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ジェード(翡翠)
翡翠は、地球上で日本が誕生するはるか昔の6億年前の石と言われています。
とても硬くて比重が高く(ものすごく高い圧力で圧縮された石)半透明で光を当てると光ります。
ヒスイは古代の宝石として珍重され玉(ぎょく)と呼ばれてきました。
玉(ぎょく)には硬玉(ジェダイト・Jedeite)と軟玉(ネフライト・Nephrite)とがあり、一般的にヒスイはジェード(Jade)と総称されています。
糸魚川産のヒスイは硬玉(本翡翠)と呼ばれ、ミャンマー産の軟玉(ネフライト)は見た目は同じでも全く別物。
ミャンマー産のヒスイは産出量も多く、軟玉なので加工もしやすく一般に安価です。
糸魚川ヒスイは微細な結晶が絡み合っているため非常に壊れにくく堅牢な石で、大変加工がしにくいのが特長です。
日本では、古代縄文時代の遺跡から翡翠を加工した宝石(勾玉など)が見つかっており、日本の宝石の原点と言われています。
その後、奈良時代以降、日本のヒスイは歴史から姿を消しており、海外(ミャンマー)でしか翡翠は採掘できないとされ、日本の古代ヒスイの宝石も大陸から持ち込まれたものとされていました。
しかし昭和13年頃、新潟県姫川上流小滝川当たりでヒスイの原石が発見され、日本にも古代から翡翠文化が続いていたという説を裏付けました。
その後日本にヒスイブームが起こりますが、松本清張の小説『万葉翡翠』が出版されてからと言われています。
沼河比売(ぬなかわひめ、奴奈川姫)は、日本神話に登場する神様です。古事記には、糸魚川市付近を治めていた豪族の娘、奴奈川姫に大国主命が出雲から求婚。その際に翡翠を贈ったという神話が残されています。
実際に大国主命を奉った出雲大社の真名井遺跡からは、糸魚川産と見られる大きな勾玉が出土しています。
「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」
(万葉集 巻十三 三二四七 作者未詳)
『万葉集』に詠まれたこの歌の、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられています。
越後国頸城郡の式内社に沼河比売(ぬなかわひめ)を祀る奴奈川神社があり、天津神社境内社・奴奈川神社をはじめ、新潟県糸魚川市内に論社が3社あります。
また、長野県にも沼河比売を祭る神社があり、姫の乗っていた鹿のものとされる馬蹄石がのこされています。