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童夢 S101 JUDD RACING FOR HOLLAND #9 24HEURES DU MANS 2001
#minichamps #dome #童夢 #judd #ジャド #lemans #ルマン #france #フランス
9 LE MANS 1/43 童夢 RACING FOR HOLLANDsennakazu
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TOYOTA TS050 HYBRID TOYOTA GAZOO RACING #8 WINNER 24H LE MANS 2019
トヨタ・TS050 HYBRIDは、トヨタ自動車(トヨタ・モータースポーツ)が2016年のFIA 世界耐久選手権 (WEC) 参戦用に開発したプロトタイプで、トヨタ・TS040 HYBRIDの後継モデルにあたります。 トヨタのル・マン24時間レース初参戦から33年目にして初のル・マン総合優勝車であり、日本車としてもマツダ・787B以来の優勝車となりました。 トヨタは2014年にTS040を投入してWECのチャンピオンに輝きましたが、2015年は資金を大量投入したポルシェ・アウディの競争レベルから取り残されたため、2016年に向けて開発計画の見直しを迫られました。 2015年の第3戦ル・マン24時間レースの頃には新車開発を決断し、開発リーダーの村田久武氏のもと、約10カ月という短い期間でTS050を開発、2016年ル・マン24時間レースの初制覇を目標設定として進めて来ました。 前後輪にモーター・ジェネレーター・ユニット (MGU) を搭載する四輪ハイブリッド方式は変わりませんが、パワートレイン関連は一新され、燃料流量と燃料の総エネルギー量が約7.5パーセント削減される新レギュレーションに対応し、エンジンは3,700 ccのV8自然吸気 (NA) から、2,400 ccのV6直噴ツインターボへ変更されました。 このエンジンはトヨタの東富士研究所で開発され、F1のパワーユニット同様副燃焼室(プレチャンバー)技術が採用されており、蓄電装置は充放電のレスポンスに優れるスーパーキャパシタから、蓄電容量の大きいハイパワー型リチウムイオン電池に変更され、ル・マン1周あたりのエネルギー放出量では4段階のうち最大の8メガジュール (MJ) を選択。本来、これらの技術は2017年以降に順次投入される予定でした。 トヨタは2015年より「TOYOTA GAZOO Racing」の統一ブランドでモータースポーツに参戦することを発表していたため、カラーリングもTS030以来の白×青パターンに代わり、GAZOO Racingの白×赤×黒パターンにイメージチェンジを行いました。 2016年シーズン、第3戦ル・マン24時間レース決勝はトヨタの2台とポルシェ・919(2号車)がスプリントレース並みの接戦を続けましたが、ポルシェより1周分多く周回するトヨタが、最終盤で計算上ピット一回分のマージンを稼いでいましたが、しかし終盤、プッシュしていたトヨタ6号車の小林可夢偉選手がスピンして脱落。最後の30分でポルシェ2号車がピットインし、トヨタ5号車が1分半のリードを保ち栄光のチェッカーを目指しましたが、残り6分、5号車の中嶋一貴選手から“I have no power!”と無線が入り、200 km以上の速度を出すことが出来なくなってしまう。残り4分30秒の時点でポルシェ2号車とのギャップは37.580秒に迫っており、トヨタ陣営はマシンをピットに入れるかコースに残すか迫られ、トヨタはマシンをコースに残すことを決断し、マシンの再起動を試みましたが、ピット前に停車した数秒後にポルシェ2号車が通過し、トヨタ5号車は首位から脱落しました。結果、レースの大半をリードしたにもかかわらずポイントを獲得することは出来ませんでした。 トラブルの原因はエンジン左バンクのコンプレッサーとインタークーラーをつなぐカーボン製のパイプが脱落し、過給圧が低下したためと判明、この部品は17,000 kmのテストをパスし、レース前に新品に交換していたにもかかわらず、問題が発生してしまいました。 2017シーズン、第3戦ル・マンでは練習走行、予選、決勝から優れたペースを見せ、特に予選では小林可夢偉選手が従来のコースレコードを2秒縮めるという成果をあげました。決勝でも前半を1-2体制で走り続けましたが、8時間ほどで2位の8号車はトラブルにより長期ピットイン。1位の7号車は、10時間経過後の夜間のセーフティカー走行中にピット出口の赤信号で待機していたところ、マーシャルと同じ黒・オレンジ色のレーシングスーツを着たアルガルヴェ・プロ・レーシングの地元ドライバー、ヴァンサン・キャピレール(フランス語版)が駆け寄ってきて親指を立ててエールを送った。しかしこれを搭乗していた小林が発進の合図と勘違いし、慌ててピットが無線で小林を制止。この結果想定していない手順で発進してしまい、クラッチを破損。しかもこのトラブルの発生は、セーフティーカー走行が終了したホームストレート上でスローダウンしたことにより発覚、結果ピットには還れずリタイアとなってしまいました。残った9号車も、オープニングラップでバイコレスが落下させたパーツで右カウルを破損したり、ドアが開いてしまうなどのトラブルに見舞われており、それでも7号車のリタイア時にはトヨタ勢最上位となっていたものの、直後にホームストレート上でLMP2の追突を受け、右リアをバースト。ズルズルと這う様に走りながらピットへの帰還を試みましたが、ピット進入口でわずかに届かずリタイアとなってしまいました。 この年のル・マンは結局、先にトラブルに見舞われた8号車が最後まで生き残り、総合9位(クラス2位)で終わりましたが、総合3位でフィニッシュしたネルソン・ピケJr.選手、デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン選手、マティアス・ベシェ選手がドライブを担当したLMP2クラスの13号車バイヨン・レベリオンがレース中に違反行為をしたため失格処分となり、総合8位に繰り上がりました。このレース後、現地に訪れていたトヨタ自動車社長の豊田章男氏は、ドライバーに「思い切り走らせてあげられなくてごめん」と謝罪する声明を出す一方、チームを「クルマを速くするだけではルマンには勝てないんだ! 我々には“強さ”がない! 強いチームにはなれていない!」と厳しく叱責しました。 2018年〜2019年の変則的なスケジュールで行ったシーズン、2度のル・マンを行うこととなったが、2018年6月の第2戦ル・マンでは、中嶋一貴選手が2014年以来2度目のポールポジションを獲得。決勝ではトヨタはライバルより1ラップ2秒以上速く走り、終始レースを支配しました。8号車は一時7号車にトップを奪われ、ペナルティで2分以上遅れましたが、その後フェルナンド・アロンソ選手の鬼神のような速さや黄旗のタイミングなどもあり、8号車がトップに返り咲きました。また小林可夢偉選手がピットインし忘れてガス欠の危機に陥いりましたが、徹底した対トラブル訓練により事なきを得ました。最後は中嶋と小林がランデブー走行でチェッカーを受け、トヨタは30年越しの悲願の総合優勝を果たしました。日本車としてのル・マン総合優勝はマツダ・787に次ぐ2例目、日本人は荒聖治選手に次ぐ3例目ですが、日本車と日本人の組み合わせでの総合優勝は史上初で、日本車又は日本人の1-2フィニッシュもまた史上初となりました。 なおレース展開やレギュレーションの違いもあって一概に比較はできないが、8号車の記録した周回数388は、TS050が戦ってきたポルシェ・919ハイブリッドの2016年の384周、2017年の367周を凌ぐ数字であり、トヨタがトヨタ・TS010で参戦した1991年以降では2010年のアウディ・R15 TDIによる397周、2015年のポルシェ・919ハイブリッドの395周に次ぐ三番目に多い周回数になりました。 このモデルである2019年6月の最終戦となる第8戦ル・マンでは、7号車がポールポジションを獲得したが、コース上でスピンしたマシンと衝突してしまい、モノコックの交換を強いられました。 決勝でも7号車が終始トップを走っていたものの、残り1時間で右リヤタイヤがパンク。しかもそのタイヤ交換のためのピットインで、誤って右リヤではなく右フロントタイヤを交換するミスを犯してしまい、これはモノコック交換時の配線ミスが要因でした。そのため再度のピットインが必要となり、結果として大半のリードを築いていたにもかかわらず8号車に逆転を許してしまい、最終的に前年同様に8号車がトップでゴールし2連覇を達成、同時に同車を駆るセバスチャン・ブエミ選手/中嶋一貴選手/フェルナンド・アロンソ選手組が2018 - 2019年のシリーズチャンピオンを獲得しました。これによりブエミは2回目、中嶋とアロンソは初のシリーズチャンピオンとなりました。 2019年〜2020年シーズンは、秋に開幕し翌年夏のル・マンで閉幕することになりました。 しかしコロナ禍のため2020年6月開催が9月に延期され、尚且つ無観客で行われた第7戦ル・マン24時間レースは、7号車がポールポジションを獲得。8号車は3番手からスタートしました。7号車のスタートを担当したマイク・コンウェイ選手は、3番手からスタートした8号車が2番手からスタートした1号車レベリオンとの2位争いをしている間に後続とのマージンを広げていき、8号車は1号車レベリオンをかわし2位へ浮上しましたが、1時間が経過したところで左リアタイヤのパンクに見舞われピットインしたため4位へ後退したものの、その後レベリオン勢をコース上で交わし2位へ復帰しました。 その後、2台のバトルは続き、ピットインロスやセーフティーカーのピットタイミングなどで8号車が首位に立ちますが、7時間が経過したところで8号車がブレーキ温度上昇のトラブルに見舞われ、再び7号車が首位に立ち、8号車は3位でコースに復帰しました。8号車は前を行く1号車レベリオンをオーバーテイクし、再びトヨタが1−2体制を築きましたが、しかし12時間が経過した頃、小林がドライブしていた7号車が排気マニホールドの破損による出力低下に見舞われ修復作業に30分を要し、3位の3号車レベリオンから4周遅れの4位でコースに復帰しました。 そして、2位以下に十分な差を広げた8号車がペースをコントロールしながら周回を重ねていき、最終的には差が5周まで広げていきました。 一方の7号車はレース復帰後追い上げ続け、ライバルの3号車レベリオンが残り1時間でクラッチトラブルによりガレージで修復作業に時間を要したことで3位に浮上、2位の1号車レベリオンから1周遅れでの3位表彰台を獲得しました。 この結果、8号車がル・マン3連覇を達成。これによりTS050で3回目のル・マン優勝となり、同時にTS050にとって最後のル・マンとなりました。また、この優勝により、トヨタが本年度のチームタイトルを獲得しました。 #spark #toyota #トヨタ #lemans #ルマン #france #フランス #
8 LE MANS 1/43 TOYOTA GAZOO RACINGsennakazu
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TOYOTA TS030 HYBRID #8 TOYOTA RACING LE MANS 2012
トヨタ・TS030 HYBRIDは、トヨタ自動車(TMG)が2012年のル・マン24時間レースおよびFIA 世界耐久選手権(WEC)参戦用に開発したプロトタイプです。 TS030 HYBRIDはトヨタF1チームの活動母体であったドイツのTMG(Toyota Motorsport GMbH、現TOYOTA GAZOO Racing Europe)を拠点として開発されました。名称は1990年代にル・マンに参戦していたTS010、TS020の実質的な後継機という位置づけであり「TS」は「TOYOTA Sport」の頭文字であるとされています。 最大のポイントは、トヨタのプロトタイプレーシングカーとしては初のハイブリッドカーとなっている点で、このパワートレインは、トヨタの量産車向けのハイブリッドシステム(Toyota Hybrid System、THS)の開発チームの協力を得てトヨタ東富士研究所のモータースポーツ部が開発したもので、「THS-R (TOYOTA Hybrid System - Racing)」と命名されています。 エンジンはTMGがレベリオン・レーシングに供給しているRV8K-LMとは異なる、新設計の3.4 L・V8自然吸気ガソリンエンジンを搭載し、これにバッテリーではなく、日清紡ホールディングスと共同開発した電気二重層キャパシタ (EDLC) を組み合わせるシステムとなっており、キャパシタはコクピット内部の助手席の位置に搭載されています。 エネルギーの回生と力行(駆動)を行うモーター・ジェネレーター・ユニット (MGU) は、リアのギアボックス内部にデンソー製を搭載しており、また、設計段階では選手権のレギュレーションが確定していなかったため、フロントにもアイシンAW(現:アイシン)製のMGUを搭載していました。 しかしその後「回生は前後いずれかの2輪のみ、放出も回生と同軸で行うこと」と決められたため、後輪での回生/力行を選択しました。同じくハイブリッドプロトタイプで前輪をモーター駆動するアウディ・R18 e-tron クアトロと違い、モーター使用制限速度(120 km/h以上)は定められていませんでした。 シェイクダウン時とレースデビュー時では、フロントライトの形状やフロント周りのエアロデザインが変更されています。また、ボディカラーも赤と白の2色から「トヨタ・ハイブリッドブルー」と呼ばれる青と白の2色へイメージチェンジを行いました。 エアロパッケージはル・マンではロードラッグ仕様で、その他のレースではハイダウンフォース仕様を装備しており、レギュレーションのリアフェンダーの解釈を拡大して、リアウィングの両脇に小型のウィングレットを追加したのが特徴です。 初年度の2012年は、アレクサンダー・ブルツ選手、ニコラ・ラピエール選手、中嶋一貴選手の3名がレギュラードライバーとして起用されるほか、ジュニアドライバーとしてアンドレア・カルダレッリ選手と契約を結びました。ル・マンでは2台目のドライバーとしてアンソニー・デビッドソン選手、石浦宏明選手、セバスチャン・ブエミ選手の3名が加わる予定でしたが、石浦がテスト時に背中を痛めたことからステファン・サラザン選手に交代をしました。チームはフランスのオレカをパートナーにした混合編成となりました。 デビュー戦となったWEC第3戦のル・マン24時間レースでは予選から速さを見せ、決勝も順調に2、3位を走行し一時トップを走行するアウディ1号車をオーバーテイクする健闘を見せるも、直後に8号車が周回遅れのフェラーリ・458イタリアに接触され宙を舞う大クラッシュを喫してリタイア、その際、運転していたデビッドソンが脊柱を損傷してしまいました。 もう一台の7号車は、セーフティーカーラン後のリスタート直後に中嶋のミスにより周回遅れの日産・デルタウイングと接触し、パンクとリアカウルの破損を負い、修復後も走行を続けましたが、スタートから約10時間半にエンジントラブルが発生し、134周を消化したところでリタイアとなってしまいました。 WEC初年度のトヨタ・レーシングは、ル・マンからの6戦中3度の優勝、3回のポールポジションと4回のファステストラップを記録し、ドライバーズチャンピオンシップでは6戦全てに参戦したブルツとラピエールが3位を獲得しました。 (参照ウィキペディア) #spark #toyota #トヨタ #lemans #ルマン #france #フランス #
8 LE MANS 1/43 TOYOTA RACINGsennakazu
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SCG003C SCUDERIA CAMERON GLICKENHAUS TEST CAR 2015 ⑤
私の大好きなスクーデリア・キャメロン・グリッケンハウス(SCG)が、独自開発してきた初のスーパーカーの第5弾です。 (詳細は、第1弾を参照願います。) 私のグリッケンハウスのコレクションの中で唯一のテストカーモデルです。F1もそうですが、テストカーは迷彩カラーが多く、詳細がわからないようにしていますが、それがまたカッコよく、引き立ちますね! #spark #SCUDERIA #CAMERON #GLICKENHAUS #スクーデリア #キャメロン #グリッケンハウス #usa #アメリカ
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RENAULT ALPINE A443 24H LE MANS 1978
ルノーは1977年のF1世界選手権にV型6気筒ターボエンジンでデビューし、そちらに重点を移したくなっており、早めにル・マン24時間レースで勝利したいと思っていました。 ポルシェ・936は、ここまでアルピーヌルノー・A442に対して勝利を続けていたものの、ポルシェとルノーの争いはエスカレートし、ポルシェはエンジンヘッドを水冷4バルブとした2,142ccエンジンを用意し、ポルシェ・936/78に搭載して投入。 ルノーは従前1,997ccだったエンジンをレギュレーション上限の2,138ccに拡大し新型のアルピーヌルノー・A443に搭載したほか、1,997ccエンジンを搭載したアルピーヌルノー・A442Bを1台、アルピーヌルノー・A442を2台、合計4台にて1978年のレースに臨みました。 レースは、全55台が出走しました。 アルピーヌルノー・A443はユノディエール最高速度367km/hを記録、決勝ではルノーが先行し、ポルシェはエンジンやターボにトラブルを起こして遅れたましたが、しかし新型ルノーも午前10時にピストントラブルを起こしてリタイアしてしまいました。 結果、17台が完走し、ディディエ・ピローニ/ジャン=ピエール・ジョッソー選手組の乗るアルピーヌルノー・A442B、2号車が24時間で5044.530kmを平均速度210.188km/hで走って優勝しました。 ルノーはこのレースに勝利しただけでなく、ターボ係数が2と高く、他の誰もターボエンジンで戦おうとは思わなかった当時のフォーミュラ1において倍の排気量のマシンと戦う上で貴重なノウハウを得て撤退、この後フォーミュラ1の常識を変えていくことになります。(参照ウィキペディア) 風が流れるようなフォルム、そして大口径の吸気口、なんでこんなにカッコいいのでしょうか! #minichamps #renault #ルノー #alpine #アルピーヌ #lemans #ルマン #france #フランス
1 LE MANS 1/43 RENAULT SPORTsennakazu
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AUDI R18 E-TRON QUATTRO #1 AUDI SPORT TEAM JOEST WINNER LE MANS 2012
アウディ・R18は、アウディがR15 TDIの後継として2011年に開発したプロトタイプでのレーシングカーで、2011年はR18 TDIとして参戦し、2012年より改良型のR18 ウルトラと、ハイブリッドシステムを搭載するR18 e-tron クワトロへと交代しました。 2012年モデル アウディが持つ四輪駆動技術「クワトロ」と、開発中の電気自動車システム「e-tron」の名を冠したハイブリッドプロトタイプレーシングカーで、後輪をディーゼルエンジンで駆動し、前輪をボッシュ製のモーター・ジェネレーター・ユニット (MGU) 2基で駆動します。 制動時にフロント回生ブレーキで発生した電気エネルギーは、コクピット内部の助手席に置かれたフライホイール・バッテリーに運動(回転)エネルギーとして保存され、放出時には逆のルートをたどって前輪を駆動します。システムはウィリアムズ・ハイブリッド・パワー (WHP) 製で、アウディの前にはポルシェが911 GT3 Rに搭載してニュルブルクリンク24時間レースに出場しています。カーボン製のフライホイールは最高45,000 rpmで回転するため独特の高周波音を発し、最大360 kJを貯蔵可能にします。 TDIエンジンの出力は375 kW (510 PS) 以上、そしてモーターの最高出力は75 kw(×2基)なので、一度に500 kJ(規定値)を放出可能にしました。 4輪駆動は車体のトラクションを向上させることに繋がるため、回生エネルギーの使用可能速度は120 km/h以上に制限されました。 WECへのエントリーは、開幕戦セブリングにR18 TDIの改良型を3台、第2戦スパと第3戦ル・マンにR18 ウルトラ・R18 e-tron クワトロの両車を2台ずつ、第4戦シルバーストーンと第5戦サンパウロにR18 ウルトラとR18 e-tron クワトロを1台ずつ、第6戦バーレーン以降はR18 e-tron クワトロを2台で戦いました。 シリーズ開幕から4連勝し、第3戦ル・マンでは前年の優勝トリオが乗るこのモデルのR18 e-tron クワトロ1号車が総合優勝を果たしました。これはル・マンにおけるハイブリッドマシンでの初優勝となりました。2位はR18 e-tron クワトロ2号車、3・5位はR18 ウルトラの2台という完勝でした。 しかし、ル・マンから参戦開始したトヨタ・TS030 HYBRIDが強力なライバルとなり、後半4戦はトヨタに対して1勝3敗という成績でしたが、最終的にはLMP1クラスのマニュファクチャラーズチャンピオン獲得、ドライバーズランキング1〜4位独占という大成功を収めました。 (参照ウィキペディア) 2012年のル・マンで初めてこのマシンを見た時、斬新なフロントマスクと、ホワイトとシルバーをベースにしたカラーリングに一目惚れ、予約開始と同時にポチッをしてしまいました。 #spark #audi #アウディ #germany #ドイツ #lemans #ルマン
1 LE MANS 1/43 AUDI SPORT TEAM JOESTsennakazu
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PORSCHE 956L 3rd 24H LE MANS 1983
1983年のル・マン24時間レースは、51回目のル・マン24時間レースであり、1983年6月18日から6月19日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われました。 暫定的なクラスがなくなり、グループBとグループCによるすっきりしたクラス分けになりました。そして、サイズはグループCと同じですが燃料タンク容量55リットル、最低重量700kgのグループCジュニアがクラスとして新設されました。 グループC ポルシェは前年の優勝車ポルシェ・956のカスタマースペックを市販し、さらに性能向上を図ったワークス3台を含めて11台が出場することとなりました。 また、フェラーリV型8気筒ターボエンジンを搭載したランチア・LC2などグループCの車両が各社から登場しました。 グループCジュニア マツダはこれまでのマツダ・RX-7ベースでないレース専用車、マツダ・717Cを製作し、チーム名「マツダスピード」を登記しレース専門会社となっての参戦となりました。またマツダのエースドライバーで西のレース拠点だった片山マツダの片山義美選手が参加したことは、東のレース拠点だったマツダオート東京がしていたル・マン挑戦をマツダが正式にオーソライズしたことを示しました。 出走は51台で、グループC車両の多くは全くポルシェ・956についていけず、トラブルを起こしては大きく遅れ、またリタイアし、4時間目の時点ではポルシェ・956がトップ10を全て占めていました。 ワークスポルシェの1号車ジャッキー・イクス選手がプライベーターのポルシェにミュルサンヌコーナーで追突されて大きく後退したものの、ガス欠寸前まで給油しないで引っ張る凄まじい追い上げを展開し、4時間目の時点でプライベーターのポルシェ全てを追いぬいて周回遅れながら3位に順位を上げ、前年予選最高タイムとほぼ同じ3分29秒7を記録して追い上げました。 結果 完走は20台で、ヴァーン・シュパン/ハーレイ・ヘイウッド/アル・ホルバート選手組のポルシェ・956、3号車は24時間で5,047.934kmを平均速度210.330km/hで走って優勝しました。 結局、ポルシェ・956はジョン・フィッツパトリック選手の11号車が燃料ポンプのトラブルで11時間目に、ワークスの2号車がエンジントラブルで21時間目にリタイアしたのみに留まり、9位のザウバー・C7を除いてトップ10全てポルシェ・956が占める快挙を達成しました。 前年と違いポルシェ同士の競争でペースが上がり、このモデルであるプライベーター最高位となった3位のクレマーは前年の優勝車より走行距離で63km上回り、4位のヨーストも28km上回った。厳しい燃費規制の下で5,000kmを超え、しかもモトロニックは進歩途上であったことは、年ごとに進歩するポルシェの技術を明確にしました。 (参照ウィキペディア) とにかく、この頃のレーシングカーは、このポルシェもそうですが、マツダもランチアもとてもカッコ良くて美しいです。 なので、ネットで見かけると、すぐにポチッとしてしまいます。あかんですね。。 #minichamps #porsche #ポルシェ #lemans #ルマン ###
21 KENWOOD LE MANS 1/43sennakazu
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NISSAN R390 GT1 “JOMO” #33 黒澤琢弥 本山哲 影山正美 10th LE MANS 1998
日産・R390は、日産自動車が1990年代後半にル・マン24時間レースのために、トム・ウォーキンショー・レーシング (TWR) の協力のもと開発されたスポーツカーで、名称は、かつて1960年代の日本グランプリで活躍したプリンス・R380 - 日産・R382、及びR383の系列として名づけられました。 ル・マン24時間レースには1997年に初参戦し、予備予選ではクラス1位を獲得する順調なスタートでした。しかし、リアトランクの仕切りをメッシュ製とした構造に対し、市販車と同様のトランクスペースを設けるようにと指摘され、そこで急遽トランクを密閉構造の箱形に変更しましたが、ギアボックスの冷却が阻害されるトラブルが発生し、残念ながら総合12位と結果を残せませんでした。また、日産とTWR間のコミュニケーションの問題も露呈してしまいました。 翌1998年の参戦時には、前年型マシンの弱点であったギアボックス冷却の改善、ロングテール化などの空力改善、TCSやABSなどを導入するなどし、性能を向上させました。さらに日産とTWRの連携を確実にしてチーム体制を更に強化しました。そして堅実な周回ペース戦略により、星野一義・鈴木亜久里・影山正彦の各選手がドライブする32号車が総合3位を獲得し、また、このモデルであるノバエンジニアリングからJOMOのスポンサードによってエントリーした前年度の車両をアップグレードした33号車が10位、30号車が5位、31号車が6位と、エントリーした4台が全車10位以内で完走する好成績を残しました。(参照ウィキペディア) #ixo #nissan #日産 #lemans #ルマン #france #フランス
33 LE MANS 1/43 影山正美sennakazu
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NISSAN R390 GT1 “CALSONIC” #32 星野一義 鈴木亜久里 影山正彦 3rd LE MANS 1998
R390GT1は、日産がル・マン制覇を目標に製作した本格的なGTカーです。初挑戦となった1997年は総合12位でしたが、1998年は、星野一義選手/鈴木亜久里選手/ 影山正彦選手組の32号車が総合3位、30号車が5位、31号車が6位、33号車が10位と、エントリーした4台が全車10位以内で完走する好成績を残しました。 #ixo #nissan #日産 #lemans #ルマン #france #フランス
32 LE MANS 1/43 CALSONIC NISSANsennakazu
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AUDI R10 #1 WINNER LE MANS 2007
アウディ・R10 TDIは、アウディがル・マン24時間レースへの参戦を目的に、R8の後継として開発した、耐久レース専用のプロトタイプレーシングカーです。 なお、TDI (Turbocharged Direct Injection) とはフォルクスワーゲングループの直噴式ターボディーゼルエンジンの技術名称です。 2005年12月13日発表され、開発及びチーム運営にヨースト・レーシングが係わり、ダラーラにより製作された。エンジンは5.5 Lの水冷V型12気筒(バンク角90度)ディーゼルに、アルミニウム製のツインターボで過給を施しています。 2006年のル・マン24時間レースでデビューし、ディーゼルエンジン車初の総合優勝を果たす。 2007年の結果は、1位 アウディ・スポーツ・ノース・アメリカ - #1:F. ビエッラ/E.ピロ/M.ヴェルナー各選手 リタイア アウディ・スポーツ・ノース・アメリカ - #2:R. カペッロ/T. クリステンセン/A. マクニッシュ リタイア アウディ・スポーツ・チーム・ヨースト - #3:L. ルール/A. プリマット/M. ロッケンフェラー。 (参照ウィキペディア) #ixo #audi #アウディ #germany #ドイツ #france #フランス
1 LE MANS 1/43 AUDI SPORTsennakazu
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MAZDA 767 LM88 DUNLOP #201 「MAZDA ROTARY LE MANS HISTORY」
マツダ・767は、1988年ル・マン24時間レース、および全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)参戦用にマツダスピードが開発したプロトタイプレーシングカーです。マツダの4ローター・エンジンRE13J(654cc×4)を搭載し、シャシーデザインは前作マツダ757同様、ナイジェル・ストラウド氏です。 1988年6月、4ローター初となるル・マン24時間レースでは、国産車最速のペースで周回を重ねましたが、翌朝エグゾーストパイプ等のトラブルで、アンダーパネルを外さなければならない長時間のピットインを強いられ2年連続一桁入賞はならなかったものの、2台共完走しました。 このモデルの201号車は、片山 義美選手、デヴィッド・レスリー選手、マルク・デュエツ選手のドライブで、総合17位でした。 #spark #mazda #マツダ #lemans #ルマン #
201 LE MANS 1/43 MAZDASPEEDsennakazu
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LOLA REBELLION COUPE REBELLION RACING #12 LE MANS 2010
レベリオン・レーシングは、スイスのレーシングコンストラクターで、2008年には時計の高級ブランド「レベリオン」を設立しています。 2007年よりル・マン・シリーズのGT2クラスに参戦を開始し、ランキング5位に入り、2008年にはLMP2クラス、2010年にはLMP1クラスへとステップアップしてい来ました。 翌年の2011年よりTMG(トヨタ・モータースポーツ)がLMP1エンジン(RV8K-LM・V8自然吸気)を供給をするという形でパートナーシップを結びました。 このモデルの2010年のル・マンの成績は、175周リタイアで完走は出来ませんでした。 このモデルを気に入った最大の魅力はカラーリングで、ホワイトにゴールドそしてスイスのレッドと、モータースポーツとしては大胆でゴージャスなカラーリングとデザインであり、スイスの時計メーカーを大きくアピールしています。 また、ローラ製のマシンもそれにマッチしてとてもカッコいいですね! #spark #lola #ローラ #rebellion #レベリオン #lemans #ルマン
12 LE MANS 1/43 REBELLION RACINGsennakazu
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BR ENGINEERING BR-1 AER SMP RACING 3rd 24H LE MANS 2019 ⑥
2019年ル・マンを観戦して気に入ったマシンを大量買いした第6弾です。 BRエンジニアリング・BR1は、SMPレーシングとドラゴンスピードが使用し、BRエンジニアリングが製作した、スポーツプロトタイプのレーシングカーです。これは、FIA世界耐久選手権およびルマン24時間レースでのルマン・プロトタイプの2019年LMP1規定を満たすように設計されました。 2019年、ル・マン/LMP1クラス参戦車。 SMP RACING の成績は、 予選総合5位、LMP1クラス5位。 決勝総合3位。LMP1クラス3位。 (参照ウィキペディア) ミハイル・アレシン選手、ヴィタリー・ペトロフ選手、ストフェル・バンドーン選手組のNo.11 SMP Racing BR1は、非ハイブリッドLMP1車としては最高位の3位となりました。 このモデルの魅力は、青・赤・白のそれぞれのメタリックカラーが光り輝いているカラーリングです。2019年式マシン収集では、真っ先に購入したモデルです。 #spark #lemans #ルマン ####
11 LE MANS 1/43 SMP RACINGsennakazu
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FERRARI 575GTC #61 LE MANS 2004
このモデルのフェラーリ575 GTCは、同社のコルセ・クリエンティ部門がNテクノロジーの協力を得て開発したモデルで、ベースとなった575 Mマラネロの強みを最大限に活かすことを目的に作られました。トレッドの拡幅など、レギュレーションに合った改造が施され、サーキットでの厳しい要求に応えたレーシングモデルとして製作されています。 なお、ベースの「575M」は、550マラネロの後継で、5.75Lのエンジンを搭載すること、550から改良(伊:Modificato)が加えられていることから「575M」の名称が付きました。デザインはピニンファリーナが担当しています。 フェラーリ575 GTCは、2003年のFIA-GT選手権から投入され、2004年のル・マン24時間レースは、プライベーターチーム(オランダ/バロン・コナー・レーシング)によって参戦しました。 このモデルの成績は、 全48台出走 LMGTSクラス7台 予選 総合31位 クラス7位 決勝リタイア 総合36位 クラス7位 (参照ウィキペディア) なお、このル・マン24時間で激闘の末、勝利をつかんだのは、アウディスポーツ・ジャパン・チームゴウのNo.5アウディR8(荒聖治選手/トム・クリステンセン選手/リナルド・カペッロ選手)でした。チームゴウにとっては8度目の挑戦で得た初の栄冠、クリステンセンにとっては前人未到の5連覇、ジャッキー・イクスの最多勝記録である6勝に並ぶ快挙となりました。また荒聖治選手は、1995年の関谷正徳選手に次ぐ、日本人ルマンウィナーとなった記念すべきレースでもあります。 #ixo #ferrari #フェラーリ #lemans #ルマン #itary #イタリア #france #フランス
61 LE MANS 1/43 BARRON CONNOR RACINGsennakazu
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PEUGEOT 908 HDI FAP #8 2nd LE MANS 2007
2007年からのプロトタイプレーシングカーは、クローズドタイプ(密閉型)のコックピットの開発を促進する規定により、今までのアウディ・R8、R10に代表されるようなオープンタイプ(開放型)からクローズドボディが採用されるようになっていきました。 2007年のル・マン24時間レースでは、予選で、このモデルのLMP1クラスのプジョー8号車を駆るステファン・サラザン選手が最速タイムを記録し、ポールポジションを獲得しました。 決勝では8号車を含むプジョー勢が不安定なハンドリングでペースが伸びず、アウディ勢に交わされ順位を落としてしまいます。中盤7号車が2位、8号車が3位と表彰台圏内を走行しましたが、残り1時間で7号車はリタイア、残った8号車もトラブルを抱え、結局アウディの1号車が優勝し、8号車は、総合、クラスともに2位となりました。(参照ウィキペディア) ixo modelは、割と格安で入手することが出来るので、ル・マンシリーズやラリーのモデルをよく購入しますが、クォリティは年々良くなってきており、細部までよく出来ていますし結構気に入っています。 このmuuseoを始めてから、ミニカーをしっかりと見ながらその魅力を伝えていこうと思っていますが、じっくりと見れば見るほど、どのミニカーメーカーも個性的であり、デフォルメひとつを取っても比較してみると、それぞれ違いがあり、それぞれの魅力を表現しており、楽しいですね。 #ixo #peugeot #プジョー #lemans #ルマン #france #フランス
8 LE MANS 1/43 TEAM PEUGEOT TOTALsennakazu