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日本軽巡洋艦 多摩
多摩(たま)は、球磨型軽巡洋艦の2番艦で、1921年竣工、1934年に航空兵装などの近代改装を受け、北方方面のシベリア出兵の為の兵員輸送の任務に就きました。太平洋戦争開戦時には、対ソ連のために千島列島の哨戒の任に就いていました。北方任務の為、船体は白とグレーの迷彩塗装が施されており、北方の女王の異名で呼ばれています。奇跡の作戦と言われたキスカ島撤退作戦に参加、キスカ島に包囲されていた日本軍を霧に紛れて救出し、見事脱出に成功しました。その後南方方面に転戦、レイテ沖海戦にて米潜水艦の魚雷3発を受けて大破、船体が真っ二つに割れて轟沈してしまいます。 #タミヤ #軽巡洋艦 #日本軍
31317 ウォーターラインシリーズ317 艦船 1/700ちょこ大佐
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特殊潜航艇母艦 千代田
千代田(ちよだ)程艦種が変わる改装を受けた艦はありません。もともとは千歳型空母の2番艦として高速給油艦の機能を有した水上機母艦として竣工しましたが、一度目の改装で水上機母艦兼甲標的母艦になって太平洋戦争に参加、その後二度目の改装でカタパルト及び搭載機を半分にし、代わりに特殊潜航艇を12機搭載可能な特殊潜航艇母艦に生まれ変わります。更に大日本帝国海軍がミッドウェー海戦にて空母4隻を損失したのを受け、3度目の改装で航空母艦に改装されます。最後は航空母艦としてレイテ沖海戦に参加、アメリカ重巡洋艦ウィチタの砲撃を受け沈没、その数奇な生涯を閉じました。 #アオシマ #特殊潜航艇母艦 #日本軍
001219 ウォーターラインシリーズ549 艦船 1/700ちょこ大佐
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日本海軍巡洋艦 妙高
妙高(みょうこう)は大正15年10月25日に起工、昭和4年7月31日に横須賀海軍工廠で竣工しました。第2次改装後、第2艦隊第5戦隊に編入され昭和16年11月に呉を出撃しフィリピン攻略作戦の任務に就き、その後珊瑚海海戦、アリューシャン攻略作戦、マリアナ海戦などに参加しましたが、昭和19年12月13日、サンジャック沖にて米潜水艦の雷撃により中破、羽黒に曳航され到着したシンガポールにて終戦を迎え、昭和21年7月に英軍によりマラッカ海峡で海没処分されました。 #ハセガワ #巡洋艦 #日本軍
? ウォーターラインシリーズ333 艦船 1/700ちょこ大佐
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日本重巡洋艦 古鷹
古鷹(ふるたか)は大正11年12月5日に起工、大正15年3月31日に三菱長崎造船所で竣工しました。古鷹型の特徴は波形甲板と呼ばれた2か所で傾斜して艦尾に行くほど低くなる甲板で重量を軽くするために採用されました。またこのクラスの艦として初めて大口径の20.3センチ砲が装備されました。開戦時には第1艦隊第6戦隊に所属して中部太平洋方面の作戦に従事し、第1次ソロモン海戦に参加、夜戦の奇襲攻撃でアメリカ艦隊に大勝利を収めました。昭和17年10月12日、サボ島沖海戦で命中弾を浴びで沈没、その艦命を終えました。 #ハセガワ #重巡洋艦 #日本軍
? ウォーターラインシリーズ345 艦船 1/700ちょこ大佐
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ドイツ Ⅳ号駆逐戦車ラング
ソビエト軍の傑作戦車T34やKV-1に驚いたドイツ軍は、急遽対応できる戦車を作り始めました。当初はⅣ号戦車の車体を流用して48口径75㎜砲を搭載したⅣ号駆逐戦車を生産しましたが、すぐに砲塔をパンターと同じ70口径75㎜砲に変換した、Ⅳ号駆逐戦車ラング(Sd.Kfz.162/1)を生産し始めました。この搭載した長砲身こそラング最大の特徴で、500mの距離から140㎜以上の装甲版を撃ち抜く威力を持ち、大きな期待なうちに1944年5月から量産に入りました。しかしすでに二次大戦も末期、わずか900両余りを生産しただけで終戦を迎えます。約1.85mと極めて低い車高、洗練されたスタイルは、理想的な形態、性能を備えた駆逐戦車と高く評価されています。 #タミヤ #駆逐戦車 #ドイツ軍
35088 MM88 戦車・AFV・歩兵 1/35ちょこ大佐
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ドイツⅣ号突撃榴弾砲ブルムベアー
1942年、スターリングラードを攻撃したドイツ軍は、市内のビル等の建物を要塞化して抵抗するソビエト軍にひどく苦戦していました。この経験から、強力に要塞化された都市の攻撃を主目的に開発されたのがⅣ号突撃榴弾砲戦車ブルムベアー、別名ストゥームパンターⅣ号(Sd.Kfz.166)である。ブルムベアーとは「気難しい人」「不平不満を言う人」という意味である。シャーシはⅣ号F型戦車のものを流用、全面100㎜にも及ぶ強力な装甲版による戦闘室に威力ある150㎜榴弾砲搭載、1943年4月~5月にかけて60両の第一次生産がおこなわれ、一部がクルスクの戦いに投入されたのですが、戦車戦となったクルスクの戦いでは、市街戦に特化したブルムベアーはその実力を十分に発揮できませんでした。ブルムベアーが本来の実力を示したのは、イタリア戦線、そして後期の東部戦線からです。臼砲に近い曲射性能を持つ150㎜榴弾砲が山がちのイタリアでの運用に適し、また後期の東部戦線ではソビエト軍がドイツ国境に迫り、市街戦が多くなったからです。このためブルムベアーの生産は1943年12月から再び強化されることとなりました。Ⅳ号戦車の発展に伴い、シャーシはⅣ号H型及びJ型のものが流用され、更に細部も改良が加えられ、市街戦専用車としてその地位を確保していきました。特殊用途の戦車でありながら、最終的な製造台数は300両近くになったと言われています。 #タミヤ #突撃榴弾砲 #ドイツ軍
35077 MM77 戦車・AFV・歩兵 1/35ちょこ大佐
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ドイツパンター中戦車
第二次大戦中のドイツ戦車の中で、火力・防御力・機動力などあらゆる面を総合して最優秀と言われたのがパンター。別名パンツァーカンプワーゲン5号(Sd.Kfz.171)。 1941年夏、勝利の勢いに乗ってソビエトに侵入したドイツ軍は、初めてT-34やKV-1などソビエトの誇る新鋭戦車に出会うことになります。ドイツ軍はその優れた戦車用法により、序盤は勝利を続けることができましたが、当時のドイツの主力戦車であるⅢ号戦車Ⅳ号戦車は性能的に劣ることがはっきりわかってしまいました。このため、これらソビエトの新鋭戦車を上回る性能の新型戦車の制作が急務となりました。1942年初めから開発がスタートしたのがⅤ号戦車のパンターです。T-34の性能を徹底的に研究、その長所が大幅に取り入れられたパンターは、1942年の暮れから量産に入り、1943年7月のクルスク戦に投入されました。主砲に高威力の70口径75㎜砲を搭載。車体は大幅に傾斜装甲を採用して軽量化と装甲防御力の増加を実現していました。エンジンはⅣ号戦車の2倍の出力を持つマイバッハHL-230、出力600馬力を備え、最高速度46㎞と軽快な機動性を持ち、バランスの取れた傑作戦車として戦車兵から信頼を寄せられました。生産数はⅣ号戦車に次ぐドイツ戦車としては2番目に多い約6000両を生産し、大戦後期の主力戦車として活躍しました。 #タミヤ #中戦車 #ドイツ軍
35065 MM65 戦車・AFV・歩兵 1/35ちょこ大佐