閃亜鉛鉱 (sphalerite) 尾去沢鉱山 #0305

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閃亜鉛鉱の群晶で、鉄分の含有が相対的に少なく飴色に見える、いわゆる鼈甲亜鉛もそこかしこに観察できます。下地を含めほとんどが閃亜鉛鉱からなる標本です。全体写真(1~2枚目)は背景をソフト処理しています。

尾去沢鉱山の発見は伝承によれば708年(和銅元年)に遡り、ここで採られた金が奈良の大仏や平泉中尊寺で用いられたとも言われています。本格的に開発されたのは1598年(慶長3年)に南部藩の北十左衛門が白根金山を発見してからで、金が枯渇してきた1695年(元禄8年)には銅鉱が発見され、1765年(明和2年)に南部藩の直営となり、別子銅山、阿仁銅山と並ぶ日本の主力銅山の一つとなりました。典型的な中温熱水鉱床で、1889年(明治22年)以降三菱財閥が開発を行うようになってからは近代化が推し進められ、深さ30メートルごとに水平坑道が展開され、坑道の総延長は800キロメートルに達し、銅のほか、金、銀、鉛、亜鉛が採掘され、特に産銅量は足尾、別子、小坂、日立に次ぐ日本第5位を誇りました。1978年(昭和53年)に閉山するまでの産出量は、銅30万トン、金4.4トン、銀155トンと推定されています。

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