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Mons (ベルギー)_2
モンスはベルギー中西部、フランス国境近くの町です。 シーザーが丘の上に要塞を築いたことが語源です。1515年この地方を支配していたエノー伯が神聖ローマ帝国に入り、この頃モンスは繁栄します。その後16世紀後半の宗教戦争で被害を被った後、南ネーデルラントの首都となります。その後、オランダ領、フランス領等の変遷を経て、1830年のベルギー独立の際にベルギー領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. Ⅲ(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 53.3cm × 40.3cm 1581Roku
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Leeuwarden & Franeker (オランダ)_2
レーワルデンはオランダ北部の町です。元々は海に面した港湾都市でしたが13世紀に始まる干拓により内陸都市となりました。港湾都市であったときは海上交易で栄え、1435年に都市権を得ます。17世紀前半にはユダヤ人コミュニティが形成され、金銀細工が盛んになります。 フラネケルもオランダ北部の町で、8世紀後半のカロリング朝フランク王国の時代に造られた要塞が起源です。1374年に都市権を得ますが、徐々にレーワルデンに繁栄を奪われていきます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. Ⅲ(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 52cm × 34.5cm 1581Roku
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Neuss (ドイツ)
ノイスはドイツ西部、ライン川を挟んでデュッセルドルフの対岸に位置する町です。 紀元前16年にローマがケルト人に対する要塞を築いたのが町の起源で、その後要塞の周りに町が発展しました。中世に入るとライン川の渡河地点として発達し、1138年には都市としての記載が見られます。しかし、1586年の大火事で町の3分の2が焼失し、さらにフランスのルイ14世の侵攻や渡河地点としての重要性が薄れたことから衰退します。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol.Ⅲ(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 46.8cm × 35.7cm 1588Roku
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Enkhuizen (オランダ)_2
エンクホイゼンはオランダ西部、北海つながる内海であるエイセル湖に面した港町です。 1355年に都市権を獲得し、17世紀にホールンやアムステルダムと共にオランダ東インド会社の拠点港として東インドとの交易で栄え、最盛期を迎えます。しかしシルトの堆積などにより衰退していきます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol.Ⅲ(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 47.4cm × 37.6cm 1575Roku
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Leeuwarden & Franeker (オランダ)
レーワルデンはオランダ北部の町です。元々は海に面した港湾都市でしたが13世紀に始まる干拓により内陸都市となりました。港湾都市であったときは海上交易で栄え、1435年に都市権を得ます。17世紀前半にはユダヤ人コミュニティが形成され、金銀細工が盛んになります。 フラネケルもオランダ北部の町で、8世紀後半のカロリング朝フランク王国の時代に造られた要塞が起源です。1374年に都市権を得ますが、徐々にレーワルデンに繁栄を奪われていきます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. Ⅲ(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 54.8cm × 40.1cm 1588Roku
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Mâcon & Chalon-Sur-Saône (フランス)
マコンはフランス東部ソーヌ川沿いの町です。ソーヌ川を利用した水運の中継地点として紀元1世紀頃にケルト人により造られ、ローマ帝国時代に発展しました。中世にはブルゴーニュ伯領でしたが、ソーヌ川対岸のサヴォイ公国領への橋が架かっていたことからこの地方の中心となりました。 シャロン・シュル・ソーヌもフランス東部ソーヌ川沿いの町です。ガリア人の王国の首都でしたが、ローマ時代にはソーヌ川を利用した水運とローマ街道の結節点として栄えました。中世のブルゴーニュ伯領時代の6世紀には事実上の首都となったこともありました、10世頃まで度々他国からの侵攻を受けました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. Ⅲ(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 54.6cm × 40.1cm 1588Roku
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Arras (フランス)
アラスはフランス北部の町で、6世紀に創建された修道院を中心にその穀物集積地として発展しました。その後、1180年にフランス王より商業特権が求められ銀行・交易で繁栄しました。その後14世紀になると毛織物産業が発展し、特にタペストリーの生産で有名となりました。また、これらの産業の繁栄を背景に、文化面でも大きな役割を果たしました。一方で政治面では周辺大国の領土争いにさらされ、度々戦場となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. III(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 51.4cm × 37.9cm 1581Roku
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Charlemont, Landrecies, Avesnes (フランス)& Beaumont (ベルギー)
シャルルモン、ランドルシー、アベーヌ(いずれも現フランス領)、ビューモント(現ベルギー領)はいずれもフランスとベルギーの国境沿いの町で、古くから両国の領有権が争われてきた地域です。 シャルルモンは現在は町の名前ではなくジベー(Givet)という町の外れの古城名で残っています。当地はベルギーに鼻の様に突きだした先端部にありムーズ川沿いの戦略上の要衝でした。1554年にフランス王ヘンリ2世がハプスブルク領オランダに侵攻し、周辺地域は壊滅的な打撃を受けました。これに対抗するため、ハプスブルク家カール5世が丘の上に城を建設しました。城は1564年に城の原型が完成しその後も順次増築されていきました。 ランドルシーはフランス北部の町で、1543年にイギリスに占領されたほか、その後も1794年にオランダ占領されるなど度々侵略を受けてきました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. III(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 54.1cm × 40.9cm 1581Roku
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Philippeville, Mariebourg, Chimay & Walcourt (ベルギー)
フィリップビル、マリオンブール、シメイいずれもベルギー中西部、フランス国境近くの小都市です。 フィリップビルは1555年にハプスブルク家カール5世下のオランダにより数カ月で建設された要塞に起源を発し、1557年にカール5世の息子でスペイン王のフェリペ2世に因んで命名されました。1659年のフランス・スペイン戦争の終了に伴い周辺地域はフランス領となりましたが、1815年のワーテルローの戦いでナポレオンが敗北するとオランダ領となり、1830年のベルギー独立と共にベルギー領となりました。 マリオンブールは1542年に、オランダ・ハプスブルク家の当主であったマリー・オーストリア女王の命で要塞都市が建設されたことが起源で、都市名もマリー女王に因みます。その後1853まで各国の取り合いの場となります。 シメイは1486年にハプスブルク皇帝によりシメイ伯爵領が設置され、同時期に城が建設されたようです。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. III(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 54.6cm × 40.2cm 1581Roku
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Autun & Nevers (フランス)
オータン、ヌヴェールいずれもフランス中央部、ブルゴーニュ地方西部に位置する小都市です。 オータンの起源はローマ初代皇帝アウグストゥスがローマが建設したこの都市に原住民を移住させたことに始まり、都市名の語源もアウグストゥスに由来します。8世紀前半にはイスラム教国のウマイヤ朝に占領されその最前線基地となりますが、ウマイヤ朝交代後は要衝としての地位を失います。 ヌヴェールも古くからの町でローマ帝国のシーザーがロワール川沿いのこの地を重視し、軍事拠点としていました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. III(1581年初刊)のフランス語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 53.9cm * 40.4cm 1581Roku
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Douai (フランス)
ドゥエーはフランス最北部に位置する町です。 歴史上の初出は930年にフランドル伯の領地としてで、以後数百年にわたりフランドル伯とフランス王国の間で領有権争いが続き、最終的にはフランドル伯領となりました。また経済的には、毛織物産業で繁栄していました。その後ネーデルラント継承戦争に伴うアーヘンの和約(1668年)でフランス領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. I(1572年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 53 cm × 40cm 1581Roku
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Deventer(オランダ)
デフェンターはオランダ東部のアイセル川沿いの町です。 768年にイギリス人宣教師により建てられた教会が起源とされますが、その後サクソン人やバイキング等の侵入を受け、破壊と再建を繰り返します。956年に都市権を得たのち市街地を取り囲む石壁が整備され、11~16世紀にかけて、アイセル川と通商路の交差地点として繁栄します。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. Ⅲ(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 50.6cm * 38.3cm 1581Roku
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Bergen-op-Zoom (オランダ)
ベルヘン・オプ・ゾームはオランダ南西部の要塞都市です。 3つの小集落が合体し、1212年に都市権を取得しました。その後、1287年~1795年までGlymes家の統治下にあり、オランダ連邦の軍事拠点として要塞が強化されてきました。しかし、フランスとの戦争で陥落し、1814年までフランス統治下にありました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. III(1581年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 46.8cm *× 37.2cm 1581Roku
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Gouda (オランダ)
ゴウダは中世の干拓地に造られた町で、1272年に都市として認められ、またオランダ独立戦争(1568~1648)においては独立軍の拠点となりました。その当時は繊維産業で繫栄していたましが、その後衰退し、現在ではゴーダチーズで有名です。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol..III(1585年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 51.1cm × 31.1cm 1585Roku
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Namur (ベルギー)_1
ナミュールはベルギーの首都ブリュッセル南東に位置します。 紀元前はケルト人の居住地であったナミュールはムーズ川とサンブル川の合流地点に位置しその立地から商業集積地として栄えました、ローマ帝国のシーザーの時代にローマ統治下に入ります。中世には1261年にフランダース伯領となりますが、1421年委ブルゴーニュ伯が購入、1640年代にハプスブルク家オランダ領となります。1692年には、フランス王ルイ十四世が侵攻しフランス領となりますが、1713年にオーストリア・ハプスブルク家領となります。その後、ナポレオン戦争後のウィーン条約(1815年)によりオランダ領となり、1830年のベルギー独立と共にベルギー領となります。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol.Ⅲ(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 56.1 cm × 40.1 cm 1581Roku