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マクラーレン ホンダ MCL32 ジェンソン・バトン
2017年、インディ500に出場するフェルナンド・アロンソ選手の代役としてモナコGP限定でF1に復帰したジェンソン・バトン選手のマシンのミニカーです。 成績:リタイヤ 2016年にF1引退をしていたバトン選手ですが、元チームメイトのアロンソ選手がトリプルクラウン挑戦に向け、インディ500に参戦することにより1戦限りのF1復帰をした時のマシンです。マクラーレンとホンダのタッグがあったからこそ、アロンソ選手のインディ500挑戦ができたわけですが、正直マシンのポテンシャルも低かったということも要因の1つだったかと思いますね。結果アロンソ選手はインディ500は勝てず、バトン選手もモナコGPはリタイヤでマクラーレンとホンダのパートナーシップもこの年限りとなりました。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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ロータス ホンダ 100T 中嶋悟
1988年、F1 2年目を迎えた中嶋悟選手のマシンのミニカーです。 最高位:6位(ブラジルGP) デビューイヤーで最高位4位を獲得し、2シーズン目の活躍が期待された中嶋悟選手。しかし、マシンの出来が良くなく、ホンダパワーを持ってしても入賞わずか1回。中嶋選手が参戦した5年の中でも、結果的にこの年が1番獲得ポイントが少ないシーズンとなってしまいました。 それでも、この年の日本GPではスタートでストールするものの鬼気迫る走りで7位完走。ファンを魅せました。 このミニカーは2010年のF1で限定販売されたものだったと記憶してます。このミニカーも人気ですぐに完売だったと記憶してます。
ミニカー 京商 5500円位shogo
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ロータス ジャッド 101 中嶋悟
1989年、3年目のF1シーズンをロータスチームで戦った中嶋悟選手のマシンのミニカーです。 最高位:4位(オーストラリアGP) 3年目のF1、ホンダエンジンを失ったロータスチームで奮闘した中嶋悟選手。マシンもチームも絶不調で奮わなかったまま、シーズン最終戦を迎えてしまいます。 しかし、この最終戦オーストラリアGP、大雨の中しぶとく生き残りファステストラップを記録。4位入賞を果たし、ここに雨の中嶋伝説が完成しました。 このミニカーはオークションで探しに探してようやく手に入れたミニカーです。中嶋悟選手のマシンをまた一つ揃えられた瞬間でした。ミニカー自体もオーストラリアGP仕様となってます。
ミニカー スパーク ?shogo
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ロータス フォード 91 中嶋悟
中嶋悟選手が初めてF1マシンのテストをしたマシンのミニカーです。 当時ロータスチームのスポンサーだったJPSのトロフィーレースを制し、ロータスF1のテストが実現。初のテストが1982年ですが、その時はまだホンダはF1に復帰しておらず、デビューまで5年待つことになりました。 このミニカーは、大阪のミニカーショップ ロムさんが企画したミニカーです。デビュー前の中嶋悟選手のマシンとあって、購入しました。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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ウィリアムズ ホンダ FW09B 中嶋悟
中嶋悟選手が国内でホンダF1のエンジンテストをこなしていた時のマシンのミニカーです。 この頃はホンダF1のエンジンのテストが鈴鹿サーキットで行われることがあり、中嶋悟選手がテストを担当していました。1985年のシーズンイン前のテストで走行を重ねていたマシンです。 このミニカーはFORZAさんが当時企画したミニカーで、F1をずっと写真に収め続けている金子カメラマンの写真が使われてます。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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ウィリアムズ ホンダ FW11 中嶋悟
ホンダF1のエンジンテストを前年に引き続き担当していた中嶋悟選手のマシンのミニカーです。 1986年も鈴鹿サーキットでホンダF1のエンジンテストを行ってきた中嶋悟選手。当時最強となっていたウィリアムズF1をドライブしてテストを行っていました。 このミニカーもFW09Bと同じくFORZAさんが企画し、金子カメラマンの写真が使われてます。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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レイトンハウス マーチ ジャッド CG901 イワン•カペリ
1990年、レイトンハウスマーチ4年目に戦ったイワン•カペリ選手のマシンのミニカーです。 最高位:2位(フランスGP) 1989年の苦戦から復活を期していたレイトンハウスマーチチームとカペリ選手。現レッドブルのマシンデザイナー、ニューウェイ氏の作る1990年のマシンで、フランスGPではあわや優勝まで迫る2位を獲得。日本人ファンを沸かせました。 このミニカー発売当時、まさかレイトンハウスがミニチャンプスから出るとは思っていなかったので、一瞬目を疑いましたが迷わず購入したのを覚えてます。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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ジョーダン ホンダ EJ12 佐藤琢磨
2002年、前年のイギリスF3、マカオGPなどF3のタイトルを数多く取り、満を持してデビューした佐藤琢磨選手のマシンのミニカーです。 最高位:5位(日本GP) 当時F1ドライバーの登竜門的存在だったイギリスF3とマカオGPを日本人で初めて制した琢磨選手。その分F1デビューイヤーの活躍も期待されていましたが、マシンに苦しみ最終戦の前までまさかのノーポイント。しかし、日本GP直前のテストが功を奏し、予選7位、決勝5位の活躍でファンを大興奮させたのは立派な鈴鹿伝説の1つですね。当時中学1年生だった自分も、大興奮だったのを今でも鮮明に覚えてます。 このミニカーは2005年のファン感謝デーの限定商品として販売されていた商品。ファン待望の商品だったこともあり、土曜日の朝から長蛇の列でした。そして、事件が発生。待機列の前方に並んでいた人でさえ売り切れになってしまう謎の事態。当然ブーイングの嵐で、私も当時列に並んでいた張本人でした。 このパッケージのEJ12を手にすることができず諦めていましたが、数年前愛知県内のミニカー屋さんで偶然にも発見。しかも当時の定価で販売していたので即購入しました。 しかし、あの警察まで出動した事件。サーキットホテルの入り口は少し早くオープンすることからそこから入った人が買い占めたという噂も出ましたが、真相は何だったんでしょうね・・・。
ミニカー ミニチャンプス 4500円くらいshogo
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レイトンハウス イルモア CG911 イワン•カペリ
1991年、レイトンハウスチーム5年目のイワン•カペリ選手が戦ったマシンのミニカーです。 最高位:6位(ハンガリーGP) これまでのジャッドエンジンからイルモアエンジンに変わりましたが、一方でニューウェイ氏が離脱するなどチーム内の体制が変わった1991年のレイトンハウスチーム。結果的には前年には届かない苦戦ぶりで、終盤にはカペリ選手自身がチームを離れてしまう、チームとの悲しい最後を過ごすマシンでした。 このミニカーもネットオークション落札。気づいた頃には絶版品になっており、オークションで探すのも一苦労しました。
ミニカー スパーク ?shogo
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ティレル ヤマハ 021 片山右京
1993年のシーズン後半戦から投入された片山右京選手のマシンのミニカーです。 最高位:10位(ハンガリーGP) 1993年のドイツGPから片山右京選手にも投入されたマシンでした。たた、マシンのパフォーマンスは高くなく、成績も芳しくなかったマシンとなってしまいました。チームメイトのチェザリス選手共々苦戦するシーズンになってしまいました。 このミニカーは鈴鹿F1の限定ミニカーとして販売されて購入しました。(何年前かは忘れてしまいましたが)金曜日の朝一から並んで購入しましたね。
ミニカー スパーク 9000円位shogo
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BAR ホンダ 005 佐藤琢磨
2003年、BARのテストドライバーを1年勤め最終戦日本GPで急遽レースカムバックを果たした佐藤琢磨選手のマシンのミニカーです。 最高位:6位(日本GP) 前年から一転、1年間をサードドライバーとしてテストで走りこみながらグランプリに帯同し続けた琢磨選手。日本GPを前にレギュラー復帰が発表されると、日本GPウィークの木曜日に急遽ビルヌーヴ選手が出走を取りやめたことで代役参戦を果たしました。琢磨選手は奮闘し6位入賞。チームのコンストラクターズ5位に貢献し、その活躍にファンは再び盛り上がるのでした。当然、私も盛り上がった内の1人です。 このミニカーはすでにサーキットとミニチャンプスのコラボで販売されていたBARホンダ005の通常箱仕様ですが、この仕様は日本GP仕様とありCarNo.16がついています。この仕様も当然ほしかったので迷わず購入しました。
ミニカー ミニチャンプス 4410円shogo
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ジョーダン ヤマハ 192 ステファノ•モデナ
1992年にジョーダングランプリに移籍したステファノ•モデナ選手が戦ったマシンのミニカーです。 最高位:6位(オーストラリアGP) 1991年に好成績を収めたジョーダングランプリがヤマハV12エンジンを獲得して挑んだ1992年のマシン。モデナ選手も前年ティレルホンダで活躍し、期待されたシーズンでしたが結果だけ見ると最終戦に何とか6位入賞するだけと苦戦を強いられたシーズンでした。結果としてモデナ選手はこのシーズン限りでF1から離れることになってしまったマシンです。 このミニカーはミニカー屋さんで定価より値が下がっていたのを発見して購入。台紙のところがJORDAN "HART" 192となっておりエンジンメーカーが間違っているのが残念です。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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ティレル ヤマハ 022 片山右京(日本GP仕様)
1994年のティレル022、日本GPで戦った時の片山右京選手のマシンのミニカーです。 日本GP成績:リタイヤ 94年の日本GPは初の雨のレースとなり、片山右京選手も残念ながら雨に足下をすくわれ、序盤でリタイヤに終わってしまいましたね。94年シーズンは好調だっただけに残念な結果となりました。 このミニカーはRacing onとのコラボ企画で抽選販売のマシンでした。抽選なので当たるか当たらないか分からない中でしたが、当選して入手できましたね。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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フェラーリ F187 ゲルハルト・ベルガー
1987年、フェラーリに移籍してシーズンを戦ったゲルハルト・ベルガー選手のマシンのミニカーです。 最高位:2勝(年間総合5位) 前年にベネトンで初優勝を果たし、フェラーリに移籍したベルガー選手。序盤は4位入賞もあったりしたが、リタイヤも多く苦戦していました。ポルトガルGPでシーズン初表彰台を獲得し、マシンの戦闘力も上がった中で迎えた鈴鹿 日本GP。ホンダの凱旋レースという完全アウェーの中、ウイリアムズホンダの脱落(ほぼ自滅)で勝機が回ってきたベルガー選手。見事初代鈴鹿F1のウィナーとなり、フェラーリにも久しぶりの勝利をもたらしました。 このミニカーはルックスマートと鈴鹿のコラボ商品で鈴鹿レジェンドロゴが入っています。確か、発売当初は購入しなかったものの、あとからお手頃な時に勝ったような記憶があります。
ミニカー ルックスマート ?shogo
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ティレル ヤマハ 023 片山右京(アルゼンチンGP仕様)
1995年のアルゼンチンGPを戦った片山右京選手のマシンのミニカーです。 アルゼンチンGP成績:8位 1995年のティレル023のアルゼンチンGPを含めた序盤戦のカラーリングのマシンです。序盤戦は予選、決勝ともまずまずの成績でしたが、徐々に苦戦していくことになってしまいました。 このミニカーはティレル023の序盤戦のカラーリングマシンということもあり、購入に至りました。コレクションの対象でしたので、しっかりと購入しました。
ミニカー スパーク 10000円位shogo