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Staufen Brau ( ??? / O )
ドイツ南部、バーデン=ヴュルテンベルク州のシュトゥットガルト地域にある町、ゲッピンゲン市(Göppingen)。 この町は鉄道模型メーカーの老舗メルクリン社の本社があることで有名ですが、この町にある歴史ある醸造所がこの「シュタウフェン・ブロイ」(Staufen Bräu)です。 そのビール貨車ですが、私のコレクションの標準サイズ、HOゲージ(縮尺1:87/軌間16.5mm)よりひと回り大きい『Oゲージ』(縮尺1:45/軌間32mm)模型になります。 人間の二の腕ほどの大きさがある巨大な鉄道模型ですが、この上にはまだ1番ゲージとか、LGBとかさらに大きいのがありまして…。 秋葉原のポポンデッタ(秋葉原店地下の中古コーナーではなく、あきばリユース店のほう)での掘り出し物です。 相当古いもので、残念ながら刻印がなくメーカー不明です。このサイズですからバッファや扉の開閉くらいしても良さそうなものの、なにもギミック無しw
O 不明 3,300円T. S
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「ベルファストとダウン州の鉄道 アイルランドの鉄道写真集 BELFAST & COUNTY DOWN RAILWAY … AN IRISH RAILWAY PICTORIAL」(Desmond Coakham著)
英国北アイルランドのベルファストと、ベルファストを含むダウン州を走る鉄道の記録写真集。 英国の鉄道模型で将来にレイアウトを作る際、駅やら機関区やら信号やら踏切やら、鉄道周りの資料がないと困るので、この手の本をいくつか購入しています。
英国の鉄道T. S
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「王立スコッツグレイ連隊の歴史 1914-1919 HISTORY OF THE ROYAL SOOTS GREYS 1914-1919」(連隊公式刊行物)
栄光のスコッツグレイ連隊、スコットランド系の英軍部隊でもっとも有名な部隊とも言える騎兵連隊ですが、1932年に書かれた部隊の第一次世界大戦の公式記録。 ほぼ文章で、写真は皆無。 でも、第一次大戦のときのラクダ🐪部隊としての歴史を調べるにはこの本が必須なのです。 英国エジンバラのエジンバラ城にこのスコッツグレイ連隊のミュージアムがあるのですが、この本はそこで売ってます。(エジンバラに行ったことはあるんですが、その時はミュージアムに寄れず、、、後悔…。なのでこの本はのちに通販で買いました。) 関連アイテム ラクダさんのミニフィギュア https://muuseo.com/T.S_beer_wagons/items/331?theme_id=9055 WW1時の騎兵ミニフィギュア https://muuseo.com/T.S_beer_wagons/items/318?theme_id=9055
英軍 連隊公式 公式ミュージアムからの海外通販T. S
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「スコッツグレイ連隊史 Second to None」(D.P. & G.社/連隊公式刊行物)
栄光のスコッツグレイ連隊。 今の正式名称は「王立スコッツ近衛竜騎兵連隊」(Royal Scots Dragoon Guards)といい、スコットランド系の英軍部隊でもっとも有名な部隊とも言える騎兵連隊です。 スコッツグレイという名の言われは、かつて全員が葦毛の馬(灰色がかった白馬)に騎乗していたことからグレイと言われ、その創立は英軍でも最古の世代、なんと1678年。 その連隊の創設から、この書が刊行された1954年までの歴史を記した連隊公式の記録です。 タイトルの「セカンド・トゥ・ナン」とは、直訳すれば「2番目がない」、つまり「比類無き存在」という、連隊のモットーです。 ほぼ文章ですが、まぁまぁ写真も載っています。 英国エジンバラのエジンバラ城にこのスコッツグレイ連隊のミュージアムがあるのですが、この本はそこで売ってます。(エジンバラに行ったことはあるんですが、その時はミュージアムに寄れず、、、後悔…。なのでこの本はのちに通販で買いました。) 関連アイテム メタルフィギュア https://muuseo.com/T.S_beer_wagons/items/138?theme_id=9055 チャレンジャー2戦車 https://muuseo.com/T.S_beer_wagons/items/113
英軍 連隊公式 公式ミュージアムからの海外通販T. S
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「母船式工船漁業」(成山堂書店/葛城忠男著)
昭和40年に、戦前からの水産技術の大家、東京水産大学の葛城教授が書き上げた渾身の一冊。 これさえ読めば、サケマス船団漁業だろうが捕鯨船団だろうが、母船式冷凍カレイ工船漁業だろうがなんでも来い‼️すべてが分かります。 小林多喜二の「蟹工船」とか日露戦争の信濃丸が晩年は蟹工船として使われていたとか、そんな事を読んでいたら「工船漁業」に関心が湧いてきたので購入。 けっこう面白い…と思うのは私だけ?笑 著者略歴; 大正元年農商務省水産講習所漁撈科卒,大正六年樺 太に渡航輸出向鱈漁業に従事,大正12年富山県水産請習所練習船県丸監督教官として連年カムサッカ西海岸沖合における母船式かに漁場の開拓。指導に当る。 昭和2年共同漁業(後日本水産)北洋部に入社、以 来北洋海域の船式工船漁業の開発に従事す。 同16年日本水産取締役北洋部長に就任、同22年専務取締役に就任す、同23年7月追放令により日本水産退社。 その後北洋機船,恵浦水産,拓南水産各社代表歴任、昭和31年東京水産大学講師を委嘱され現在に至る。 その間,昭和30年大日本缶詰協会植田会長より『かに缶詰発達躍進の基礎を確立せる功績者として』 た同35年大日本水産会高崎会長より、『母船式工船漁業の開発に尽し,かつ後進の指導に貢献せる功労者として』,それぞれ表彰を受けた。 →うーん、たしかに葛城センセはこの分野の第一人者のようですね…🤔
船舶 成山堂書店 850円T. S
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「激闘田原坂秘録」(肥後評論社)
熊本のローカル出版物。西南戦争の激戦地「田原坂」に関する、地元の郷土史家?の手による本ですが、とても手作り感があって(笑) とても不鮮明ではあるものの、けっこう貴重な写真も載っていて、西南戦争研究家でもある私的にはけっこう愛読書にしていました。 1990年代半ばから後半に熊本に住んでいたのですが、この本を片手に熊本や鹿児島の古戦場をめぐっていました。
西南戦争 肥後評論社 たぶん田原坂の資料館T. S
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「鹿児島方言小辞典」(南日本新聞社/加治木義博 著)
ポケトークでは全く歯が立たない鹿児島弁。 そんな場合も、この1冊さえあればネイティブの皆さんとのコミュニケーションが可能。 第1部「鹿児島の方言」の部の鹿児島弁の単語と日本語との対訳に加え、第2部「鹿児島各地の地名・かわった地名の由来」の解説にも力が入っており、さらに第3部「鹿児島のことわざ」コーナーを熟読すれば、地元のジジババの皆さんとウィットにとんだ会話を交わすことすらできる。 鹿児島弁研究に生涯を注いだ(んじゃなかろうかと思う)地元の言語学者(だと思う)「加治木義博」先生の手による渾身の一冊! いかにも薩摩のボッケモンっぽいバンカラなニセドン(お兄さん)が学ランに下駄はいて威張っている表紙のデザインも、薩摩感満載で素敵です。 ※単語を覚えたとしても、ヒアリング能力の向上が必須です(笑) * * * * * いわゆる地方出版モノ。 鹿児島の地元、南日本新聞社による刊行。 私、クォーター鹿児島なので、小さいころには鹿児島に親戚もいまして、小学生の頃に遊びに行ったときに親戚が買ってお土産に持たせてくれた。(背表紙の裏に「1983年」とエンピツで書き込みがあった…41年前からウチにある本ですネ) 隠れた愛読書のひとつです(笑) 当時の鹿児島の親せきの皆さんも、みな亡くなるか東京方面に出てきたり…、もう既に鹿児島には縁者は誰もいませんが(市内・草牟田墓地の墓じまいも済み…)、いつまでも私にとっては心の故郷の一つです…。。。
外国語 南日本新聞社 親せきに頂いたT. S
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「装甲艦の誕生 RISE OF THE IRONCLADS」(George F. Amadon著)
アイアンクラッド、装甲艦。 木造船体に鉄板を貼り付けたり、鉄道レールを内張に使ったり、鉄板で外皮を構成したり、、、木造の帆船時代から近代の鉄製軍艦に進化する過渡期の時代の軍艦です。 砲塔もこの時代に生まれます。 装甲艦、、、なんてステキな響き…。 南北戦争において発達した米国の装甲艦でもっとも有名な、南軍のヴァージニア(元北軍メリマック)と北軍の装甲艦モニターに焦点を当て、装甲艦の誕生から、かの有名な世界で初めての装甲艦どうしの戦い、1862年3月のハンプトン・ローズ海戦に焦点を当て、そして戦後に廃れるまでの歴史を、豊富な写真、精緻な絵と図表で解説する資料本。 これは資料価値が高い‼️ このような「珍妙な船」が好きな方は必携です👆 私の知る限り、この手の船の1番のマニアは作家クライブ・カッスラー氏。この手の船が好きな方は、同氏の著作、自らのサルベージ活動のドキュメンタリー「沈んだ船を探り出せ」も読みましょう。 米国レベル社製だったか、ハンプトン・ローズ海戦プラモデル(ヴァージニアとモニターと海面のセット)を持っていたんですが、作らないまま20数年前の第一次断捨離にて処分してしまい、、、人生の後悔の一つです。
南北戦争T. S
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「OLD HONGKONG(香港古写真集)Vol.1, 2」(Form Aria社?)
タイトル「OLDHONGKONG」 香港が英国の植民地となり、本格的にアジアの拠点として近代化がすすめられ、そして第二次大戦終結に至るまでの歴史を記録する古写真を集めた写真集。 硬質の表紙の変形B4サイズの大型本、一巻と二巻を化粧箱に収める豪華な作り。 Vol.1 1860-1900 Vol.2 1901-1945 前半に渡り素晴らしい写真の数々。 高校生の頃だったか、まだ英領時代の香港に行った時に本屋で見つけて、大きさと重さに躊躇したものの、、、ここで買わずして!と購入。
古写真 ? 香港の本屋T. S
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「オークニーの沿岸砲台(Orkney Coast Batteries 1914-1956)」(Jeff Dorman著)
世界中に、私みたいな人がいるんだなぁ、と思わされる本。 英国本土の最北端、そこからさらに北の沖合に浮かぶオークニー諸島。 英海軍は、その島々に囲まれた天然の泊地、スカパ・フローを軍港(泊地)にして大西洋における英海軍の一大拠点にしましたが、そうなると、当然ながら軍港を守るのため、島中に砲台を築いて全島を要塞化し、海から迫る敵に対する防御を固めたのです。 こうした砲台は航空戦の時代には全く役に立たないものとなり、戦後すぐに放棄されて、備砲は撤去されてコンクリートやレンガの遺構だけが虚しく残ることになります。 その遺構を、すべて調査してまとめたのがこの本の著者。 地元の人なんでしょうかね。 会ってみたいものです。 自由研究をまとめて自費出版したような手作り感のある資料です。手書きの図と、自分で撮ったスチール写真に、いかにもタイプライターで売ったかのような本文がアジがあってよい感じw 2000年に現地に行ったときに、現地(島の中心、カークウォール町)の本屋で購入しました。 たったの5ポンドでしたが、元は取れたのでしょうかね。(※奥さんに「あんた、こんなのお金出して買う人いないわよ!」って言われて、しぶしぶ低価格の値を付けて売り出したんだと思うw)
要塞 自費出版っぽい £5T. S
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「チャーチル・バリヤ写真集 BOLSTERS BLOCKS BARRIERS(The story of the building of the Churchill Causeways in Oakney)」(A. Cormack著)
BOLSTERS BLOCKS BARRIERS (The story of the building of the Churchill Causeways in Oakney) 英国本土の最北端、そこからさらに北の沖合に浮かぶオークニー諸島。 英海軍は、その島々に囲まれた天然の泊地、スカパ・フローを軍港(泊地)にして、大西洋における英海軍の一大拠点として活用してきました。 ところが、WW2の緒戦期、ドイツ海軍ギュンター・プリーン艦長率いる潜水艦U-47は、島々の隙間を抜けてスカパ・フローの泊地に侵入、戦艦ロイヤル・オークを撃沈したのです。 これを受けて慌てた英国は、泊地の防備を強化するため、時の首相チャーチルの命により、島と島の間に多数の沈船や大量のコンクリートブロックが沈められ、いわゆる「チャーチル・バリヤ」が築かれたのですが、それが完成したのは1945年の5月、、、戦争という壮大な無駄の象徴のようですね。 そのチャーチル・バリヤの建設を記録した写真集。 2000年に現地に行ったときに、現地(島の中心、カークウォール町)の本屋で購入しました。
自費出版っぽい £8.75 オークニーの現地T. S
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「旅顺口近代战争遗迹(旅順口近代戦争遺跡)」(大连出版社)
こちらも、もう一冊の写真集と同様に、2000年頃だったか、旅順市に要塞遺構探索に行った時に、旅順市内の資料館の売店にて購入。 中国側が制作した旅順口の要塞跡などの写真集。 いまだに残る数々の要塞の遺構のカラー写真が豊富に掲載されており、資料としてとても価値あり。 もう一冊とは別アングル(制作目的は同じですが、撮影者が別。つまりお互いに被ってるw)の写真で、とくに、黄金山砲台、電気礁砲台などの海正面の砲台の遺構や、火石嶺の重砲陣地跡の写真が貴重。 旅順要塞研究家はこれら2冊は必携です👆
日露戦争 旅順市内T. S
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「旅顺口大观(旅順口大観)」(中国摄影出版社 China Photographic Publishing House)
2000年頃だったか、旅順市に要塞遺構探索に行った時に、資料館の売店にて購入。 中国側が制作した旅順口(要塞跡、港湾、市街、周辺地域)の写真集。 いまだに残る数々の要塞の遺構のカラー写真が豊富に掲載されており、資料としてとても貴重。 東鶏冠山、ニ龍山、松樹山、椅子山、太陽溝、案子山、高崎山、水師営など、著名な地点の写真が多数。 完全に土産販売を意識しており、英語と日本語も併記で分かりやすくて助かります。 本書の前書き 神秘的なベールに覆われた旅順は、遊東半島の最南端に位置し、海を隔てて山東半島と向かい合っている。ここは渤海湾の咽喉部に当たり、昔から「京畿の門戸」と言われており、戦略的地位が極めて重要である。 長い歴史を持っている旅順は、漢の時代から「沓津」「馬石津」「都里鎮」「獅子ロ」などと呼ばれていた。明王朝の初期、明の軍隊が違東地域を回復すべく、海を渡って平安無事に獅子口に上陸した。これを記念するために、旅途平安、順調到達の意味から、獅子口を旅順に改称したのである。 清らかで優美典雅な旅順は、黄海と渤海の白波に囲まれ、景色が優れ、天然景観が多く、今や遠くまでよく知られている国家レベルの名勝地となっている。 旅順は帝国列強による幾度の侵略などで、いやと言うほど心配をなめている。 1894年に爆発した中日間の中日甲午戦争(日清戦争)の際、旅順がその主戦場となり、約二万名にも上る無の百姓が無惨に殺戮された。1898年、ロシアは強制に旅順を借用し、7年間も占拠した。1904年、旅順がまた日露戦争の爆発地となり、328日も続く日露間の旅順争奪戦によって、旅順が戦争の廃墟とな見渡す限りの人が傷をこうむっているのである。その後、旅順がまたとも四十こも亘る日本の植民地とされた。それがゆえ、「一つの旅順は、半巻の歴史でという説が生まれたわけである。
日露戦争 中国摄影出版社 China Photographic Publishing House 旅順市内T. S
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「明治初年の 武家地処理問題」(東京都)
江戸時代、江戸の中心は全国の諸藩の藩邸、しかも、上屋敷、中屋敷、下屋敷と、多くの武家屋敷で占められていました。 それが、明治維新によって新政府にお召上げとなり、そして、さらに問題なのは徳川家の旗本8万騎、さらに御家人の屋敷。 これらの元・武家屋敷を明治政府がどう処理したのか、という、、、だれがそんなこと研究したんじゃ?という超マニアックな研究書。 でも、意外と面白いですよ。
お江戸 1120円T. S
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「馬賊列伝」(都築七郎著)
辺見十郎太の忘形見、辺見勇彦、薄天鬼、薄白竜、小日向白朗、山本重太郎、伊達順之助、鉄甲こと根本豪、松本要之助、シベリアお菊など、日本人の馬賊頭目たちを網羅。 満州馬賊研究には欠かせない一冊。 昭和47年の初版本
番町書房 古本屋 1996年T. S