三続・「ざぼん」と「ぶんたん」改メ「ザボン」と「ブンタン」第四回
初版 2018/10/29 03:30
改訂 2018/10/29 19:09
☝丸毛信勝『女子園藝新教科書』(昭和05年訂正三版 駸々堂書店)
「ざぼん」と「ぶんたん」とはどう違うのか、というちょっとした疑問について思いつきで書き始めたこのモノ日記、調べていくうちに深みにはまり尻尾が見えなくなってきた。長くなりそうだから二回か三回くらいに分けるかな、などと当初は思っていたのだが、どうやら四回五回くらいでも終わらない気がしてきたので、標題の「続」のヴァリエーションはヤメにして「第○回」に変え、また「ザボン」も「ブンタン」もどうやら外来語らしいので、カタカナ書きに改めた。
前回の記事、トップに載せた図版の本も取り上げようと思っていたのだが、記事が長くなり過ぎて結局行き着かなかった。もちろんある程度は、こういう風に話を進めよーかな、と考えがまとまってから書き始めてはいるのだが、途中でこれも載せたら? あれにも触れておこーよ、などと後から後から押し寄せてくるものだから、どんどん伸びてしまう。
綿密に計画を立て事前に資料を揃えて、十分に解析考察してから執筆に取り組み、推敲を重ねに重ねた上で発表する研究論文と違って、あくまでオアソビとして、興味+好奇心の赴くままあれこれ資料をひっくり返しながら勢いで一気に書き連ねている「研Q論文」ゆえ、そのあたりの行き当たりばったりな「いー加減さ」についてはおゆるしいただきたい。
「うちむらさき」とともに「ザボン」も載っている園芸教科書もあったので、載せておこう。
ただし、やはり「文旦〈ぶんたん〉」が総称の扱いになっているところは、前回の終いで取り上げた教科書とかわらない。
☝☟丸毛信勝『女子園藝新教科書』(昭和05年訂正三版 駸々堂書店)
果実の外観と断面図とが示された、たのしい彩色図版。
このように線画の重ね図で名称を示すやり方は、戦前の教科書などにはよくみられた。
全体の形と瓤〈なかご=果実の中身部分〉の色からして、この文旦は「麻豆紅柚」のようだ。
さて、それでは台湾行政院農業委員會の「文旦主題館」に紹介されている、「文旦」にまつわる伝説をみてみるとしよう。
「細說文旦 前世今生 文旦的傳說」@文旦主題館
https://kmweb.coa.gov.tw/subject/ct.asp?xItem=178279&ctNode=5619&mp=319
ここには三つの話が紹介されている。一つ目は前回の最後にも書いたように、「文」という姓の「小旦」にまつわる説、二つ目は清の船長である「謝文旦」なる人物が鹿児島に漂着し、住民に救けられた礼として珍しい柑橘の種を贈ったことに由来する説、そして麻豆の孝行息子「林旦」の伝奇だ。
まずは最も詳しく書いてある、「麻豆文旦」の由来とされる「林旦」の話から。
清の時代、麻豆に林旦という、村人の間では孝行息子として評判の高い人がいた。母親は「柚子」(つまり文旦)が大好物だったので、旦は時季になるとどっさり買い込んで喜ばせるのを常にしていた。ある冬のこと、母親が病に倒れ、床にふせってしまった。病状は重く、招いて診てもらった医者にも手の施しようがないありさまだった。そうしたところがある日、こんこんと眠り続けていた母親が突然目覚め、「「柚子」が食べたい」と訴えはじめた。母親思いの旦は居ても立ってもいられず、どこかに売っていないものかと家を飛び出した。とはいえ冬の寒いさ中、「柚子」の樹が花をつけ、実をならせたりするわけもなく、むなしく何日かを費やすばかりで手にすることはかなわなかった。いまわの際の母ののぞみに応えるすべもなく、旦は絶望して村外れに生えている冬枯れした「柚子」の樹の下に崩れ落ち、何とか母に「柚子」を与えていただきたい、と涙を流しながら神に祈った。したたりおちた涙が樹の根元に染み込んだ、とその瞬間、不思議なことにそこから一本の「柚子」が芽吹き、みるみるうちに伸びて幹となり葉を繁らせ花を咲かせ、やがてたわわに果実を実らせた。喜んだ旦は急ぎその実を採って家に取って返し、早速母親に食べさせたところ、明日をも知れぬ状態だったのが命を取り留めたばかりか、たちまち元気を回復するに至った。この噂は瞬く間に国中に広まり、当時清を治めていた第六代皇帝である乾隆帝の耳にも達した。帝は早速その「柚子」を取り寄せるべく、後に第七代嘉慶帝となる太子を台湾に遣わした。そしてこれが、林旦の体験した不思議な経緯により生まれた「柚子」であることから、彼の名をとって「文旦」と名づけた、という。
もちろんこれは「お話」であって事実とはとても思えないが、同じ「前世今生」のところのもうひとつのコンテンツ「文旦的歷史」
https://kmweb.coa.gov.tw/subject/ct.asp?xItem=177891&ctNode=5619&mp=319
によると、実際清朝嘉慶年間には台湾産の「文旦」が皇帝に献上され、お誉めにあずかったらしい。2012年に地元紙『明日中國晩報』に載った記事
http://www.cnnews.com.tw/cnnews/0108tn/w4/images/hea-02.htm
によると、同地の麻豆尪祖廟「買郎宅」に台南縣政府が建てた記念碑があり、康煕四十一年(1702年)麻豆の安定郷の人郭廷輝が大陸から苗を移植し、何年か育てたところ成った実がたいそう美味しく、それが「麻豆文旦」の起源となった、と書かれているのだそうだ。当地の古老によれば、初めのころは敷地の垣や畑の隅に樹が植えられ、その実は原住民にも好まれたため交流に役立った、ということ。
またこの記事によれば地元には、かつて嘉慶帝が麻豆を訪れたことがあり、その際村の農家が歓待のために「文旦」を差し上げたところその美味しさに驚かれ、それが元で「皇帝柚」と命名されるに至った、という言い伝えがあるのだそうだ。ただし、そうした記録は当時の文書には見当たらないため、これはあくまで民間で生まれた話だろう、という見方で専門家は一致しているらしい。先の「林旦」説は、この伝説をさらに不思議な物語として脚色して、「麻豆文旦」を売りひろめる材料にしたのではないかしらん。
時代は下って日本統治時代には天皇家に献上され、「御用文旦」の指定を受けたらしい。当時の当主郭明六に授けられた昭和十年一月づけの褒状がのこっていて、その写真も記事に添えられている。樹齢百六十年と伝えられた「皇帝柚」の樹の写真もあるが、これは残念ながら2003年に枯れてしまったそうだ。
なお郭家は今も続く「麻豆文旦」農家で、「麻豆郭家生態果園」という観光農園を経営しておられるらしい。
麻豆郭家生態果園madoukaku_ecofruitsgarden_eco_pomelo@Facebook
https://www.facebook.com/ecofruitsgarden/
縣政府が建てた「麻豆文旦沿革」碑と、それから同園の日治時代のことについて書かれた立て看板の写真が載っているブログ記事があったので、あわせてご参考までに。
「麻豆鎮買郎宅郭家文旦柚」@黑湯匙的部落格
次は「謝文旦」説、これは「阿久根文旦〈あくねぼんたん〉」の産地である阿久根市のサイトで紹介され、Wikipediaにも書かれているためか海外にもひろく知られている話のようだ。
「阿久根育ちのかんきつ」@阿久根市
http://www.city.akune.kagoshima.jp/shisei/shokai/kankitsu.html
いかにもありそうな逸話だし、1984年から1994年にかけて小学館から刊行された『日本大百科全書』をベースに毎月更新されているというオンライン百科辞典「コトバンク」サイトの「文旦漬け〈ぼんたんづけ〉」項
https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E6%97%A6%E6%BC%AC%E3%81%91-1593910
のように、これが「文旦」という名称の由来、と言い切ってしまっておられる文献もいくつかあって、事実上もはや定説化しているといってよい状態なのだけれども、しかしなぜかその出典が書かれているものが一向に見当たらないのだ。「1772年(安永1)秋」と、もたらされた年どころか季節まで特定できているくらいならば、薩摩の地誌か何かに載っている、というような話が出てきてもよさそうなものなのに……。それと、「朱らん」とあるのは「朱欒」のことだろうが、「白らん」というのがよくわからない。
ということで、戦前の文献にこの説が載っているものがないか、ひとつ探してみることにした。とはいえ古文献など、地元にしかないようなものは調べるすべがないので、何かほかの種類の資料に当たるしかない。
なおこれまで説明していなかったが、この研Qは図版研架蔵資料+近所の地域図書館+インターネット上の情報のみを活用し、よそさまに何かをお願いしたりとかは一切しない、という条件のもとに進める方針。そうでないと調べモノの際限がなくなってしまいそうだし、それにある程度の制約がある方が、ゲームはよりたのしくなるものだから、という考えで。
さて、日本への伝播が書かれているとすれば栽培書のたぐいだろう、とアタリをつけ、そのうち柑橘類を扱っているものを拾って、そこに「ザボン」「ブンタン」が載っているかどうかチェックし、さらに沿革の記事がないかみてみることにした。
手始めに架蔵書……といっても教科書には基本的な知識しか載っていなくて品種毎の細かいことなど書いていないし、専門書は元々何冊も持っていないし(しかも滅多にみない分野なので、どこにあるんだかわからないものも……)、ということでハナっから期待薄。
大正末の果樹栽培書。「平戸文旦」が載っていることはいるが…
…「趣味的」な栽培、つまり自宅の庭に植えてたのしむのにはどんな品種がよいか、というテーマのところにこれも一、二本まぜるとよい、という話があるだけ。そして昔の話は、国内でいつ栽培が始まったか、ということすらひと言も触れられていない。
☝☟恩田鐵彌『通俗園藝講話柑橘・無花果・枇杷・栗』(大正15年(初版) 博文館)
次に明治晩期の果樹栽培書。柑橘章の種類についてのところに、「[艹+欒]類 C. decumana. (Shaddock)」項がある。
柑橘の部分名称を示す図も載っている。これは結構珍しい図版。
品種名が「文且〈ウチムラサキ〉(<第一回でもお示ししたように、「且」は明治期によく使われた「旦」の異体字)と「朱欒〈ジヤボン〉」とになっているのは、『新撰博物標本圖解』や『有用植物圖説』と共通している。それぞれの特徴もだいたい同じようだ。
もうひとつ、「海紅柑〈ジヤガタラミカン〉」というのが出てくる。『辭林』や『大言海』で「ザボン」の京都方言として出てきたものとは別物なのだろうか。
☝☟草場榮喜『實用園藝學果樹篇』(明治41年第三版 裳華房)
日本への伝来については柑橘類全般について、「本邦ニ栽培セラレタルハ昔古ニシテ判然セス」、つまりはあんまり昔のことでわかんなーい、のひと言で片づけてしまっている。
と、いうことで案の定求めるモノがちっとも出てこないうちに、早くも手札が尽きてしまった。そこで今度は、国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されている資料を漁ってみた。
デジタルライブラリーだったころは、特に古くにスキャニングされた資料は画質がひどく、図版などはほとんど使いモノにならないくらいだったが、キーワードはかなり細かく拾ってあったため検索での使い勝手はよかった。近年は画質が目に見えて向上したのはありがたい反面、キーワード登録は大幅に省略されたとみえて、その分特定の文言が載っているものを見つけるのはかなり難しくなってしまった。
何とか工夫しつつ「ザボン」「ブンタン」のたぐいが載っているものを何十件かピックアップし、片っ端から沿革が書かれていないか探してみた……のだが、これがなかなか見つからない。
曲直瀬愛〈まなせあい〉『日本柑橘品彙圖解』(1887年)には「文旦〈うちむらさき〉」、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840258/10
それからその前に「海紅柑〈しやがだらみかん〉」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840258/7
が載っている。図篇は失われたらしいのが残念。伝来は巻頭に「大抵は當初漢土朝鮮等の諸國より傳來し歳月の久しき栽培によりて漸次其種類を蕃殖せしこと疑なし」とだけ。
梅原寛重+草野正行『菓樹栽培新書』(1889年)には「朱欒〈さぼん〉金豆〈ひめきんかん〉香欒〈あかさぼん〉」という項が立っている。「あかざぼん」というよみは初めて出てきた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840047/36
沿革何もなし。
立花寛治『内外果樹便覽』(1889年)には「柑橘」のところに「夏朱欒」、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840242/27
「海紅柑」が載っている。いずれも読みは書いてない。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840242/28
沿革なし。
中城恒三郎+岡田鴻二郎『冨國全書實地農學』(1890年)には「果樹栽培法」章の「柑橘栽培」のところに「ジヤボン」が出てくる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/838515/52
沿革なし。
福羽逸人『果樹栽培全書』第二編(1896年)には「仁果類」の中の「柑橘樹栽培法」のうち「[艹+欒]類」のところに「朱欒〈うちむらさき〉」、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840051/75
「香欒〈じやぼん ざぼん じやがたら(九州方言)〉」、「海紅柑〈じやがたらみかん〉」、「大政橘〈だいじようきつ〉」の四種が紹介されていて、それぞれの特徴も書かれている。
ここで目を惹くのは「朱欒」「香欒」という表記と「うちむらさき」「じやぼん」というよみとが『有用植物圖説』などとは逆になっていること、それに加えて「朱欒」の説明のところで「世間ニハ文旦ト書シテ之ヲ「うちむらさき」ト訓スル者アレドモ之ヲ諸書ニ稽〈かんが〉ヘ且〈か〉ツ其性質〈せいしつ〉ヨリ論〈ろん〉ズルトキハ朱欒ノ文字ヲ以テスルヲ妥當トスベキガ如シ但〈たゞ〉シ從來朱〈○〉欒〈○〉ノ文字ニハ「じやぼん」ト訓〈くん〉ジタルノ例〈れい〉多〈おほ〉キヲ以テ予ハ今爰ニ説明〈せつめい〉ヲ附シテ新〈あらた〉ニ斷定シタル意義〈いぎ〉ヲ告グルコト然リ」、つまり、世の中には「うちむらさき」に「文旦」という字をあてる人が多いけれど、色々調べてみてもそれは品種の特徴と合っていなくてやっぱり変だから、この際もっとぴったりくる「朱欒」に変えちゃうよ、と勝手に宣言していること。いったいどんな「諸書」を参照してこういうお考えに至ったのかわからないが……ともかく、(話がさらに脱線してしまうので)この件はとりあえず脇に除けといて、また後で「朱欒」「香欒」という語について検証する際に改めて取り上げることにしよう。
なお本邦への移入については、「柑橘樹栽培法」章の初めの方に「紀州柑橘栽培の濫觴」と題してその沿革がざっと書いてはあるが、「[艹+欒]類」に関してはなにもなし。
農業社編輯局(青柳浩次郎)『農家副業全書果樹栽培法』(1898年)には「果樹各説」の「柑橘類」の中に、蜜柑以外の柑橘として「朱欒〈ざぼん〉」「文旦〈うちむらさき〉」が載っている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840054/35
沿革なし。
松村任三『普通植物』(1901年)は栽培書ではなくて植物学書だが、「柑橘類」章に「ザボン」が出てくるので挙げておこう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/832609/220
章の始めには柑橘が我が国へ伝来した沿革が事細かに書かれているが、「ザボン」「ブンタン」については言及なし。
渡邊太郎『農業百科』(1902年)には、「作物のこと」章の「柑橘類」節に「朱欒〈うちむらさき〉」が出てくる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/839308/205
つまり、「福羽説」で品種名を書いているわけ。沿革の記事はなし。
江原梅松 (春夢)+東條秀介『果樹草花盆栽庭造續園藝全書』(1903年)には、「第參編」の「柑橘類」章に「香欒〈ざぼん〉」が出てくる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840041/55
これも「福羽説」に倣っていることになる。沿革はなし。
なお同書の正篇『果樹草花盆栽庭造園藝全書』(1902年)口絵には「ジヤボン」と書いてある。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840040/6
おそらく彩色石版画なのだろうが、黄色い果実はモノクロではほとんど出ないので残念な感じ。そして本文「第二編」の「果樹類栽培法」章「柑橘」の「種類」のところには、なぜか登場しない。
高橋久四郎『果樹』第三編 種類及病蟲害(1903年)には、「仁果類」章「柑橘類の種類」の中の「[艹+欒]類」に、「文旦〈ぶんたん〉又朱欒」「内紫」「内紅〈うちべに〉」「クダラク又フダラク」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840037/44
「千年壽柑〈せんねんじゆかん〉又長壽柑〈ちようじゆかん〉」「海紅柑〈じやがたらみかん〉」「香欒〈じやぼん〉〈じやがたら〉」「大政橘〈だいじやうきつ〉」と八種類も載っている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840037/45
「朱欒」によみがながふられていないものの「文旦」がその別称となっているし、それに「香欒」のよみからしても、これまた「福羽説」ということになる。「柑橘類の種類」冒頭のところに「是等數多〈あまた〉の柑橘類は學術上の分類法〈ぶんるいほう〉なきが如きを以て福羽〈ふくば〉氏〈し〉の分類に由りて區別すること左の如し」とあることは注目に値すると思う。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840037/39
沿革については、「ナブルオレンヂ」つまりネーヴルオレンジのことだけ。
北神貢『柑橘栽培書』(1903年)には、県別に主な品種が挙げられている。
和歌山は「種類」のところに「朱欒〈うちむらさき〉(紫[木+蘭]柑、内紫、又普通文旦)」と「海紅柑〈じやがたらみかん〉」「千年壽柑〈せんねんじゆかん〉」が載っている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840085/35
これも「福羽説」分類だ。
沿革は名だたる蜜柑産地の有田を中心に詳しく述べられているが、「ザボン」「ブンタン」類は出てこない。
http:// dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840085/16
静岡は「朱欒」「香欒」「大香欒」。初めて出てきた「大香欒」がどんなものかも含め、それぞれの特徴は不明。そしてこれらについての沿革もなし。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840085/50
大坂は「朱欒」が泉北、…
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840085/77
…そして泉南にも。その沿革は書いていない。
http:// dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840085/83
京都も「朱欒」。その沿革はなし。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840085/97
高知も「朱欒」。沿革は(多分種類に限らず)「未詳」と書いてある。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840085/108
大分は「香欒」「朱欒」、沿革は蜜柑のことだけ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840085/111
熊本は「朱欒」、沿革は「各種栽培の起原は頗る遼遠なるを以て未詳なるを遺憾とす」とある。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840085/118
鹿児島は「朱欒」、沿革は未詳とある。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840085/124
なお和歌山が最初に据えられているのは、国内最大産地だから、ということのように思える。記事の充実ぶりも他府県を圧倒している。
井上正賀+横井時敬『通俗農藝文庫園藝編』(1903年)の、「柑橘類〈かんきつるゐ〉と梅〈うめ〉、杏〈あんづ〉の栽培」のところに「朱欒〈ウチムラサキ〉」が出てくる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840015/46
これまた「福羽説」。沿革は書いてない。
横井時敬『言文一致農藝叢書果物の話』(1903年)「柑橘類」のところに「朱欒〈うちむらさき〉」があり、その解説中に「ジヤボン」も出てくる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840108/58
これも前書同様「福羽説」。沿革はない。
山本甚太郎『柑橘類栽培法』(1905年)冒頭の「種類」中に、「朱欒〈ウチムラサキ〉、香欒〈ジヤボン〉、海江柑〈ジヤガタラミカン〉、大政橘等ヲ[艹+欒]類トス」とある。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840092/5
その沿革は書かれていない。そしてこれも「福羽説」。
梅村甚太郎『常用救荒飲食界之植物誌』第五篇(1906年)の「芸香科」に、「ざぼん C. Decumana. L.(<「D」がさかさまなのはご愛嬌ww)」項があり、「じやぼん、じやがたらざぼん、ぼんぼろ、或ハざんぼ(筑前)、じやぼ(土佐)、じやがたらみかん(東京)、等ノ別稱アリ。」と書かれている。説明からすると「うちむらさき」のようだ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1083983/8
京方言とされていた「じゃがたらみかん」が東京でも使われているとなっているが、これは遷都の影響だろうか。「じゃがたらざぼん」というのは初めて出てきたが、本当にそんな呼び方をしたのかしらん……??? 沿革はない。
片寄俊『農家必携園藝之栞』(1906年)の「果樹の作り方」章「柑橘類」のところに、代表的な数種をならべたあと、「尚ほ此他に『柚〈ゆず〉』『佛手柑〈ぶしゆかん〉』『枸櫞〈かえん(<「くえん」の誤植だろう)』『香欒〈ざぼん〉』『朱欒〈ぶんたん〉』『臭橙〈かぶす〉』等あり。」とある。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/839998/40
これも「福羽説」だが、「朱欒」を「ぶんたん」とよませるのはなかなかの大胆さww 沿革の記事はない。
草場久八『成功之果樹界』後編(1906年)「各論」編「柑橘」章の「種類と需要」節のところに「文且〈ザボン〉」があり、「文且に種々あり早生文且簇印文且内紫文且生葉文且横印文且竹印文且臺灣麻豆文且等とす」と色々な種類を紹介している。そのうち「竹印」を「文且中の王と稱すべき」と絶賛。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840170/50
これも「福羽説」だ。それにしても、「内紫文旦〈ザボン〉」などという呼び方を本当にしたのだろうか。移入の沿革は「ワシントン子ーブルオレンヂ〈ネーブルオレンジ〉」のみ。
柳内義之進『和洋園藝蔬菜と果樹』(1906年)は上下合本版のようだが、下卷「果樹の部」の「各論」編「柑橘類〈かんきつるゐ〉」中「[艹+欒]類〈らんるゐ〉」のところに「文旦〈うちむらさき〉」「シヤム柑〈かん〉」の二つが挙げられている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840212/101
初めて出てきた「シャム柑」は「うちむらさき」よりも味はまさるが汁気がより少ないのが欠点、とある。タイからの輸入種なのだろうか。沿革はない。
さて、どうやらこれ以上記事を長くするとデータがオーヴァーフローしてしまって保存できないらしいwwww
ということで、続きはまた次回。
#コレクションログ
#比較
図版研レトロ図版博物館
「科学と技術×デザイン×日本語」をメインテーマとして蒐集された明治・大正・昭和初期の図版資料や、「当時の日本におけるモノの名前」に関する文献資料などをシェアリングするための物好きな物好きによる物好きのための私設図書館。
東京・阿佐ヶ谷「ねこの隠れ処〈かくれが〉」 のCOVID-19パンデミックによる長期休業を期に開設を企画、その二階一面に山と平積みしてあった架蔵書を一旦全部貸し倉庫に預け、建物補強+書架設置工事に踏み切ったものの、いざ途中まで配架してみたら既に大幅キャパオーバーであることが判明、段ボール箱が積み上がる「日本一片付いていない図書館」として2021年4月見切り発車開館。
https://note.com/pict_inst_jp/
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realminiature
2018/10/29深耕がすごいです!!続編も期待しております!
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図版研レトロ図版博物館
2018/10/29早速お読みいただきありがとうございます☆
もはや「モノ日記」コレクションログからは脱輪してアサッテの方へ転がりだしている気もしますが、次回は国会図書館すばらしい! と思わせる資料が出てきますのでちょこっとおたのしみに(国会図書館デジタルコレクションログを書いているつもりはないんですがww)。
1人がいいね!と言っています。
TWIN−MILL
2018/10/29ダメだ😁。読み切れない。。まだ文面途中です。。。😅
仕事から帰って、ゆっくり読ませて頂きますね🙇♀️。
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図版研レトロ図版博物館
2018/10/29朝のお忙しいところありがとうございます☆
実はデジタルコレクション引用のところ、もっと先まで書き進めてあったのですが、さてそろそろ保存しよう、とボタンをポチしたらエラーが発生してがっさり消えてしまい、記憶を頼りにまた改めて書き直すはめに……www
ともあれ、お時間がおありのときにごゆっくりどうぞ。
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nocturnalclan
2018/10/29毎回楽しませてもらってます。
大学で講義を受けてたころを
思い出しつつ読ませてもらってます。
日記のこう言った使い方は良いと思います。
他にも同じ使い方をされる方が増えれば
ちょっとしたライブラリになりますよね。
私には到底無理ですが・・・・・
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図版研レトロ図版博物館
2018/10/29お言葉ありがとうございます☆ お楽しみいただけている、というリアクションが何より嬉しいのです。
フツーの日記ではツマラナいので、どうせならば「突き抜けちゃっている」くらいのところを目指して書いていきたいと思います(それができなくなったら即ヤメ、くらいの勢いでww)。
到底無理<や、一度にこんなに長くなさらなければ無理じゃないと思いますよ。スクロールしなくて済むくらいのをこまめにUPしていく、というのならばどなたにも十分可能かと。
ただ、「面白くてやめられない」くらいの興味があるネタがないと、続けるのはなかなか難しいでしょうね。
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