LANCIA STRATOS HF #2 ‘TONY’ FASSINA WINNER RALLY SANREMO1979

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ランチア・ストラトスHFは、イタリアのランチアが製造したスポーツカー。世界ラリー選手権(WRC)で勝利することを目的に開発されたホモロゲーションモデル(公認モデル)であります。車名のストラトスは、「成層圏」という意味の造語です。
また、ランチアのスポーツモデルに用いられるグレード名の「HF」は、「High-Fidelity」(Hi-Fi)の略で、「高品質でドライバーの意のままに(忠実に)操ることができる車」の意味であります。

ランチアが、ストラトスHFを投入するまでは当時のラリーは軽量FRPボディのアルピーヌ・A110に手を焼いていた1971年シーズンまで、ランチアはフルヴィア、フィアットは124アバルト・スパイダーで対抗するも、RACラリーとスカンジナビア・ラリーにはフォードとサーブなどが焦点を絞っており、常勝は難しく、サファリラリーには日産がブルーバード510、ダットサン・240Zや地元勢がスポット的に勝ちを狙い、ランチアがヨーロッパのみならずのラリー制覇に目を向けるにはプジョー、ルノーのフランス勢の存在もあり、フルヴィアやその後、ともに新規参戦するベータ・クーペの戦闘力で押さえつけるには開発競争的にも熾烈を極めていた状況でありました。

まず、ストラトスHFはプロトタイプクラスで1972年のツール・ド・コルスにエンジンフードの上にインダクションポッドを付けた仕様を試験的に投入し、1973年、1974年とラリーはオイルショックで一時開催を部分的に自粛するも、その後はストラトスが旋風を巻き起こし、そこから熟成を重ね、1973年世界戦外であるスペインのファイアストーン・ラリーで初優勝を挙げるとこれをコンペティツィオーネ仕様として熟成させていくことになります。

WRCでの初勝利は、市販モデルとして挑んだグループ4ホモロゲーション取得直後の地元ステージ、1974年ラリー・サンレモであり、わずか4戦に出場しただけで1974年のメイクス・タイトルを獲得しました。その後、1975年、1976年と、他チームはストラトスに照準を合わせ開発を進めるも、どの車よりもターマック、グラベルを問わず総合的に寄せ付けない強さでした。

しかし、ミッドシップエンジンのストラトスHFは運転するのは難しく、ポテンシャルを引き出すためにアグレッシブさが求められるため、乗りこなせるドライバーは多くなかったと言われています。

ランチアチームのカラーリングの変遷としては、1975年からはそれまでのマールボロに代わり、アリタリア航空がスポンサーにつき、フロントフード部分にアリタリアのAマークを配した白と緑色のカラーリングに変わりました。ここからWRCではワークスファクトリーで組まれた払下げ車両を含む「ファクトリーカー」を使用した地元有力プライベーターとともに破竹の強さを見せることとなり、1976年、1977年はボディ上面フロントからリアに赤、緑、白のストライプにボディサイドセンター部へ大きくマークを配した有名なアリタリアカラーとなりました。(参照ウィキペディア)

このモデルは、世界ラリー選手権(WRC)のヨーロッパラリー選手権(ERC)の内、イタリア・サンレーモで開催されたラリーに参戦したモデルで、有力プライベーター”Jolly Club”のチームマシンになります。大きくランチアマークが入る白いボディが新鮮ですね。
また、ストラトスHFとしては、WRCでの最後の優勝となりました。

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    sennakazu

    2024/02/10

    アリタリアカラーもカッコいいのですが、ホワイトカラーに惹かれました

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