかはクラウン」、マークII 3兄弟と同様に非常に良く売れてました。
マークⅡを始め国内のセダン市場が衰退する中でも唯一輸入高級セダンに対抗し続けて来たものの、矢付き刀折れ果てて2022年4月を以ってセダンボディの生産を停止せざるを得なくなってしまったことは、日本の自動車市場としても「終戦記念日」とも言えます。
これでトヨタでさえも、レクサスを除外すれば伝統的な4ドアセダンはカローラと本来は米国市場が主戦場の「分類:都市型スポーツセダン」カムリの2車種だけになってしまいました。

1988M Toyota Mark II
チェイサーとクレスタを合わせたマークII3兄弟のかつての月販台数は3万台前後もあったそうです。2回位しか連れていってもらったことの無い銀座のナイトクラブに倣ったワインレッドの内装色とルースクッションシートが大流行してました。所謂「アッシー君」の御用達であったと同時に、本当の真相までは定かではないものの、若手はカローラ・スプリンター、係長クラスがコロナ・カリーナ、課長クラスがマークII 3兄弟、部長クラスがクラウン、取締役ではセルシオというはっきり言って余計なお世話的なヒエラルキーがあったという記事を当時の自動車雑誌で目にしたことがあります。そんな阿呆みたいな車格のヒエラルキーがあった一方で「ワインレッドの肌触りの良いモケット表皮をふんだんに使用した内装は全ての車種で選択可能」ということは恐らくは「1億総中流」の流れを受けてのことだったからでしょう。
私は大好きでした「モケット」は何時の間にか廃れてしまいザラ目の「ジャージ」に置き換わってしまった時は非常にガッカリしましたが、ここ最近では感触の似てる「アルカンターラ」が選べる様になってきて胸を撫で下ろしています。
そんなお化けの様な存在でしたマークII3兄弟も90年代半ばからのミニバンやSUV、プリウスを筆頭としたハイブリッド車と軽自動車の攻勢には抗えず、ジリジリと販売台数を減らしていき2004年にはマークXとしてコンセプトを修正しながら若干息を吹き返したものの、2020年代を前に廃止されてしまいました。

1989M Nissan Cima
上の階に住んでいらした大家さんが乗っていました。豪快な255馬力のターボエンジン音とは結びつかないエレガントなデザインで500万円台でも良く売れていてCima現象という言葉が聞かれました。
その後はモデルチェンジを重ねる毎に販売台数を縮小しながら細々と30年超に渡り継続させて来たものの、遂に2022年での廃止が決定されました。
ライバルのトヨタクラウンでさえもセダンボディを止めざるを得ない所まで来てしまったということから、やむを得ない企業判断です。

1991M Mitsubishi Diamante
税制改正で3ナンバー車を身近にした三菱自動車渾身の一作と言える存在感のある高級車でした。
テレビで大竹まことが「ディアマンテ」と「みのもんた」が似てると言っていたことが何故か頭にこびりついています。ホンダのインスパイア等と同様で、次期モデルのインパクトがコストダウンの影響で弱くなったと同時にミニバン・SUVへの市場移行、更にはリコール隠しによる信用失墜もあって、フルラインナップメーカーとしての三菱自動車は終焉に向かいました。
しかしながら、アジア拡大と欧州撤退、日産との共同での軽自動車開発とPHEV等のコア技術・得意分野を活かした選択と集中による経営手法は個人的には非常に高く評価しています。

1990M Honda Accord Inspire
直列5気筒のFFミッドシップによる8頭身ボディが売りのアコード上級モデルの4ドアハードトップは、粉体成形本革調表皮と本木目を採用したインパネとドアトリム、航空機にも使われているハニカム構造基材のルーフトリム、スエード表皮のシートによる豪華さが決めてとなると同時に2.5lエンジンの3ナンバーモデルも追加され、日本市場では同等価格帯で販売されていたアコード及び菅原文太と山下真司によるほのぼのとしたCMが印象的だった意外には全く記憶に残らないアスコットの本家セダンシリーズを完全に駆逐してしまいました。逆にAcura Vigorのブランドネームで米国へもリリースされたこのハードトップモデルは大柄な米国人にとっては狭過ぎたせいで全く売れず、セダンのアコードに人気が集中しました。
バブル崩壊後の1995年発売の次期モデルは、3.2lのV6エンジンが追加設定されたものの内装材もチープなものへ置き換えられてミニバンブームにも押されてしまい、販売台数を大きく落としてしまいました。
現在では「インスパイア」というブランド名は中国の東風ホンダで生産されているアコード(広州ホンダ製)の姉妹車として活用されています。

1998M Nissan Cedric Classic SV(Y31)
最近近所を走っているセドリックのタクシーのプロポーションの良さに気が付きましたと同時に昨今の日本製セダンの衰退理由も何となく想像出来ました。
四角いフォルムと長いトランクの存在がはっきりとした典型的な3ボックスに横長のテールランプの組み合わせはまさにThe Sedanと言えるものです。
このミニカーは1998モデルですが、Y 31セダンは1987年に発売されて営業車用としては2014年までの27年間に渡って生産されていた日本のトラバント(東ドイツ車)の様な存在です。このスタイルに感銘を受けるということは徐々に年寄世代に足を突っ込み始めているのかも知れません。

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