「鹿児島方言小辞典」(南日本新聞社/加治木義博 著)

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ポケトークでは全く歯が立たない鹿児島弁。

そんな場合も、この1冊さえあればネイティブの皆さんとのコミュニケーションが可能。

第1部「鹿児島の方言」の部の鹿児島弁の単語と日本語との対訳に加え、第2部「鹿児島各地の地名・かわった地名の由来」の解説にも力が入っており、さらに第3部「鹿児島のことわざ」コーナーを熟読すれば、地元のジジババの皆さんとウィットにとんだ会話を交わすことすらできる。

鹿児島弁研究に生涯を注いだ(んじゃなかろうかと思う)地元の言語学者(だと思う)「加治木義博」先生の手による渾身の一冊!

いかにも薩摩のボッケモンっぽいバンカラなニセドン(お兄さん)が学ランに下駄はいて威張っている表紙のデザインも、薩摩感満載で素敵です。

※単語を覚えたとしても、ヒアリング能力の向上が必須です(笑)

 * * * * *

いわゆる地方出版モノ。
鹿児島の地元、南日本新聞社による刊行。

私、クォーター鹿児島なので、小さいころには鹿児島に親戚もいまして、小学生の頃に遊びに行ったときに親戚が買ってお土産に持たせてくれた。(背表紙の裏に「1983年」とエンピツで書き込みがあった…41年前からウチにある本ですネ)
隠れた愛読書のひとつです(笑)

当時の鹿児島の親せきの皆さんも、みな亡くなるか東京方面に出てきたり…、もう既に鹿児島には縁者は誰もいませんが(市内・草牟田墓地の墓じまいも済み…)、いつまでも私にとっては心の故郷の一つです…。。。

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    真適当工作

    5 days ago - 編集済み

    学生の時、同級生に何人か鹿児島出身でしたが、完璧な鹿児島弁で喋られると全く理解出来ませんでした😅あと、鹿児島には私のゴム銃に連発システムを伝授してくれた方がいらっしゃいます。アニメだと幕末をテーマにしたバクシンガーというのがありましたが、その中の登場人物が西郷隆盛をモデルにしていて、名前がイーゴモッコス❓️という名前だったような❓️。

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      T. S

      5 days ago

      だと思います。特に、今でも地本のお年寄りになればなるほど理解不能領域に…。でも、そこが鹿児島の言葉のアイデンティティであり魅力なんだと思います。写真に撮ってるこの本の序文、これがなかなか興味深いです。

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      レLEGOの日記

      5 days ago

      J9って知ってるかい?昔、派手に暴れ回ってたってゆうぜ…

      イーゴモッコスは肥後もっこす(熊本の方言で「頑固者」という意味です)からきてますね😄
      でも、キャラクターデザインは明らかに西郷隆盛…
      なんででしょうね🤔

      ちなみに鹿児島弁で頑固者は「いっこもん」、ついでに豆知識で「大胆な人、肝の座った人」を「ぼっけもん」と言います😄

      焼酎が飲みたくなる名前ですね😁

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      T. S

      5 days ago

      イーゴは、サイゴウのイ・ゴ からですかね?
      肥後もっこすの熊本の言葉と鹿児島がごっちゃにされてますね🤭

      この↑表紙のニセドンがいわるゆボッケモンですよね。

      つづきは下のほうで👇

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    レLEGOの日記

    5 days ago - 編集済み


    私は鹿児島と熊本のハーフですが、父が転勤族だったためあちこち引越しして(小学校4つ変わりました。弟は5つ…)、1番記憶に残っているのは母の実家があった鹿屋(鹿児島のある薩摩半島の反対、大隅半島の方です。自衛隊の基地とかあります。日本初の人工衛星「おおすみ」のネーミングの由来です。って、カッコの中書きすぎやろ、法律みたい…😅)です。

    祖父の家には天皇陛下の肖像写真と並んで西郷隆盛の肖像画が飾ってありました。

    鹿児島市内にも住んでいたことがあり、普通の公立小学校なのに制服⁉️で登校、宿題が死ぬほど出される(薩摩は特別な産業もない貧乏藩だったので人材を育てることに命をかけていたらしい…)、泣きながら宿題をする、という生活を送っていた時期もありました😅

    前置きが長くなりましたが、そんな鹿児島ハーフの私に言わせれば、本一冊でネイティブサツマニアン(勝手に造りました😁)とウィットにとんだ話をすることは困難です!(断言)。薩摩弁、それは他の九州地方とは違い、真似するだけでも大変な、いわば「真に外国語」⁉️

    ウーキー語を習得するくらいの努力が必要となることでしょう(いいすぎ🤣)😁

    ちなみに私が生まれた時に住んでいたのは「薩摩半島と大隅半島の付け根にある加治木町」でした。

    きっと「加治木義博」博士は加治木出身に違いありません(根拠なし🤣)‼️

    で、結局何が言いたかったのか、わからなくなったので、これで私の発表を終わります。

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      T. S

      5 days ago - 編集済み

      もう、最初の10行で大丈夫です。そこで3時間語り合えますね(笑)

      ちなみに、2週間前に鹿屋は行きました。さらに大根占とか佐多町とかあの辺に出張がありまして、今回は久々でしたが、15年前は5年ほど毎年通い詰めていた地域で、魔王の白玉醸造のおお女将?のおババさまに「よかにせどんじゃ」と覚えられ、魔王を売っている鹿屋の酒屋さんを紹介してもらったり…。

      佐多岬の先端のほうに関しては、都民で最も詳しいと15年前は自負してました。

      わかります。ガチネイティブは理解不能です。だって、15年前の仕事の話ですが、鹿児島市内の方を同行で佐多に行ったんですが、佐多岬の地元の年配の方と一緒に話しをして、私は実はほとんど理解できず、終わってから「いま何の話だったんですかね?」と聞いたら、「いや、わしにもいっちょんわからんかった(笑)」と、、、ネイティブの方にも分からない昔ながらの鹿児島弁が末端の地ではまだ使われてるようです。

      加治木先生の先祖はたぶん加治木町の郷士ですよ。加治木サァです。

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      T. S

      5 days ago

      ちなみに、熊本には、就職して約4年半住んでました。1990年代の半ばから終わりにかけての頃です。

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      T. S

      5 days ago

      加治木サァ、については、太平洋戦争中の日本とドイツを結ぶ潜水艦による連絡作戦に関わりがあるんです。

      この写真の本↓ 吉村昭先生の「深海の使者」に出てくる逸話でして、
      日本とドイツは三国同盟を結んだものの、戦時中はその間の地域は英国やソ連に阻まれ、実質的に連携が取れない状況だったのを、細々と潜水艦の行き来や封鎖突破船(ドイツ側から送り込まれる仮装巡洋艦、通称「柳船」)で新兵器や技術情報や人材のやり取りをしていました。

      しかし、そのための細かい連絡ができず(国際電話などは盗聴されるので)、困っていたところに使われたのが「鹿児島弁」だったのです。

      当時、ベルリンの日本大使館に勤務していた外務省職員の曽木隆輝氏が鹿児島・加治木町の出身だったことに外務省が着目、国内の外務省に勤務する鹿児島出身者(日置郡吉利村出身の牧秀司氏)に「ガチの鹿児島弁で平文で電話で話せ」と命じ、戦時中、日本からベルリンへの国際電話で、ガチの鹿児島弁で潜水艦の行き来に関する連絡をさせたのです。

      お互いを、出身地から「ヨシトシサァ」と「カジキサァ」と呼び合い、たとえば訪独から潜水艦で帰国したい野村海軍中将の動静については、野村中将も鹿児島の吉利村の生まれだったことから、できるだけ早口で
      「カジキサァ、ヨシトシのオヤジはもうモグいやったどカイ?」(加治木さん=ベルリンの曽木さん、吉利の親父=野村提督は、もう(潜水艦で)潜って出発されましたか?)とか、そうやって潜水艦便の情報連絡のやりとりをしたそうです。

      戦時中の国際電話は全て連合国側に盗聴、記録されて、これらのやりとりも全て米国の情報部に掴まれていたのですが、これを聞いた米国情報部は何語なのか全く分からず、解読不能な謎の言語だと混乱させることに成功、カゴンマ弁での情報連絡は成功したのですが、、、
      米国にも鹿児島で生まれた日系の情報員がいて、さいごはその人物に解読されて中身は知られてしまうのですが、、、その時にはすでにその野村提督を乗せた潜水艦は日本に帰り着いており、、、

      アメリカでも、日本人に英語の無線連絡を傍受・解読されないように、ナバホ族などのネイティブアメリカンを部隊に同行させて連絡員に使うなどしてましたね。映画がありました。

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      レLEGOの日記

      5 days ago

      ひとつ前の「いっちょん」も笑いましたが、
      >「カジキサァ、ヨシトシのオヤジはもうモグいやったどカイ?」
      かなり笑いました🤣

      もうバリバリの鹿児島弁イントネーションで脳内再生されました👍👍👍
      ウチの祖父母や母、親戚たちが話していた光景が目に見えるようです。

      そういえば、もう2〜30年前ですが、鹿児島の飲み屋さんで、お酒って頼むと普通に焼酎が出てきてました(ロックでも水割りでもなく普通に生)。
      関東の人?が飲みにきてて、酒って頼んだら、当たり前ですがコップにつがれた焼酎が出てきて、飲んだ瞬間に、酒じゃねーじゃねーか💢って、怒るおっさんと、ちゃんと酒だろっ💢ってこれまた怒る店のオヤジのケンカをゲラゲラ笑ってた記憶があります🤣🤣🤣

      いやぁ、文化って、ほんと面白いですね😁

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      T. S

      5 days ago - 編集済み

      ね、ほんとに面白いですね。
      とくにカゴンマは私も少しは縁があるもんですから、勝手に自分のアイデンティティの一部だと思って親近感ありますよ。

      サケ、といったら当然焼酎ですw

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      レLEGOの日記

      5 days ago

      私は熊本に住んでいて、ちょうどその頃(平成3〜4年かな?)に東京に越したので、入れ替わりですね。

      熊本、よかおごじょがずんばいおったとじゃなかですか?😁

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      T. S

      5 days ago

      おられました

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      レLEGOの日記

      5 days ago

      サケ=焼酎 同意👍👍👍

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      T. S

      5 days ago

      入社して最初に上司から指導されたことは、「お湯が先バイ💢」と、お湯割りの作り方でした。😁コレホント

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      レLEGOの日記

      4 days ago

      お湯割りはお湯が先、水割りは酒が先、なんですよね🥛
       
      あとは好みの話ですけど、梅干し、そのまま持ってこい、の人と、潰して持ってこい、の人といて面倒だったりしてました😅

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      T. S

      3 days ago

      うめぼしは自分でやって下さい(笑)

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    fanta

    3 days ago - 編集済み

    あ、こちらの一冊を
    貸していただけるんですね?😆

    まるで昨年行った“K10カフェ”のオーナーとの会話のようです…
    つーかT.Sさんとあのお店行ったらどんななるか…
    ワタシは見てみたいww

    熊本城の真ん前で、道を尋ねたことあるんですが…
    残念ながら、、ほぼ聞き取れませんでした😂
    方言強くて💦

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      T. S

      3 days ago

      そうです(笑)これのことデス🤭
      熊本でもそうだったなら、鹿児島の難易度はもっとですよ👆

      K10カフェ? あ、なるほど。敬天ですか。
      へー、こういう店があるんですね。

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      fanta

      3 days ago

      空間込みで濃かったです😆
      一人のオーナーは、西郷イトさんのひ孫だそうで…
      数時間、そこでおしゃべりしてました🙌

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      T. S

      3 days ago - 編集済み

      へー、そうなんですか。
      うちの祖母は鹿児島じゃないですか。市内だったんですけど、子供の頃、近所の武(たけ)と言うところに西郷家(大正時代)があって、たぶん娘さんだと思いますが、その当時におばあさんがいて、垣根から覗くと「おいでおいで」と手招きして、行くとお菓子をくれた、とか言ってましたよ。イトさんかアイカナさん系統か分かりませんが、せごドンのウチに行った、ってよく語ってくれました。

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