方鉛鉱 (galena) 秩父鉱山 大黒坑 #0600

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こちらも同じ大黒坑産の方鉛鉱ですが、典型的な劈開面を示しています。方鉛鉱と共に黄銅鉱が見られ、一部は酸化して青紫色を呈しています。1~4枚目は背景をソフトウエア処理しています。

父鉱山では地下から上昇したマグマが主に石灰岩と反応してスカルン鉱床を形成、その中から約140種類の鉱物を産出し、産業的にも、鉱床学、鉱物学的にも関東地方有数の鉱山でした。
秩父鉱山の歴史は古く16世紀まで遡り、甲斐武田氏が金および砂金を採掘したと伝えられます。江戸時代、1764年(明和元年)に平賀源内が秩父両神山産の石綿を使って織った「火浣布」の作成に成功、1766年(明和3年)には中津川で金鉱の採掘を試みたものの失敗、1772年(安永元年)に、中津川で砂鉄を集め、鉄山事業に着手しましたが製錬技術が未熟で1774年(安永3年)には休山しました。明治末期になり優良な金鉱床が発見され、1912年(明治45年)から近代的な金鉱山開発が本格化しましたが、1914年(大正3年)に第一次世界大戦が勃発すると鉄の価格が急騰、秩父鉱山も主な採掘対象を金から鉄鉱石に切り替えました(主な鉄鉱床は和那波(わなば)・道伸窪(どうしんくぼ))。1937年(昭和12年)には日窒鉱業開発株式会社(現在の株式会社ニッチツ)が秩父鉱山を買収し、3年後に本格操業を開始、1960年代には亜鉛、磁鉄鉱などを採掘、最盛期には年50万トンを出鉱しましたが、1978年(昭和53年)に金属採掘を中止し、2022年(令和4年)には最後まで操業していた結晶質石灰石の採掘事業を終了、閉山しました。

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