AYRTON SENNA KART MODELLE ①1980(右) / ②1993(左)

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アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva, 1960年3月21日 - 1994年5月1日)は、F1世界選手権において、1988年・1990年・1991年の計3度のワールドチャンピオンを獲得した以外にも、数々の偉業を成し遂げた私が最も敬愛したドライバーであるが、彼のレースの原点は、カートレースから始まっています。

セナに与えられた初めてのレーシングカートは父ミルトンが自作したもので、1馬力の小さな芝刈り機用エンジンを載せていました。セナが13歳の時、インテルラゴス・サーキットで初めてレーシングカートの競技会に参加し、彼は先頭から初レースをスタートし、自分より数歳年上のライバルたちを相手にレースの大半をリードして見せました。最終的には、ライバルの1人に接触されてリタイアとなってしまいましたが、父ミルトンがその後の息子のレース活動をサポートするには十分な結果でした。

セナは1977年に南アメリカ・カート選手権を制し、その後、1978年から1982年にかけて世界カート選手権に参戦し、1979年と1980年にはシリーズランキングで2位となりました。また、1978年には当時の日本国内カートレースの最高峰「ジャパンカートレース(ジャパンカートグランプリ)」に参戦するために来日し、4位に入賞しました。

このモデルは、①1980年カートレース時代(右)と②1993年F1時代(左)の彼のカートレース時のモデルを1/43で再現したものです。眺めているだけで、涙が出て来ますね。。。

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    sennakazu

    2024/01/29 - 編集済み

    アイルトン・セナ選手が、カート時代に参戦した、1978年仙台/菅生サーキットで開催された「ジャパンカートレース(ジャパンカートグランプリ)」を実は観に行きました。まだ日本では彼のことはあまり知られていませんでしたが、速いブラジルの選手がいると、その頃から話題になっていたのを記憶しています。また、鈴木亜久里選手もその頃に出場していました。

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      真適当工作

      2024/01/29

      セナ凄かったですね❗、これよりかなり後の話ですが、数年間ジャパンカートグランプリのレース実況をさせていただきました。懐かしいです。
      セナが生ダラで新東京サーキットを走ったときテレビの映像ではコースをショートカットして前に出たように映ってますが、そこを通るとタイムロスのはずなのですが、しれでも前に出たセナはやっぱり凄かったです‼️
      余談ですがこの時セナがサーキットに置いてあったF3000の廃棄タイヤにサインしていったものにオークションで軽く100万オーバーだったとか‼️

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      sennakazu

      2024/01/29

      貴重なコメントを
      ありがとうございます♪
      レース実況をされていたとは、すごいですね!素晴らしいです。
      私の従兄弟たちが、三栄書房で編集やカメラマンをやっていたので、その取材に同行するかたちで、初めてカートレースを観戦しに行きました。高く響くエンジン音とタイヤのスリップ音、タイヤやオイルの焦げついた臭い、俊敏な動きなどなど見るもの聞くもの全てに魅了されてしまい、その後も何度か通いました。
      私がF1好きになった原点ですね。
      懐かしいチラシを見つけましたので、
      パチリ!

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      sennakazu

      2024/01/29

      裏面も。
      女性カーターのローズ・ガンが懐かしいです。

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      真適当工作

      2024/01/29

      三栄書房にご親戚が、、、三栄書房さんにはものすごくお世話になりました。お会いしているかもしれませんね❗モトチャンプの仕事でミニバイクの全国大会や、オプション2,等のサンデーレースにもよく呼んでいただき凄くお世話になりました。
      ドリフトはやってませんが😃
      セナがジャパンカートで菅生に来た頃は二輪のレースのピットクルーでよく菅生に行ってました。

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      sennakazu

      2024/01/29

      私も興奮しながら生ダラを見たのを覚えています。当時、いろいろな番組に出演したりしていましたが、嫌な顔ひとつせず、笑顔で振る舞っていたところを見ると、日本のことが本当に好きだったんだなと思います。
      セナが初めて欧州のレース界へ単身乗り込んで行った時、かなりのバッシングやいじめを受け、田舎者扱いをされたそうですが、その時、極東の小さな島国から来た同じ境遇のホンダがコツコツと頑張っているのを見て強くリスペクトし、いつか一緒にレースをしたいと思ったそうです。

      日本を愛していたんですね。

      1988年に鈴鹿でのレース後に、本田宗一郎氏から食事に招待され、本田から「うちのクルマで勝ってくれてありがとう」と言われた時、
      1991年に本田宗一郎氏が亡くなった時、1992年にホンダが第2期F1活動を終了する旨を発表した時などなど、セナは感極まって大号泣していました。。。

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      sennakazu

      2024/01/29

      そうですか!
      私も学生の頃に遊びがてら編集部に連れて行ってもらいました。(ほとんど夜からの仕事で、早朝に終わってそのまま飲みに(笑))
      オプション2を中心にオートスポーツ、モーターファン、モトライダー?を手掛けていました。クルマ以外でもジャズライフ?をやってましたね。
      従兄弟3人のうち、2人が三栄書房、1人が光文社でした。
      彼らのお陰で、鉄道好きからモータースポーツへとトリコになりました。

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