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Labノート

初版 2022/12/30 20:41

改訂 2024/02/19 20:18

私の出身高校(旧制中学)の13回生に池上二男海軍大佐、18回生に田中三雄海軍中佐という軍人がいる。2人とも海軍将校の最高峰である海軍大学校出身だ。池上大佐は海軍兵学校を255人中41位で卒業した。その後、海軍大学校甲種学生となった。丁度、2・26事件の最中は江田島で教育を受けていた。卒業後、海軍少佐で連合艦隊参謀兼副官に任命された。(長官は永野修身)その次のポストは海軍航空本部総務部部員兼軍務局局員だった。そのまた次は、支那方面艦隊参謀だ。この様な経歴を海軍では赤レンガ組と呼び、エリートなのだそうだ。昭和18年には再び海軍省勤務となり、海軍航空本部総務部部員兼技術会議議員兼運輸本部部員となり、その後、軍令部部員兼大本営海軍参謀兼大本営海軍戦力補給部部員なども兼ねた。その後、海軍航空本部総務部第一課長で終戦を迎え退役した。もう一人の田中中佐は海軍機関学校出身だ。霞ヶ浦航空隊教官などを経て、海軍大学校機関学生となった。卒業後、直ぐに海軍少佐で軍令部部員兼大本営海軍参謀となった。その後、南東方面艦隊参謀を経て、再び海軍省勤務となり、海軍省人事局局員となった。戦後は航空自衛隊に入隊し、姓を大谷と替え、空将となった。次回は3人の将軍・提督、1人の大佐を輩出した8回生について述べてみたい。

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目次

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