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(左)RCA Victor 1-RH-13型 (中央)RCA RJC12E型 (右)RCA RZG104Y型
メーカー:RCA(Radio Corporation America) 年代:(左)1959-61年(中央)1964年頃(右)1968年頃 ここに展示した3台はアメリカの一流メーカーRAC(Radio Corporation of America)のポケットラジオである。年代を追って、アメリカ製 -> 日本製 -> 香港製と製造国が変化している。 タイトルの「新興国」とは、日本のことである。そにーのTR-610に代表される6石ポケットラジオはアメリカを中心に大変な人気を呼び、大量に輸出された。細かく、手がかかる割りに安価な小型ラジオに対し、アメリカメーカーはすでにかなり品質が向上していた日本のメーカーへのOEMで対応した。1965年頃にはアメリカ市場の大半を占めるまでになった日本製トランジスタラジオだが、1960年代後半には香港、台湾製品が、げんちに進出した日本企業の部品を使用して大量にアメリカに輸出されるようになった。 アメリカは、1969年には94%のラジオを輸入するようになり、1970年代前半に自国でのラジオの生産がほぼなくなった。日本もその後を追って1980年代前半には国内でのラジオ生産が統計上なくなるのである。
日本ラジオ博物館
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高級なミゼット型ラジオ
ヘルメス(Hermes) No.4 ステージ型 メーカー:大阪変圧器(株) 年代:1936年 東京、大阪などの大都市が発展してくると、小型でも洗練されたデザインのラジオが求められるようになってきた。これは、大阪の電気機器メーカーが製造した小型の高級受信機である。品質を追求して一流メーカーの部品が採用されている。凝ったデザインのキャビネットは日本楽器(現ヤマハ)が製造したものである。
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長野県内で生産された高級ラジオ
メーカー:金萬電気商会 年代:1929年 長野県諏訪郡岡谷にあった中小メーカ製のニュートロダイン受信機。高周波段にUX-201Aを3本。低周波段にUX-112Aを2本使用する。 このセットは、長野県上伊那郡辰野町の旧家に残されていた。 奇跡的に当時使われていたままのバッテリーとホーンスピーカ(Omarブランド)が揃っている。 セット内部にも修理や破損の痕跡が無く、ほぼ購入当時の状態を維持している。
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超小型ラジオ
STANDARD SR-H437型 "Microinic Ruby" メーカー:スタンダード無線工業(株) 年代:1963年 個別のトランジスタを使ったものとしては最も小型のラジオ。一応実用にはなるが、小さすぎて使いにくい。実用品というより、海外で女性向けの贈答品として人気があった。
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英国製ベークライトラジオ
Ecko model A.D.75 メーカー:E.K.Cole Ltd (U.K.) 年代:1940年 ベークライト(熱硬化性プラスチック)の特徴を生かした英国製のユニークなデザインのラジオ。1935年から基本デザインを変えずに戦後まで作られた。これは戦時中の小型のモデルで、欧州で不足した木材資源の代用品という意味合いもあった。
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終戦直後の個性的なラジオ
TAC 国民型受信機 メーカー:東京工芸(株) 年代:1947年 終戦直後に「楽しむラジオ」をモットーにユニークな製品で新規参入した中小メーカーのラジオ。デザインに非凡なものはあったが、回路技術、資金力が伴わず数年で消滅した。登場する時代がもう少し後であれば、デザインスタジオとして成功したかもしれない。なお、TACは、Tokyo Art Craftの略である。
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終戦直後のオールウェーブスーパーラジオ
ビクター 5AW-1型 ”黎明” メーカー:ビクター 年代:1946年 戦後、日本を占領した連合国総司令部(GHQ)は、それまで禁止されていた短波放送の受信を解禁した。これにより、国内メーカーから多くの全波(オールウェーブ)受信機が発売された。これはそのひとつで、ビクターの戦後一号機でもある。夜明けを意味する「聡明」と名付けた所に、戦後の新しい時代にかけるメーカーの意気込みがうかがえる。 戦前直後の物資が欠如した時代に生み出された高級受信機は、高価すぎて売れなかったが、こうして日本の電子産業は戦後復興の一歩を踏み出したのである。
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松下製ラジオ1号機(当選号型)
ナショナル5球1号型超遠距離用R-51型 メーカー:松下電機製作所 年代:1932年 これは、電球のソケットやアイロンの量産で実績を作った松下がラジオに進出した最初の製品のひとつ。同社の試作品が1931年に東京放送局(JOAK)主催の交流受信機コンテストに当選したことからその市販モデルを「当選号」と呼んで宣伝した。高品質を目指して理想を追求し、漆塗りの豪華なキャビネットに収められた最初のシリーズには、コストがかかりすぎて商業的には失敗した。
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放送開始期高級受信機
Freed-Eisemann NR-5型ニュートロダイン受信機 メーカー:Freed-Eisemann Radio Co. Ltd 年代:1923年 業務用の無線機がそのまま使われていた初期のラジオは、プロ用のきわめて実用本意のデザインで、素人には使いこなせないものだった。これは、1920年代前半を代表するアメリカ製の高級受信機で、高周波2段増幅を安定に行うため、ニュートロダイン式としている。
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戦時末期の標準受信機
放送局型第123号受信機 メーカー:原口無線電機 年代:1944年 放送協会が定めた標準受信機である放送局型受信機は、戦時中の統制経済の下、日本の標準ラジオとなった。初期型は板を曲げて局面を作っていたが、この戦争末期のモデルは、板を薄くしすぎたために局面を維持できずに角形となった。
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戦時下の国産標準受信機
放送局型第122号受信機 メーカー:双葉電機 年代:1942年 放送局型受信機は放送協会が定めた標準受信機である。戦時中の統制経済の下、標準受信機に求められたのは資材節約であった。この機種のパネルは、単純な直線と曲線だけで構成され、塗り分け方などにアールデコの要素を見て取れる。厳しい制約の中でモダンデザインを実現しようとした秀作である。
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壁掛け型ラジオ
東芝 7TH-425型 壁掛け型7石スーパー メーカー:東京芝浦電気(株) 年代:1960-61年 円形の特異なデザインの壁掛け専用ラジオ。下側のチェーンを引くと電源が入る。全体がスピーカーのように見えるが、実際にはダイヤルの左右に小型のスピーカーが2個配置されている。 ユニークなデザインだが、使い方が限られるためか、この機種がその後発展することはなかった。
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報道用カセットレコーダー
ソニー TCM-100 ”プレスマン” メーカー:SONY 年代:1977年 報道関係者向けに作られた小型のカセットテープレコーダ。マイクとスピーカを内蔵し、立てて使うことができ、インタビューの際に利用であった。これにステレオのヘッドを付けたものがウォークマンの原型である。
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地球儀型トランジスターラジオ
MARC 地球儀型ラジオ メーカー:ニューホープ実業 年代:1960年頃 発熱が少なく小型のトランジスターラジオは、様々な形の外装に収めることが可能で、ユニークな形のラジオが多く作られた。これはその一つで、日本の中小メーカが主に輸出向けに製造したもの。後に、発注元の米国企業とデザインの帰属をめぐって裁判となった。
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国民型受信機
トヨタ K-2-C 国民型2号A受信機 メーカー:トヨタ自動車刈谷東工場 年代:1947年 終戦直後、「国民型受信機」として、標準型受信機の規格が制定された。ナショナル、シャープなどのラジオメーカーだけでなく、軍用生産を禁止された大企業や、新興の中小企業が、戦災で失われて不足していたラジオの市場に目をつけて数多く参入した。自動車生産を禁止されたトヨタ自動車もそのひとつで、このセットは、同社の電装品工場(現デンソー株式会社)が生産したものである。トヨタは自動車の生産が再開され、軌道に乗るまでの1949年までラジオの生産を続けた。
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