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ヴェンチュリラルース ランボルギーニ LC92 片山右京
1992年、F1デビューを果たした片山右京選手のマシンのミニカーです。 最高位:9位(ブラジルGP,イタリアGP) 前年に全日本F3000チャンピオンとなり、この年からF1にフル参戦した片山右京選手の愛機です。中段以降のチームでまずは経験を積むシーズンとなり予選落ちなどもありましたが、カナダGPではあと少しで5位など惜しいレースもありました。ただ、この頃のラルースチームは資金不足でマシン開発もままならずリタイヤも多かったですね。 このミニカーはミニカーショップロムさんの別注モデルで右京さんのサイン入りを購入しました。台数も限られていたので、よく手に入ったと思います。
ミニカー スパーク ?shogo
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ロータス 無限ホンダ 107C ペドロ・ラミー
1994年、無限ホンダエンジンを向け入れシーズンを戦ったロータスチームのペドロ・ラミー選手のマシンのミニカーです。 最高位:8位(パシフィックGP) 94年、無限ホンダエンジンを獲得したロータスチーム。だが、チームの運営状況は厳しくなる一方で、シーズン中もドライバー交代が目立つなど、持参金に頼らざるを得ない状況でした。ちーむとしても獲得ポイントは0で、結果ロータスチームはこの年が最後のF1参戦となりました。 ただ、ラミー選手ではないものの、イタリアGPでハーバート選手が予選4位になったのは最後の煌めきという感じだったのかもしれません。 このミニカーはオークションで入手したものでしたね。
ミニカー オニクス ?shogo
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ロータス ホンダ 99T 中嶋悟(ブラジルGP仕様)
1987年、日本人初のフルタイムF1ドライバーとしてデビューした中嶋悟選手のブラジルGPでのマシンのミニカーです。 ブラジルGP成績:7位 国内トップフォーミュラで実績を上げ、F1デビューを果たした中嶋選手。ブラジルGPではきっちりと完走し、その次のレースでは早くも入賞するなど、その活躍に注目が集まりました。F1ブームのきっかけになりました。 このミニカーは今は無いFORZAさん別注のモデルカーとして販売されたものでした。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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ロータス ホンダ 99T 中嶋悟
1987年、F1デビューを果たした中嶋悟選手のマシンのミニカーです。 最高位:4位(イギリスGP) 87年、日本人初のフルタイムドライバーとしてF1を戦った中嶋選手。序盤から上位完走、入賞を重ねるなどホンダパワーの後押しも受けてシーズン通じて活躍しました。そして、10年ぶりに復活したF1日本GPでは、凱旋レースを6位入場で飾りファンを感動させてくれました。 このミニカーは2009年の鈴鹿F1で鈴鹿レジェンドホンダコレクションとして発売されたミニカーで、中嶋悟さんのデビューマシンがミニカーになったので、1番人気であっという間に完売になったミニカーでした。
ミニカー ミニチャンプス 5500円位shogo
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ロータス ホンダ 99T アイルトン•セナ
1987年、ロータスチームがホンダエンジンの供給を受けて初めて戦ったマシンのミニカーです。 最高位:2勝(年間総合3位) この年から念願のホンダエンジンを手に入れたセナ選手。ただ、ロータスが投入したアクティブサスはまだ完成度が高くなく、やや苦戦していましたが、この年にモナコ初制覇するなど奮闘。また中嶋悟選手のチームメイトでもあり、ここから日本国内でのセナ人気が始まったと言っても過言ではないでしょう。 このミニカーは先に中嶋悟選手でロータス99Tは手に入れていたものの、セナ選手仕様も欲しかったので、セナコレクションで出てすぐに購入。ただ、台紙のところにLOTUS "Renault"と書いてあるのがなんとも残念でならないです。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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ロータス ホンダ 100T 佐藤琢磨(鈴鹿デモラン仕様)
2010年の鈴鹿F1でデモランをした佐藤琢磨選手がドライブしたロータス100Tのマシンのミニカーです。 こちらも鈴鹿レジェンド ホンダコレクションとして販売されたミニカーで、佐藤琢磨選手のミニカーということもあり購入しました。 鈴鹿サーキット50周年のシールもあるので、あえて包装は剥がさずに保管してあります。そのため見えにくくなってます。
ミニカー 京商 ?shogo
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ロータス ホンダ 100T 中嶋悟
1988年、F1 2年目を迎えた中嶋悟選手のマシンのミニカーです。 最高位:6位(ブラジルGP) デビューイヤーで最高位4位を獲得し、2シーズン目の活躍が期待された中嶋悟選手。しかし、マシンの出来が良くなく、ホンダパワーを持ってしても入賞わずか1回。中嶋選手が参戦した5年の中でも、結果的にこの年が1番獲得ポイントが少ないシーズンとなってしまいました。 それでも、この年の日本GPではスタートでストールするものの鬼気迫る走りで7位完走。ファンを魅せました。 このミニカーは2010年のF1で限定販売されたものだったと記憶してます。このミニカーも人気ですぐに完売だったと記憶してます。
ミニカー 京商 5500円位shogo
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ロータス ホンダ 100T ネルソン•ピケ
1988年、ロータスチームに移籍したネルソン•ピケ選手のマシンのミニカーです。 最高位:3位(ブラジルGP,サンマリノGP,オーストラリアGP) 前年3度目のチャンピオンを獲得し、ホンダエンジンを求めロータスに移籍したピケ選手。しかし、ロータスのマシンの戦闘力は低く、最高位が3位と不振に陥ってしまいました。かろうじて年間総合6位となったものの苦戦を象徴する結果でした。 このミニカーも鈴鹿レジェンド ホンダコレクションとして販売され、なかなか埋まらなかった88年のロータスがようやく埋まった形になりました。
ミニカー 京商 ?shogo
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ロータス フォード 91 中嶋悟
中嶋悟選手が初めてF1マシンのテストをしたマシンのミニカーです。 当時ロータスチームのスポンサーだったJPSのトロフィーレースを制し、ロータスF1のテストが実現。初のテストが1982年ですが、その時はまだホンダはF1に復帰しておらず、デビューまで5年待つことになりました。 このミニカーは、大阪のミニカーショップ ロムさんが企画したミニカーです。デビュー前の中嶋悟選手のマシンとあって、購入しました。
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ロータス ジャッド 101 中嶋悟
1989年、3年目のF1シーズンをロータスチームで戦った中嶋悟選手のマシンのミニカーです。 最高位:4位(オーストラリアGP) 3年目のF1、ホンダエンジンを失ったロータスチームで奮闘した中嶋悟選手。マシンもチームも絶不調で奮わなかったまま、シーズン最終戦を迎えてしまいます。 しかし、この最終戦オーストラリアGP、大雨の中しぶとく生き残りファステストラップを記録。4位入賞を果たし、ここに雨の中嶋伝説が完成しました。 このミニカーはオークションで探しに探してようやく手に入れたミニカーです。中嶋悟選手のマシンをまた一つ揃えられた瞬間でした。ミニカー自体もオーストラリアGP仕様となってます。
ミニカー スパーク ?shogo
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レイトンハウス マーチ ジャッド CG901 イワン•カペリ
1990年、レイトンハウスマーチ4年目に戦ったイワン•カペリ選手のマシンのミニカーです。 最高位:2位(フランスGP) 1989年の苦戦から復活を期していたレイトンハウスマーチチームとカペリ選手。現レッドブルのマシンデザイナー、ニューウェイ氏の作る1990年のマシンで、フランスGPではあわや優勝まで迫る2位を獲得。日本人ファンを沸かせました。 このミニカー発売当時、まさかレイトンハウスがミニチャンプスから出るとは思っていなかったので、一瞬目を疑いましたが迷わず購入したのを覚えてます。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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レイトンハウス マーチ ジャッド 881 イワン•カペリ
1989年、前年の大活躍から更なる飛躍に期待が持たれたレイトンハウス イワン•カペリ選手の序盤戦のマシンのミニカーです。 最高位:ー 1989年の序盤2戦を88年のマシンで戦ったレイトンハウスマーチ。この頃は序盤戦を旧年モデルで戦い、その後に新車を投入するチームが多かったですね。残念ながら89年では成績は残せなかったものの、88年の活躍は色褪せることなく残ってますね。 このミニカーはスパークさんの本店に行った時にサンプル品として展示してあり、販売の情報を入手したもの。そこからはありとあらゆるミニカー情報に目をやり、念願の881を手に入れたという経緯があります。これは嬉しかったですね。
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レイトンハウス イルモア CG911 イワン•カペリ
1991年、レイトンハウスチーム5年目のイワン•カペリ選手が戦ったマシンのミニカーです。 最高位:6位(ハンガリーGP) これまでのジャッドエンジンからイルモアエンジンに変わりましたが、一方でニューウェイ氏が離脱するなどチーム内の体制が変わった1991年のレイトンハウスチーム。結果的には前年には届かない苦戦ぶりで、終盤にはカペリ選手自身がチームを離れてしまう、チームとの悲しい最後を過ごすマシンでした。 このミニカーもネットオークション落札。気づいた頃には絶版品になっており、オークションで探すのも一苦労しました。
ミニカー スパーク ?shogo
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リジェ 無限ホンダ JS43 オリビエ・パニス
1996年、無限ホンダとのタッグ2年目を迎えたリジェチームで戦ったパニス選手のマシンのミニカーです。 最高位:1勝(年間総合9位) 前年のJS41の発展型マシンとして96年のレギュレーションに合わせられたこのマシン。ハイライトと言えば、この年のモナコGPでしょう。雨で大荒れとなったモナコGPをサバイブし、見事パニス選手自身,無限ホンダに初優勝をもたらし、リジェチームとしても1981年以来の優勝獲得になりました。 ただ、それ以外は入賞2回とやや苦戦した感じもありましたが、やはりモナコGPの優勝の印象が強すぎでしたね。翌年以降はプロストGPと名前が変わるので、チームとしてもこれが最後の優勝マシンとなりました。 このミニカーはオークションで落札したものです。このマシンはちょうど僕がF1を現地観戦し始めたときのマシンなので、ちょっとほしいなと考えていたものですで、数年前にコレクションに追加されました。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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リジェ 無限ホンダ JS41 鈴木亜久里
1995年、2年ぶりにF1フル参戦(となるはずだった)シーズンを戦った鈴木亜久里選手のマシンのミニカーです。 最高位:6位(ドイツGP) 94年はシートを失い1年F1浪人だった亜久里選手。95年は無限ホンダを積むリジェチームから走ることになり、再び活躍が期待されました。ところがチームの実権を握ったTWRのトム・ウォーキンショウの横やりが入ったせいで、わずか6戦しか出走ができない事態に。ドイツGPでは意地の6位入賞を果たしたもののその後はパシフィックGP(岡山)と日本GPまで待つことになってしまいました。そして、日本GPの予選2日目のS字でクラッシュ。そのまま欠場となり、結果これが亜久里選手のF1ラストランとなってしまいました。 このミニカーは鈴鹿サーキットの駐車場入り口の正面にあるF1グッズショップで偶然にも発見したミニカーです。ネットオークションでもなかなか出品されていなかったので迷わず購入しました。F1開催時期だったので即決でしたね(笑)
ミニカー ミニチャンプス 5000円位shogo