Muldivo Model M 機械式計算機

0

1940年前後の製造と思われる機械式計算機。

Muldivoは1912年創業のロンドンの輸入商社で、外国製の機械式計算機に自社のブランドを付けて販売していた。Muldivo Model Mは、Thales社のModel Mだと思われる。Thales社はこのほかにも数機種をOEMとしてMuldivoに供給している。

この計算機(シリアル番号26651)はebayで購入した。筐体は第二次世界大戦までの流行だった黒塗りの板金だが、メッキや塗装の痛みが非常に少ないきれいな状態だった。ゴム足が完全に硬化してぼろぼろになっている点は、経年を考えれば仕方ない。

各ハンドルや値数レバー、カーソルの動きはスムーズだが、桁送りだけが重い。油が劣化している可能性もあるので一度分解してみようと思っている。

機械式計算機は形ばかり見るものではない…とは思うのだが、この製品は状態もよいうえに戦前のデザインの良さを小さな外形にギュッと濃縮しており、見ていて飽きない。機械を据え付ける土台やクランクハンドルを支持する部品には鋳鉄が使われており、角張った板金とのコントラストが美しい。メッキに劣化がないことや置数レバーの持ち手部分の細工の細かさ、エッジの加工は製造が丁寧だったことを思わせる。

なりは小さいが、動作音は驚くほど大きい。この形式の計算機(オドナー式計算機)は、置数レバー(Muldivoのロゴの右に並んだ数字の部分にレバーがある)をオール9にセットした時が、一番動きが重くなる。この状態で右奥のクランクを回すと、ガラガラとやや無神経な音が響く。また右手前のクリア・レバーを回転させると、ガチガチと音を立てて、右手前のダイヤルがクリアされる。キャリッジ(手前に二か所数字が並んでいる部分)をシフトさせる際には、バチン、バチンと音がする。小さな子供なら驚いて泣き出すだろう。事務所で使うにもうるさかったのではないか。

ただ、音は大きいものの加工が悪いといった風ではない。どこを触ってもしっかり作られていると感じる。

なお、この計算機はカウンターに桁上げ機構が付いていない。そのため「アンダーフローのベルが鳴ったら桁下げして、クランクを逆に回す」という後年の機械式計算機で使える割り算の手抜きテクニックが使えない。ベルが鳴ったら、その場でクランクを1回逆転してから次の桁に移ることになる。もっとも、手抜きテクニックはクランクの回転方向を覚えなければならないので私はあまり好きではない。

ところで、この製品には製造時期の記録がない。機械式計算機には海外に熱心なファンがいて膨大な資料を集め、公開している。しかし、Muldivoが輸入商社に過ぎなかった上にThalesがマイナーかつ特徴の少ない製品を製造していたせいか、両者に関する資料は少ない。なので、シリアル番号から製造時期を推察することはできない。

ところが、公開されている広告にヒントがあった。機械式計算機の情報を集めているRechnerlexikonのThales Model Mのページに製造されていた当時の広告が出ている。
http://www.rechnerlexikon.de/en/artikel/Thales_M

この広告のモデルは、私の計算機とほとんど同じ形をしている。機械式計算機は内部構造が同じでもハンドルの持ち手などが結構変わる。実際、この広告のモデルと私の計算機は正面手前の桁送りのつまみ形状が違う。私の計算機のつまみの形状はThales社の製品でもModel Mにしか見られないらしい。おそらくは最初は他の製品と同じつまみで製造を始めて、後からこのつまみの形になったのだろう。そうすると、広告が打たれたよりも後に製造されたものと思われる。

ところでこの広告主だが、住所がWurzburgのアドルフ・ヒトラー通りになっている。Wuzburg市の情報を調べてみると、アドルフ・ヒトラー通りは1933年に劇場通りから改名され、1945年に元の名前に戻されている。
http://www.fkg-wuerzburg.de/inhalte/schule/faecher/geschichte/facharbeiten/kiesel/data/hitler.htm

ということは、広告が打たれたのは1933年以降となる。

一方、イギリスとドイツの間の貿易に関しては、「1940年のダンケルクの戦い以降、ドイツ製計算機が手に入らなくてイギリス陸軍が困ったことになった」と言う面白いエピソードがある。
http://www.vintagecalculators.com/html/the_twin_marchant.html

ということは、MuldivoもそのころにThalesから輸入できなくなっただろう。私の計算機は1933年から1940年ごろの製造だと思われる。

さて、この計算機にはMuldivoのロゴの上に銘板が貼ってある。機械式計算機では筐体にブランド以外に取扱店の銘板が貼ってあることがある。何分安くない製品なので「追加のご注文と手入れのご用命は当店に」ということなのだろう。手入れの時に板金を塗りなおすサービスもあったらしい。

ところが、この計算機の銘板を見ると C.R.BRENIG KARLSRUHE KARLSTR.1 とある。最後はKARLSTRASSE 1の略らしい。つまり、販売代理店と思われるC.R.BRENIG商会(?)はドイツのカールスルーエ市カール通りにあったということになる。

これはおかしい。今ほど物流が盛んではない時代だ。輸入にはそれなりに手間も金もかかる。わざわざロンドンに輸出したThalesの計算機をドイツに輸入する理由がない。何しろ、全く同じThales Model Mをドイツ国内で売っているのだ。

そしてC.R.BRENIGについてもわからない。この社名が機械式計算機と一緒に現れるのはオークションだけで、しかも決まってMuldivoの銘板としてあらわれる。Thalesではない。

ここで地理の話になるが、実はカールスルーエ市はThalesの本拠地であったRastattの目と鼻の先にある。

そうすると、こういう妄想を我慢することがとても難しくなる。つまり、ダンケルクの戦い以降に英独貿易が途絶えたため、Thales社では本来輸出向けとして製造したMuldivoブランドの部品在庫が宙に浮いてしまった。加工にかけた人件費を考えると、鋳つぶしてしまうのは忍びない。そこでThales社はブランド・オーナーであるMuldivo(敵国である)に黙ってドイツ国内の非正規のルートで横流ししてしまったのではないか…。

妄想は妄想でしかないし、これはThales社の名誉を損なう妄想だ。しかしこれが当たっているなら、製造時期は1940年以降で、おそらくは1941年あたりまでだろうと思われる。

使用痕があまりないこの計算機は、どうやら第二次世界大戦初頭に製造され、その後をドイツで過ごしたらしい。カールスルーエ市はイギリス空軍による激しい爆撃を受けている。どんなふうに戦争を生き延び、21世紀にたどり着いたのだろう。

この機械を見ていると、そんなことを考えてしまう。

コメントを受け付けていません
Default