JAGUAR FORD COSWORTH R4 2003 A.PIZZONIA by MICHELIN

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ジャガー・R4は、ジャガー・レーシングが2003年のF1世界選手権参戦用に開発し投入したフォーミュラ1カーで、デザイナーはロバート・テイラー氏。

参戦以来何度かのトラブルを経てジャガーチームは2003年シーズン、ようやく落ち着くこととなり、トニー・パーネル氏、デヴィッド・ピッチフォース氏の指揮の下、チームは結果を残すことが必要だと感じ、またその能力がそれに及ばないことも確認しあっていました。

2002年末にエディ・アーバイン選手は引退し、ペドロ・デ・ラ・ロサ選手もチームの構想外にあり、マーク・ウェバー選手とアントニオ・ピッツォニア選手が新たに加入し、チームの運営陣もドライバーと共に再構築されました。

車の改善がそれに続き、R4は古いR3に比べ、完全に再設計され再構築されました。開発の焦点はより堅牢なシャシーに合わせられ、プレシーズンの間に多くのテストが順調に行われ、実験室ではあらゆる問題が探し出されていき、搭載するコスワースCRエンジンはバンク角が72度から90度に拡げられました。

新しいR4は2003年シーズンへの準備は整っていましたが、完成車としての走行は僅かなものであり、開発の遅れにより多くの信頼性の問題が存在しました。パッケージとしての信頼性は高いものではありませんでしたが、コスワースエンジンの能力は目を見張るものがあり、問題は主にシャシーに起因するものが大きかったです。であった。

スペインGP後、チームは目立った成果を残せないピッツォニアを交代させようという意向を公然と明らかにし、マクラーレンの経験豊富なテストドライバーであるアレクサンダー・ヴルツ選手との契約を望んでいると報道されましたが、マクラーレンは新車開発にヴルツの能力が必要であるとして契約を解除しなかったため、ジャガーチームは難しい立場に置かれることとなりました。チームはピッツォニアに謝罪し、イギリスGPまで契約を継続し、イギリスGPでピッツォニアはリタイアしたものの、シーズンにおける最も説得力のあるドライブを行っていましたが、チームはレース後にミナルディのレギュラードライバーであったジャスティン・ウィルソン選手を急遽起用しました。

ウェバーは予選3位を2度記録し、7回の入賞を果たし、チームは18ポイントを得て、コンストラクターズランキング7位でシーズンを終えました。ピッツォニアはノーポイントで21位でした。
(参照ウィキペディア)

ジャガーチームは、2000年から2004年の5年間の活動でしたが、そのうち、このR4のカラーリングとカウル後方のゴールドのジャガーが一番かっこいいですね!

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