黄銅鉱 (chalcopyrite) 宮田又鉱山 #0584

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黄銅鉱が一部酸化してピーコックオア状に変色していますが、そこを含めてとても美しい色合いだと思っています。宮田又鉱山誌の表紙の鉱石とも良く似ています。

宮田又鉱山は、1722年(享保7年)に発見され、1737年(元文2年)に宮田銅山として稼行が開始されました。1800年代初頭の享和年間以降は鍋倉鉱山として久保田藩の直山となりましたが採掘結果は芳しくなく、以後長い間放置されました。明治以降も昭和初年に至るまで複数の鉱山主が経営を試みましたが断層が多く湧水が沸き易い地質であったため、その採掘は多くの困難を伴いました。1939年(昭和14年)に国策会社である帝国鉱業開発株式会社が買収、軍需の増加を背景に最新設備を導入し、近隣の荒川鉱山が1940年(昭和15年)に閉山したことに伴う人員の流入もあり、全盛期を迎えました。
1949年(昭和24年)、GHQの財閥解体指令により帝国鉱業開発が解体され新鉱山開発株式会社が宮田又鉱山を継承し、日本の復興と経済発展に貢献しつつ規模を拡大しましたが、1965年(昭和40年)に鉱脈枯渇により閉山となりました。

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