McLAREN FORD M19A B.REDMAN 5th GERMANY GP 1972

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マクラーレン・M19Aは、マクラーレンが1971年から1973年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーです。

マクラーレンでは、ゴードン・コパック氏がインディ500用のマクラーレン・M16の設計を担当していたため、1971年シーズン用のF1マシンはラルフ・ベラミー氏が担当することになりました。その結果「The Alligator Car」のニックネームを持つ別の車が出来上がり、そのニックネームの理由となった梨地(マット仕上げ)のコクピット側面に、3つの燃料タンクの内2つをドライバーの横に配置したことからそう呼ばれるようになりました。

M19Aは前後のサスペンションにインボード式のコイルオーバーショックを採用し、それはスプリングが圧縮されるにつれてスプリングレートが増加する揺動リンクを介して作動しました。

M19AとM19Cはどちらもコスワース DFVをミッドマウントで搭載し、ヒューランドの5速マニュアルギアボックスを採用しました。

マクラーレンは1972年シーズンに向けて、新スポンサーとして化粧品会社ヤードレー・オブ・ロンドンを獲得し、マシンはヤードレーのスポンサーカラーである白に塗り替えられ、車体側面の燃料タンクのみ従来のオレンジ色で塗装されました。

第2戦南アフリカグランプリではデニス・ハルム選手が優勝、ピーター・レブソン選手は3位と両者とも表彰台に上りました。ハルムの優勝は自身およびマクラーレンにとって1969年メキシコグランプリ以来の優勝でありました。

改良型のM19Cはモナコグランプリに投入され、ハルムがドライブし、レブソンとこのモデルのブライアン・レッドマン選手はオーストリアグランプリまでM19Aをドライブしました。レブソンはカナダグランプリでポールポジションを獲得、これはマクラーレンにとって初のポールポジションであり、1971年に比べて信頼性は向上し、コンストラクターズランキングは3位となりました。なお、レッドマンは、ドイツGPは5位、シーズンドライバーズランキングは、14位に終わりました。
(参照ウィキペディア)

しかし、このマシンの燃料タンクがコクピットの両側に配していたとは驚きです。当時の設計ですから安全性は低い上に、両サイドに爆弾を抱えているようなもので、他車がサイドに突っ込んだら完全にアウトだったでしょうね。
でも、全体が丸みを帯びて、サイドがプクッと膨らんだ「ワニ」のようで、これまたカッコいいですね!

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