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戦前の地下鉄上野広小路駅スタンプ
昭和10年4月13日の押印日付が入っている地下鉄上野広小路駅のスタンプ。印影は、まあまあ。 描かれている建物は松坂屋上野店。 中央のマークはアルファベットのTとCがあしらわれた東京地下鉄道のもの。 #スタンプ #地下鉄 #戦前 #上野広小路 #松坂屋
スタンプ 東京地下鉄道 昭和10年showa_express
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防空演習のスタンプ~その1
緊急事態宣言にちなみ夜間の消灯を促す小池知事の発言があって、ツイッター界隈で「灯火管制」がトレンドに上がっていたので、戦前の防空演習スタンプをば。 「空襲だ 水だ マスクだ スイッチだ」 語呂がよく覚えやすいです。 標語はこうでなくっちゃいかんですね。 #スタンプ #戦前
防空演習 スタンプ 日本showa_express
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京王御陵前駅のスタンプ
北野で分岐する京王の高尾線。 今でこそ高尾山口まで行ってる路線ですが、昭和6年から、休止した昭和20年までは、山田駅から先は西斜めに北上し大正天皇の墓所である多摩御陵までをつなぐ、その名も御陵線でした。 路線としては、グーグルなどの地図で見ると分かりやすいですが、山田駅から北西に伸びる道路がJR中央線と河川の南浅川を越えてから南西に緩くカーブを描いて陵南公園の手前で止まるまで、これがおおよその線路跡のようです。 山田の先は途中に武蔵横山駅があるだけで終点の御陵前駅となります。 単線とはいえ築堤や高架を走っていた区間もあったようで、武蔵横山駅は中央線をオーバークロスした直後の位置に設けられていました。 終点の御陵前駅は昭和12年5月には多摩御陵前駅と名称を変更し、昭和20年1月に不要不急路線として休止されるまでそのままでした。 休止時点では国策で合併させられた東急(大東急)の駅でしたが、その年の8月に空襲で駅舎は焼失しています。 戦後も電車が走ることはなく、昭和39年に正式に廃止。その後、北野-山田間は高尾線の区間として復活しています。 現在も住宅地の中に当時の高架線橋脚が数本残っているようですが、焼失した御陵前駅跡に痕跡はなく、現在は内科医院が建っているようです。 ウェブを見れば廃線マニアが路線や駅跡を歩いた探索記が何件かヒットしますので、興味のある方は探してみてください。 このスタンプは昭和10年9月24日の押印日付で、改称前なので御陵前駅となっています。 なかなかに貴重な代物と思われます。 #駅スタンプ #京王 #御陵線 #御陵前駅 #多摩御陵前駅 #高尾線 #戦前 #昭和レトロ
スタンプ 昭和10年 京王御陵線showa_express
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阪急の神戸高架乗り入れ記念スタンプ
神戸市との間でいろいろ揉めまくった末、昭和11年4月1日、ようやく高架線での神戸中心部・三宮への乗り入れを果たした記念に用意された阪急神戸駅の駅スタンプ。 描かれているのは開通と同時に開業した阪急神戸ビルで、2つあるアーチのうち左側に電車が乗り入れる、駅と完全に一体となった構造です。 ウィキペディアによると、完成当時は神戸港に停泊中の船舶からもよく見えた神戸を代表する建物だったそう。 ビルの中には駅以外に電鉄直営の食堂や阪急マーケット、映画館などがあり映画館は当然ながら東宝の上映館でした。 ホームへのエスカレーターにはエスカレーターガールも配されていたらしいです。 建物は阪神大震災で損傷し取り壊されましたが、神戸三宮駅の名称となった現在でも西口は優雅なアーチやシャンデリアなど、当時を彷彿させる面影です。 #スタンプ #阪急神戸駅 #阪急神戸ビル #阪急神戸線 #三宮駅 #神戸三宮駅 #戦前 #昭和レトロ
スタンプ 神戸高架乗入開通記念 神戸showa_express
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ビジネス特急こだま号 スタンプ
国鉄初の有料の電車特急。 昭和33年11月1日から営業運転を開始し、東京-大阪間を横浜、名古屋、京都のみの停車で、俊足の6時間50分で結んだという。 当時の客車特急は電機牽引で7時間30分だったそうなので、40分の短縮とはいえ7時間を切ったということで、かなりの人気だったらしいです。 昭和39年9月に東海道新幹線が開通したことにより、在来線特急としてのこだまは消滅。 このスタンプには昭和33年11月1日の日付が入っていますが、固定日付なのでこの日に押された保証はありません。 運転開始記念のマッチもあります。 #スタンプ #国鉄 #特急 #こだま #東海道線
ビジネス特急こだま号 東京-大阪-神戸新設記念 スタンプ 昭和33年showa_express
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琵琶湖巡りの京阪丸
浜大津と彦根から竹生島(ちくぶしま)を結んでいた京阪丸の乗船記念スタンプ。 押印日付は昭和11年5月25日。 昭和3年竣工で、昭和56年に除籍。 同じ角度から撮影した写真が絵葉書になっているので、たぶんそれを元に作られたスタンプだと思われますが、円形から船がはみ出す形のデザインが目を引きます。 写真で見ると細身の船で、幅は7.7メートルとのこと。 船尾付近の白いテントが良い雰囲気を醸しています。 戦後の一時期は進駐軍に接収されていたそう。 あいつら何でも接収するね。 現在も同じ船名の船があるようですが、琵琶湖とは全く関係ない神戸拠点の内航タンカーらしい。 #スタンプ #戦前 #昭和レトロ #琵琶湖 #京阪丸
スタンプ びわ湖・島めぐり 京阪丸 京阪電鉄showa_express
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木更津海軍航空隊竣工記念の小型スタンプ
木更津海軍航空隊は昭和11年の4月1日に開設。 このスタンプはそれより1か月後の5月2日に押印された「竣工」記念のもの。 おそらく開隊は4月でも、竣工というからには隊舎などの施設が完成したのが5月だったのでしょう。 実際、このスタンプの意匠には 「木更津海軍航空隊竣工式に因み、航空隊庁舎を描き飛行機を配す」 とあります。 スタンプは木更津郵便局の式場内臨時出張所だけで使われたようですが、押印されたのは5月2日と3日のわずか2日間のみでした。 描かれている飛行機は水上機ですが、開設時点で同航空隊に配備されていたのは陸上攻撃機だったそうです。 当然陸上の基地に離着陸するため、図柄のようなフロートはありません。 #スタンプ #戦前 #小型記念印 #木更津海軍航空隊
スタンプ 木更津海軍航空隊竣工記念 木更津局 式場内(臨)showa_express
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トヨダAA型発売記念のスタンプ
昭和11年に発売開始されたトヨダAA型乗用車。 この年の9月に東京で行われた「国産トヨダ大衆車完成記念展覧会」の日付が入ったスタンプです。 会場は東京府商工奨励館で、車体の下にもその記載がありますね。 1936 9・15-16とあるので、展覧会はこの2日間だったのでしょう。 14日から16日までという説もありますが、14日は内覧会で一般公開が残り2日間だったのかもしれません。 「トヨダ」は翌昭和12年1月には「トヨタ」となっていますので、このスタンプも結構貴重かも。 本物(というかレプリカ)はトヨタ博物館で展示されているほか、平成8年には市販車生産60周年ということで、ハイラックス・ピックアップをベースにAA型に似せた「トヨタ・クラシック」が100台限定で発売され、ニュース界隈がざわいついた時期もありました。 新車価格は800万円でしたが、以前、中古車屋のサイトで280万円(走行約3万キロ)ぐらいで売られているのを見たことがあります。 #スタンプ #トヨタ自動車 #トヨダAA型 #戦前 #乗用車
スタンプ 豊田自動織機自動車部 昭和11年showa_express
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銀座・伊東屋のフランス人形展
その昔、東急ハンズなんてなかったころ、文房具は街の文具店で買うか、ちょっといいものを狙うなら百貨店の文具売り場というのが相場だったけれども、ありとあらゆる文具が多種多様に揃ってる伊東屋も、特に東京在住者だったなら選択肢の一つだったでしょう。 銀座というロケーションも「洒落た、特別なものを買う」というどこか高揚した気分にさせるため、たとえ同じものであっても伊東屋で買うことに価値がある、そんな場所でしたね。 伊東屋ができたのは結構古く、明治37年だったのだそう。 伊東屋というと銀座ですが、確か丸ビルの中にも店を出していたはずで、どこかにマッチラベルがあったような 、なかったような・・・今度探してみます。 このスタンプは銀座の伊東屋で昭和10年に開かれたフランス人形展に際して押印されたもの。 良い紙に押され、なおかつ大切に保存されていたようで、色もきれいに残っています。 「新ビル」とあるのは、関東大震災で本店が焼失し、跡地に立て直した店舗ビルのことを指していると思われます。 #スタンプ #戦前 #伊東屋 #銀座
スタンプ 伊東屋 東京/銀座showa_express
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スタンプ 浅草松屋・屋上のゴンドラ
その昔、浅草の松屋でバイトしたことがあります。 中元や歳暮のセンターだったり、地下の食料品売り場だったり。 デパートのバイトが好きだったので、日本橋や名古屋の三越でもやってました。 さて、今回のスタンプは浅草松屋のもの。 言わずと知れた東武伊勢崎線のターミナルにもなってる建物で、完成は昭和6年。 できた当時は7階と屋上にスポーツランドという施設があったそうで、豆汽車や弓道場、射撃場、ローラースケート場などが人気を博していたらしい。 その中で異彩を放っていたのが1枚目のゴンドラ。 要するにロープウェーですが、屋上の端から端までを結ぶ8人乗りで、7階建ての屋上で、さらにその上を走るため結構スリルを感じられる乗り物だったといいます。 設置前は屋上から隅田川を渡って対岸までを結ぶ予定だったらしいですが、いろいろ制約があって屋上だけになったといいます。 名称は「航空艇」でした。 戦争で物資を供出するために廃止されたようです。 ウィキペディアの松屋の項目には当時の絵葉書がアップされており、その絵葉書に写っている横から見た建物全景の屋上に写っている卵型の乗り物が、それです(絵葉書=https://tinyurl.com/udavztb)。 デパート絡みでのゴンドラとしては東横百貨店(東急東横店東館)と玉電ビル(東急東横店西館)を結ぶ「ひばり号」というロープウェーもありましたが、設置は昭和26年なので浅草松屋より20年も後ですね。 空中ケーブルカーと呼ばれていたようです。 #スタンプ #戦前 #浅草松屋 #ロープウェー
スタンプ 浅草 戦前showa_express
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昔の長門市駅
昭和9年の12月7日に押された、山口県内のとある駅のスタンプ。 正明市駅と記されてますけど、読み方は「しょうみょういち」駅。 字は簡単だけど、これは地元の人じゃないとなかなか読めないですね。 開業したのは大正13年3月23日。 昭和37年に長門市駅に名称変更され現在に至ってます。 山陰線と美祢線、仙崎支線と合わせ4方向へ向かうことができる、エリアの中心駅。 スタンプにはもうひとつ「青海島」という地名が含まれてますが、これは市の北に浮かぶ景勝の島で、描かれている険しい岩は「海上アルプス」と呼ばれる島の北東にある奇岩と思われます。 こちらの読み方は「おうみじま」。 さしものストリートビューでもこの奇岩を拝むことはできませんでした。 長門市駅には旧・長門機関区(元・正明市機関区)の蒸気機関車用転車台が長く保存されていましたが、東武がSL大樹(たいじゅ)を走らせるにあたりJR西から譲渡され、現在は日光市内の下今市機関区に移設・運用されています。 また、長門市は童謡詩人の金子みすゞの出身地とのこと。 #スタンプ #長門市駅 #正明市駅 #山口県
スタンプ 山口/長門市 昭和9年showa_express
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大正即位礼の記念切手とスタンプ
本日、令和元年10月22日(火)は即位礼正殿の儀で今年限りの祝日になり、月曜日に会社行ったら翌日はまた休みという、なかなかにお得な気分。 月曜を有休にして4連休にした人もいたようで、電車も若干空いててよかったです。 ただ、22日が祝日になるという周知が間に合わなかったため、ただの平日になってるカレンダーも結構ありますね。 こういった天皇即位を国民全体で祝いましょうという趣旨になったのは、大正天皇のときから始まったそう。 今回の即位の礼も、大正の即位の礼が源流にあるそうです。 即位礼は大嘗祭と合わせ「御大礼(ごたいれい)」「御大典(ごたいてん)」とも呼ばれ、近代になってからはさまざまな記念絵葉書やスタンプ、記念乗車券、記念のマッチラベルなどが発行されました。 ということで、近代初の即位礼だった大正即位礼の記念切手とスタンプを。 大正の即位礼記念切手は1銭5厘、3銭、4銭、10銭の4種類あり、発行日は大正4年11月10日。デザインと発行枚数はそれぞれ、 1銭5厘:大嘗祭の冠 2270万枚 3銭:高御座(たかみくら) 2365万枚 4銭:紫宸殿(ししんでん)南庭の式場(赤) 217万枚 10銭:紫宸殿南庭の式場(青) 223万枚 だそうです。 令和で行われた即位礼でも使われた高御座は、この大正の即位礼のために作られたものだそうなので、きょうテレビで映っていた高御座は、この切手に描かれているもの、そのものなんですね。 紫宸殿は即位礼を行う京都御所の建物で、高御座はふだん紫宸殿の中に置かれています。 大正天皇の即位礼は京都で行われました。 スタンプは切手発行4日後の大正4年11月14日に福岡で押印されたもの。 中心に描かれているのは、きょうも中継で登場した「萬歳旙(ばんざいばん)」。 なお、切手自体は今でも多数残存しているので、未使用でない限りそれほどレアではないでしょう。 #スタンプ #大正天皇 #即位礼 #大正時代
大正天皇即位大礼記念 スタンプ 福岡showa_express
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赤城と加賀のスタンプ
空母加賀に続いて赤城も発見されましたので、記念に両艦の名前があるスタンプを。 艦影は三段式時代で、排水量26、900噸(トン)とありますが、赤城のそれは29、500トンらしいので、記されているトン数は加賀のものと思われます。 どういったシーンでこのスタンプが押されていたのかは不明ですが、似たものに「長門・陸奥」「伊55」「九○式飛行艇」「九○式野砲」「三八式歩兵銃」などもあり、そのいずれもが同じスタンプ帳の中で軍事関連の展覧会や艦隊入港記念のスタンプと連続して押されているため、そういった催しの場に用意されていたものと類推されます。 #スタンプ #戦前 #赤城 #加賀 #空母
スタンプ 不明 戦前showa_express
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名古屋=鯱
昭和10年の5月に押された松坂屋本店のスタンプ。 名古屋発祥の百貨店で、名古屋=名古屋城=金のしゃちほこ、という当該エリアによくある図式で、鯱(しゃち)が描かれています。 名古屋は鯱が好きなので、J1の名古屋グランパスも鯱ですし、印章で有名な「シヤチハタ」も漢字で書けば鯱旗で、本社は名古屋です。 名古屋にはほかにもカレーうどんの名店「若鯱家(わかしゃちや)」、昔は東急グループだった観光バスやタクシーの「鯱バス」「鯱タク」というのもありますし、名古屋の守山が本拠の陸上自衛隊第10師団は「金鯱(きんこ)師団」とも呼ばれ、隊旗には鯱が描かれています。 そういや戦前に存在した名古屋のプロ野球チームも名称は「金鯱軍(きんこぐん)」でした。 これほどまでに名古屋=鯱なのです。 なので、スタンプに鯱が(ついでに)あしらわれているのは自然なことです。 さて、百貨店の方ですが、2000年に名古屋駅に高島屋(ジェイアール名古屋タカシマヤ)が開店するまでは、市内には松坂屋以外にオリエンタル中村(現・名古屋三越)、丸栄(2018年閉店)、名鉄百貨店、といった百貨店がある(あった)のですが、伝統と由緒のある松坂屋で買い物をすることが昔からステータスだったらしく、代々の名古屋人には現在も受け継がれているそう。 事情通によると、同じ百貨店であってもオリエンタル中村は「まあ普通」の存在で、丸栄は「気兼ねなく、おばちゃんがつっかけで買い物に行く場所」、名鉄百貨店は「電車で近郷近在からやってきた人たちが行く(名古屋の人はわざわざ行かない)垢抜けないお店」という扱いで、松坂屋こそは「ここ一番の良い(高い)買い物をするための店」という存在だったらしいです。 極端な話、同じ商品であっても松坂屋の包装紙で包まれているものをもらったら、それだけで価値がある=ステータス、と言っても過言ではなかったそうで、それは圧倒的パワーを誇る高島屋が存在する現在であっても、一部の名古屋人にとっては普遍的事実らしい。 それがまさか大丸と一緒になってしまうとは。 それを言い出すと三越と伊勢丹も一緒になってしまいましたが、時の流れというのは恐ろしいものです。 #スタンプ #戦前 #松坂屋
スタンプ 名古屋 昭和10年showa_express
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特務艦剣埼進水記念
特務艦の剣埼進水を記念して配置された横須賀局の小型記念スタンプ。 進水が昭和10年6月1日なので初日印ですが、押印されたのは同月3日までのわずか3日間のみ。 剣埼は大鯨の次級となる潜水母艦ですが、もともと空母転用を考えていたため昭和16年12月には祥鳳として再竣工しています。 僚艦の高崎は空母瑞鳳で、剣埼より1年遅い昭和11年6月の進水ですが、空母としての竣工は祥鳳より早い昭和15年12月。 祥鳳が空母として存在したのはわずか半年で、昭和17年の5月に撃沈され、日本空母初の喪失艦となってしまいました。 なお、日本には「祥鳳(しょうほう)」を逆読みしたような「鳳翔(ほうしょう)」が日本初の空母として先に存在していたのと、祥鳳を翔鳳と誤記する事例が多発し、艦宛て郵便物に誤配が頻発したらしいです。 #スタンプ #戦前 #特務艦剣埼 #空母祥鳳 #横須賀
特務艦剣埼進水記念 スタンプ 横須賀showa_express