粗悪品からみるベーゴマ
初版 2022/09/05 13:46
改訂 2022/10/10 10:02
粗悪品 (ベーゴマ考22)
古いベーゴマの中に
粗悪品が存在することはしっていた。
しかし、実際みたことは無かった。
どういうとこが品質があかんのかそもそもイメージがつかない。
先に寄贈いただいた、葛飾コレクション
3500余のなかに
あきらかな
粗悪品があった。
これか…見て直ぐにわかる
その物はデッドストックだったのだろう
150くらいある
六大学野球の高王様サイズ
であるはずがいろいろちゃう。
まず質の悪さを列記する
・鋳物の鉄の材質の品位が低い
⇒色からしてくすんだ灰色をしていて、本来の日三鋳造製にみられる、ギラギラした力強さはない。そして、よくみると「ス」と呼ばれる小さな穴や空間や隙間がある。
・軽いそして、低い
⇒材料の品位が低いからであろうか、極端に軽い。そして、本来の背の高さはなく、低い。
これは、すこしでも少ない材料で製造しようとした為であろう。
・表面の六大学野球のTRWMHがズレており、凹凸が浅い
⇒上と下の部分の結合はかなり技術がいると先日の日三鋳造の辻井社長の話にもあったが、
あきらかにデザインがずれていたり上下がずれているものがある。
・ヘソの処理が切りっぱなしであまい
⇒ヘソとは鋳物を鋳造する時に隣と繋がっていた部分。つまりドロドロに溶けた鉄が流れてくる道の結合部であり、ブドウの房みたいに繋がっているところ。正式にはなんと言うのかわからんが、ベーゴマの出っ張りをずっとこうよんでいる。
ここのしょりが甘く、残っている。
しかし、この点については、割と関西バイの中には同じように甘いものがあったり、
逆に勝負の際に引っかかるとしてあえて、出っ張りがあるものを選ぶ子も居たようなので一概に悪い点とはなんとも言えない。
これらのことと、今まで分析したことを踏まえてこの粗悪品が出来ざるを得なかった背景を推測したい。
■昭和13年(1938)
昭和13年政府は戦局の悪化と物資の不足、特に武器生産に必要な金属資源の不足を補うため、鉄鋼配給規則を制定する一方、不要不急の金属類の回収を呼びかけ声明を発表。
お寺の梵鐘や公園の銅像までもお国のために
と回収され、それの余波はベーゴマなど鉄製玩具にも及ぶ
金属玩具の使用禁止である。
ベーゴマを作っていたのは
鉄工所や鋳造所であるが、基本は副業であり、薄利のベーゴマがメインの商品ではない。
徳島で取材した
富山鉄工も戦前大阪福島でベーゴマを作っていた時はメインは郵便ポストであり、あくまで副業てきにつくっていたとのことだった。
ベーゴマの型はもともと木型であるが、その後鉄製の元型が作られたと思われる。
最後は玩具製造元の命ともいえる、様々な「型」も軍に取られた。多くの製造元は型を失った。
それでも遊びたい子どもたちは戦争中は
代替えとしての陶器ベー・ガラスベーゴマで遊んだ。
◾︎昭和20年(1945)終戦そして復興へ
終戦を迎え、少しづつもとの生活が戻った時、
ベーゴマを再度作ろうとした。
しかし、鋳物の材料は
戦後の焼け野原の中
満足いく、品質の高い物は得られなかったと思われる。
そして、「型」がない。
そのため、残っていた完成品のベーゴマを使って型押しして、型としたのでは無いだろうか。
そのため、上下の不一致やデザインのズレが発生する。
品位が悪いベーゴマは
通常時では売れないだろう。
子どもの目から見ても
質が悪いのはあきらかだからだ。
そして、軽いものは簡単に負ける。
粗悪品のベーゴマをみていると
当初抱いていた
粗悪品に対する嫌悪感はすでにない
戦後の復興の中で
それでも
ベーゴマで遊びたいとおもった、
子どもたちの思いと、
その中でどうにか材料や型がなくてもつくろうと
努力した大人たちの努力
その結晶がこの子たちではないだろうか。
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