F104J 第2航空団 第201飛行隊 北海道 千歳基地(~1975年)

0

説明書には、「まるでミサイルのような突き抜けたデザインとマッハ2の 最高速度から「最後の有人戦闘機」とも言われましたが、 皮肉なことに自衛隊のF-104Jは現役引退後に無人標的機 として生涯を終えました。 また無駄を極端に廃し、徹底的 に絞り込むことで高性能を得ていた機体だけに兵装の搭載量が少ないなど汎用性に乏しく、 大型戦闘機を好む米空 軍ではわずか10年で現役を退いてしまいました。 しかし、 力強く真っ直ぐに飛ぶF-104は、 低空をドンとすっ飛ん でいく低空侵攻任務にも向いており、冷戦下のヨーロッパ では全天候型の多目的戦闘機として長く活用されました。 このようにF-104は研ぎ澄まされたがゆえに様々なエビ ソードを生み出した戦闘機だったといえるでしょう。コンパクトさを追求した結果、 初の量産型であるF-104A コのシートは脱出時に機体下方へ射出される形式となっ ていました。 機体をロールさせる必要があるので低空での脱 出はまさに命がけ。 さすがに後になって上方射出に改められ ましたが、それでもタイトなコックピットのせいで、計器バ ネルの縁でつま先を切断してしまう危険性が高かったのです。 またナイフのような切れ味を持つ主翼前縁も有名な話でした。 ダイコンはおろか手もスッパリとやってしまう鋭さのため、 駐機中には前縁を覆う特製カバーで「人」 をガードしなけれ ばなりませんでした。 多くの関係者がいまなおF-104に強い 愛着を持つのは、 どこまでも輝くその鋭いイメージが鮮烈な 記憶として残っているからでしょう。」等とかなりマニアックな事が書かれています。

Default