ちょっと気になり、買いました⑨

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1976M Toyota Corona Mark II Sedan 2600 Grande
1976年の時点でジャガーを連想させる高級感溢れた伸びやかなフォルムを実現させたデザインは従来のコロナ派生感を払拭するのに成功しました。
上位のクラウン同等の直列6気筒2600ccエンジンと高級クラブのソファの様に肌触りの良いモケット張の内装は中産階級の琴線に触れることとなり、バブル期に向けての飛躍の第一歩となりました。

1980M Toyota Celica Camry 2000GT
発売時のキャッチコピーは「分類:都市型スポーツセダン、男30、GTアゲイン」、1980年当時はスポーツカーのハンドルを握っていた走り屋さん達も30歳時点では子育てまっしぐらの時期に突入しており、おとなしいファミリーセダンに乗らざるを得ない状況でした。そうしたスポーツカーを諦めざるを得なかった男達の期待に応えるべく用意されたのが、セリカの4ドアセダンとしてツインカムエンジンが搭載されたカムリのGTグレードで、カリーナの車体にトヨタ2000GT同様のT字形フロントグリルを組み合わせつつ、四輪独立サスペンションも採用されました。
当時の30歳は昭和25年生まれに相当しますので、もうそろそろ後期高齢者になろうかという団塊世代の最終、果たして「GTアゲイン」と思い起こしているせいなのかどうかは判りませんが暴走老人事故もちらほら出始めています。
一方で現在の30歳はと言えば、失われた30年の影響の煽りを受けて給与も上がらないせいで結婚及び子供を儲けるのはまだまだ先のこと、それどころかクルマを持つ余裕むしろ興味も全く無いという有様。。。
カムリも販売不振で国内販売打ち切りが確定し、大トヨタを持ってしてもセダンのラインナップを維持出来ないのは非常に寂しく感じられます。

1996M Honda CR-V
1年程前に先行発売されたトヨタのRAV4に続いて乗用型ライトクロカンという新たな市場を切り拓き、その後はホンダ車としては世界市場で最多の販売台数を誇る屋台骨へと成長しました。
オデッセイ譲りのウォークスルーレイアウトによる広大な室内空間と荷室を両立しつつ、非常に取回しの良いサイズ感と低燃費と軽快な走行性能といった要素が受けて、想定以上の大人気となりました。そのため当初の鈴鹿製作所に加えて狭山製作所でも生産される様になり、「フレキ生産」の先駆けともなりました。

1986M Toyota Soarer 2000GT Twin Turbo
1980年代の幕開けと同時に圧倒的な人気を誇った初代ソアラの後継モデルはスーパーホワイトの車体色を始めとするキープコンセントのスタイリングに更に強化された2種類のツインカムターボとダブルウィッシュボーンのサスペンションでグランドツーリスモとしての地位を向上させたことから更なる人気車となり、マークII三兄弟等と共にバブル期の頂点を極めていました。
誰しもが憧れていたという絶好調を誇っていたにも関わらず、3代目となる時期モデルは米国レクサスSCとして展開させる為に、日本人の感性とはかけ離れたデザインを採用した為に自滅、バブル経済の崩壊とも同時に誰からの注目も集めることの無い存在へと落ちぶれてしまい、更に4代目では実用性ゼロの高いだけのオープンカーとなってしまったこともあって、廃止の憂き目に遭いました。

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