1941(昭和16)年既に、無線操縦飛行機の実験を行っていた戦艦「山城」

0

1944(昭和19)年、日本の敗色が濃くなり戦力が払底してくると、後方に引いていた「扶桑」と「山城」も前線に引っ張り出されます。レイテ沖海戦へ参加するも、アメリカ駆逐艦隊から魚雷を受けて、「扶桑」と同じ10月25日にスリガオ海峡で撃沈されます。生存者は10名と言われています。

「欠陥艦」などともいわれますが、国産初の超ド級戦艦として、日本海軍の経験値を稼いだ功績は評価されてよいでしょう。

Default