ちょっと気になり買いました③

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1981M Isuzu Piazza
1960年代後期から80年代初頭の長きに渡って販売が継続された117クーペの後継として発売されたピアッツアはSenior感覚が売りの高級スペシャリティーカーでした。117クーペと同様のイタリアの有名デザイナーのジウジアロウによるデザインは21世紀の今日においても通用する一方で、70年代中盤のジェミニベースのエンジンと足回りは発売時点で時代遅れでした。
その後、エンジンについては新世代のアスカより流用されたターボエンジンへ換装されて、イルムッシャ-やハンドリングバイロータスのスペシャルバージョンへと発展して人気を集めました。

1967M Isuzu Florian
兄弟車の117クーペと1960年代後半から1980年代初頭にかけて長らく販売されていたいすゞのセダンで、晩年は三菱デボネアと共にシーラカンスと称されていました。
1977年にはいすゞ自動車得意のDieselエンジンを搭載することで、沈没状態から息を吹き返して最後に一花咲かせていました。文金高島田の日本髪のままでも乗車可能とされていた後席の居住性は正に正統派セダンの面目躍如といった所です。

1967M Isuzu 117 Coupe
いすゞフローリアンのクーペ版で、初期モデルはハンドメイドの超高級車でした。中後期の量産型でもジウジアロウの手による流麗なデザインに色褪せる気配は無く、1.6リッターエンジンは1.8リッター、2リッターへと強化されると同時に年を追って厳しくなる排ガス規制にも関わらずツインカムエンジンを維持し続けました。
今日ではトラック専門メーカーとして経営資源を集中するいすゞ自動車ですが、かつては優れた技術を散りばめた渾身の芸術作と呼べる乗用車を世に送り出していました。

1982M Mitsubishi Cordia Turbo
1980年代初頭の三菱自動車は、軽自動車から高級車までのフルラインターボを売り物にする等、非常に勢いが感じられました。その中核を担う新型モデルが、「スペースクーペ」と呼ばれたコルデイアと「ブレザー感覚で乗れる!?」セダンのトレデイアで、エアスクープの付いたボンネットの下には1600ccのターボエンジンが搭載されていました。
コルデイア、トレデイアともに位置付が不明確ということもあってセールス的には不成功でしたが、コルデイアのデザインはいすゞのピアッツアに通じるものがあったと思います。

1982M Mitsubishi Mirage II Turbo
中学から高校にかけての趣味は新車の発表展示会に足を運ぶことで、免許取得前の頃ということで助手席で試乗させてもらいました。信号でミラージュターボの横にRX7が並び、青信号と同時の両車横一線の加速には興奮させて頂きました。スーパーシフトという副変速機による8速ギアチェンジを駆使したシフトワークは非常に格好良く見えました。その2年後に免許取得後に自らハンドルを握っての次期モデルの速さを身をもって体験出来た時には大きな喜びを感じました。

1986M Skyline Coupe GTS
7th スカイラインの4ドア発売から1年遅れで発売された2ドアクーペGTSは、当初の4ドアモデルでの熟成不足によるネガを完全に潰し込むことに成功していたことから、全く別の車種とも言われてました。
当時の巨大勢力であったマークII3兄弟には無かった2ドアクーペはそれまでの不振を払拭させて、歴代モデルの中では最多の販売台数へ引き上げることに成功しました。

2003M Volkswagen Phaeton
旧東ドイツのDoresdenにあるガラス張りの非常に綺麗な工場で生産されていたVolkswagenの最高級車です。
主戦場と想定されていた米国市場でシンプル過ぎるデザインのVolkswagenの人気が盛り上がらないこと、欧州に於いてはグループ内にAUDIという高級ブランドを抱えていることもあって、中途半端な存在で終わってしまいました。
現在ではArteonとSUVのAtlasにその後継を担わせて、一応の成功を見ている様です。

1978M Honda Accord Saloon
シビックの上級車として非常に格好良く見えた3ドアハッチバックで船出したアコードの4ドアサルーンを最初に見た時は、後方トランクを取って付けた様なデザインに思わず脱力感を感じました。
セダンはオマケの存在なのかなと思いきや、2代目ではダックテールが強調された直線基調の優れたデザインを持つセダンの方に人気の軸足が移り、3代目では低いボンネットにリトラクタブルライトとツインカムエンジンを備えたスポーツセダンへ発展、また米国市場でのベストセラーとしてホンダの屋台骨を支える存在となりました。

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