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F-1 第三航空団 第三飛行隊 青森県 三沢基地 (〜2000年)
1960年代、F-104Jの配備が進むにつれ、 余剰となったF- 86Fが支援戦闘機として対地攻撃任務に使われるようになり ました。 やがてそのF-86Fも老朽化したため後継として登場 したのが国産初の超音速戦闘機であるF-1です。 エンジンやー 部の電子装置は外国製ですが、 機体など主コンポーネントコンポーネントの ほとんどは国産品となっています。性能的な特徴は、空対艦ミサイルを2基搭載できることと、 ときには数十mの超低高度を高速で飛行できる部分に尽きま す。 翼の小さい尖ったフォルムはそうした任務に向いた、高 速安定性を重んじた結果のスタイルです。 シート配列や攻撃 用電子機器、電波高度計の有無を除けばF-1とT-2はほぼ同 じ機体で双子の関係にあると言っていいでしょう。
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F104J 第2航空団 第201飛行隊 北海道 千歳基地(~1975年)
説明書には、「まるでミサイルのような突き抜けたデザインとマッハ2の 最高速度から「最後の有人戦闘機」とも言われましたが、 皮肉なことに自衛隊のF-104Jは現役引退後に無人標的機 として生涯を終えました。 また無駄を極端に廃し、徹底的 に絞り込むことで高性能を得ていた機体だけに兵装の搭載量が少ないなど汎用性に乏しく、 大型戦闘機を好む米空 軍ではわずか10年で現役を退いてしまいました。 しかし、 力強く真っ直ぐに飛ぶF-104は、 低空をドンとすっ飛ん でいく低空侵攻任務にも向いており、冷戦下のヨーロッパ では全天候型の多目的戦闘機として長く活用されました。 このようにF-104は研ぎ澄まされたがゆえに様々なエビ ソードを生み出した戦闘機だったといえるでしょう。コンパクトさを追求した結果、 初の量産型であるF-104A コのシートは脱出時に機体下方へ射出される形式となっ ていました。 機体をロールさせる必要があるので低空での脱 出はまさに命がけ。 さすがに後になって上方射出に改められ ましたが、それでもタイトなコックピットのせいで、計器バ ネルの縁でつま先を切断してしまう危険性が高かったのです。 またナイフのような切れ味を持つ主翼前縁も有名な話でした。 ダイコンはおろか手もスッパリとやってしまう鋭さのため、 駐機中には前縁を覆う特製カバーで「人」 をガードしなけれ ばなりませんでした。 多くの関係者がいまなおF-104に強い 愛着を持つのは、 どこまでも輝くその鋭いイメージが鮮烈な 記憶として残っているからでしょう。」等とかなりマニアックな事が書かれています。
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Fa-4EJ改 第三航空団 第八航空隊 青森県 三沢基地
同封の解説書には、「F-104Jの後継機が、 米空軍のF-4Eをベースに爆撃管制装 置や空中給油装置を外したF-4EJでした。 1971年から自衛 隊への配備が始まったF-4EJは、それから約10年後の1981 年には若返りのために大規模な手術が行われます。そして生 まれたのがF-4EJ改でした。各型合わせて5000機以上が生産されたF-4シリーズのなか で、ここまでアップデートされたのはF-4EJ改だけ。 イス ラエルもEJ改と同じくHUD装備の機体を登場させています が、さすがに高性能の対艦ミサイルは運用できません。 もし かしたら最強のF-4がこのEJ改かもしれません。EJからEJ改への主な改修点は、 搭載電子システムの換装による戦闘能力の大幅アップでした。 F-16Aが搭載する AN / APG-66と同等のレーダーシステムが採用され、さら に主コンピュータもF-15Jと同じデジタル方式になりまし た。これでF-16Aの索敵能力とF-15Jの攻撃能力が併せて 盛り込まれ、最新型のAIM-7F スパローやASM-1/2空対 艦ミサイルが使えるようになりました。〜」とまるでタミヤやハセガワの本格プラモの解説書のように熱く語ってくれる、食玩キット恐るべしです。
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F104J 第38航空隊 第207航空団 沖縄県 那覇基地 (1972〜1985)
同封されている説明書によると、「F-104JはF-86Fの後継機で、 航空自衛隊の二代目主力 戦闘機です。 1964年から85年までの21年間に渡って使用 され、 高度15000mまで1分間で達する卓越した上昇能 力を生かして日本本土防空の任務に就きました。 自衛隊の ものは三菱重工がライセンス生産したJ型で、 これは主に ドイツなどヨーロッパ諸国向けのF-104Gを日本向けにモ デファイしたものです。 F-104には米空軍が採用したF- 104AやF-104C、 イタリア空軍のF-104Sもありました。 自衛隊は当初グラマン社のF-11F-1Fスーパータイガーを 採用する予定でしたが、 最終的に F-104Jに決定。 当時の航空幕僚 長が機種選定のために自ら米国へ乗り込んだと いう話は有名です。 最終的には単座のF-104Jが210機、 複座のF-104DJが20機生産され、 7個飛行隊に配備され ました。F104といえばピカピカのシルバーですが、 沖縄に配備されていた第207飛行隊の機体だけは対塩害塗装でエアクラフトグレー1色でした。 また、 戦技競技会 でグレー塗装の低視認性効果が認められてからというもの、競技会向けに秘策のカラーリングを施す飛行隊が多 くなり、全面黒に近いグレーや現在のロシア機のようなブルー系の迷彩も出現しました。」と記載されています。
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