FERRARI 312 T4 #12 GILLES VILLENEUVE 1979

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フェラーリ・312Tシリーズはフェラーリのフォーミュラ1カーで、312Tは1974年の312B3をベースに作られ、1975年から1980年まで使用されました。312Tはマウロ・フォルギエリ氏が1975年シーズン用に設計したもので、改良を受けながら使用され続けました。
フェラーリ・312T
フェラーリ・312T2
フェラーリ・312T3
フェラーリ・312T4
フェラーリ・312T5

312Tシリーズは通算27勝を挙げ、4度のコンストラクターズタイトルと3度のドライバーズタイトルを獲得しました。
(その後、312Tは、1981年にフェラーリ初のターボ付き車両の126CKに置換されていきました。)

312Tのエンジンは、先代の312Bの水平対向12気筒(ただし正確には対応する左右のピストンが同方向に動く、「180°V型」)の構成を引継いだ改良型で、パワフルで信頼性が高く、510馬力程度を発生しました。名称に含まれる"T"は、「横」を意味するTrasversale(イタリア語。英Transverse)の頭文字で、横置きのギアボックスを採用したことから付けられました。横置きギアボックスを採用することでショートホイールベース化を実現し、先代の大きな弱点だったハンドリング特性が改善されました。

1979年に向け、フォルギエリ氏はロータスに追随しグラウンド・エフェクトを採用しなければならないと気づき、312T4は312T3をベースとして、空力に大幅な改良が加えられました。セミ・モノコックはバスタブ型から細い箱型に変更され、コクピット後方に燃料タンクを収納しました。両脇のサイドポッド内にはグラウンド・エフェクトを発生するベンチュリ構造が取り付けられましたが、しかし、横幅の広い水平対向エンジンが空気の流路の邪魔になってしまい、排気管の取り回しやシリンダーヘッドの形状を改良したものの、理想的なウィングカー構造には成り得ませんでした。

フロント部分はテーブル状のアッパーカウルの下からステーを伸ばし、フロントウィングを突き出す形状に一新され、その特異な外観から「醜いアヒルの子」と揶揄されました。市街地コースのロングビーチやモナコでは、リヤウイングを後車軸よりも前に取り付けていました。当時は後車軸より前に取り付けられているものはリヤウイングの寸法(全幅110cm以内)ではなくボディの寸法(全幅140cm以内)とされていたため、より大きなダウンフォースを稼ぐことができました。

312T4は1979年南アフリカGPでデビューし、緒戦でワンツーフィニッシュを飾りました。リジェ・JS11、ルノー・RS10、ウィリアムズ・FW07といったライバル車に対し、312T4は必ずしも最速のマシンではありませんでしたが、信頼性や扱いやすさに優れており、ジル・ヴィルヌーヴ選手とジョディ・シェクター選手が3勝ずつの計6勝を挙げました。

1979年から1980年にかけて、312T4向けのセミオートマチックトランスミッションシステムが開発されていましたが、実戦投入されることはありませんでした。当時、ヴィルヌーヴが嫌ったためお蔵入りになりましたが、ジョン・バーナード氏の加入後に開発が再開され、1988年のテストカー639を経て、1989年の640にて実戦初投入されることになりました。
(参照ウィキペディア)

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