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列車名入種別板「大平原指定席/なし」○帯
列車名入種別板「大平原指定席/なし」○帯 広尾線の広尾から士幌線の糠平まで直通運転された夏期季節臨の急行大平原に用いられた列車名入指定席種別板。3〜4両編成の中で指定席車両は1両程度ゆえに赤帯の大平原愛称板よりも枚数が少なくレアな存在。
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根室本線/函館本線 函館(小樽経由)/札幌(小樽経由)
根室本線/函館本線 函館(小樽経由)/札幌(小樽経由) 白板琺瑯 持ち○釧(彫) 昭和40年代から53年10月改正までの間に使用された根室発函館行急行ニセコ2号(404D)の行き先表示板です。根室から函館まで816.6kmを14時間35分かけて走った道内最長走破の急行でした。 函館からの戻りは函館〜札幌間を急行ニセコ(101D)として運行され札幌〜釧路間は急行狩勝2号に便乗して釧路へ回送されたサボです。今、そのどちらの本線も役目を終えた感があり新得〜富良野間、小樽〜長万部間の廃止が決定しており釧路〜根室間と五稜郭〜長万部間の存続も微妙な展開となって来ている。
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DD51842 ブロックナンバープレート
DD51842 日立製作所水戸工場=20010-5 車歴;1971/02-10 製造→ 納入;国鉄;千葉局 1971/02-11 配置;佐倉1986/10-30高崎一へ異動、現JR東日本ぐんま車両センター お召列車牽引実績 1973/10わかしお国体、1997/10三陸海づくり、2001/10宮城国体、2002/06山形植樹祭 現行お召編成E655の非電化区間乗り入れ時には本機が牽引することを前提としているが試験運転はされたもののお召列車としての運行はまだ無い。 なお、本プレートはBSフジショッピングで販売されたDD51 842 小野上工臨のDVD/Blu-ray「激熟がっつりセット(限定5セット)」に付属されたレプリカプレート。JR各社へ各種ブロック式ナンバープレートの製作納入しているメタル工房により本物と同じ素材と工法で作られたものです。
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広尾線 帯広↔︎大正
白板相互表記 持ち○釧 広尾線の廃止前にキヨスク(鉄道弘済会)による記念品として販売されたサボ。 琺瑯板ではあるが浮文字タイプであり持ちも○釧と記念品らしさをしっかりと出しています。同時に発売された「愛国↔︎幸福」は復刻版も未だに流通しているが大正までの表記板は露出が少なめです。
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函館本線 函館行(鹿部経由)/森行(鹿部経由)
紺板琺瑯製造 持ち○函(彫) 丸穴の紺板タイプからすると昭和40年代に使われていたと思われる区間列車用サボ。函館・森間の運行は大沼・森間において噴火湾沿いに回る路線と駒ヶ岳の裾野を内陸側で結ぶ路線に別れるため函館発森行の普通列車は大沼で分割されそれぞれの路線で森駅を目指す運行形態をとっています。この板は鹿部経由と記され噴火湾沿いに鹿部、砂原などを経由して運行された普通列車に使われた板です。キハ21や22で使われました。 駅名に行と記す珍しいパターンの板でもあります。
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函館本線 函館ー大沼
白板青帯相互表記 持ち○函 書体などから青帯初期のタイプで昭和50年代当初に使われていたと思われる区間列車用サボ。往時の時刻表から見ると函館発大沼行き635D、復路は624Dが該当。裏面は逆区間表記。琺瑯板で彫文字。
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DD511153 製造所銘板
DD511153 1975.09.04日立水戸工場で製造番号20730-7として落成 新製配置は岩見沢二区。以降1987年鷲別 へ異動し1993年には五稜郭 へ異動。さらに1995年に鷲別へ1997.12.08 鷲別機関区にて廃車
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種別板「自由席・一部グリーン指定席」○手
札幌発網走行きの特急オホーツクならびに特急大雪に充当されたキロ182から改造されたキロハ182(普通席とグリーン指定席の半室合造)に使用された種別版。改造しての充当は1996年で運用離脱は2018年6月末でありこの期間の中で使用された一枚。 元板は急行利尻のもので指定席表記面に塗装とステッカーを用いて作られたものです。厳寒の塩狩峠や常紋超えをした一枚であり思いを馳せるとたかが種別版と言えども浪漫を感じる一枚です。 持ち表記○手
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急行「利尻」○手
急行利尻は札幌発稚内行きとして1967年9月に準急から格上げとなって誕生。以来80年代前半にかけてスハフ44系の客レに使用された列車愛称板。1981年2月の改正で客車が14系に置換えられるも一時期はこの愛称板を掲げていた。裏面は指定席種別併記(その上にキロハ182で使用した自由席一部グリーン指定席の種別手書き表記で再利用) 持ち表記○手
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急行「大平原/なし」○帯
急行大平原は幹線を走らずローカル支線からローカル支線へと乗り入れる夏季多客臨として設定された急行でレア度の高い列車です。 1966年8月に士幌線の糠平を始発として帯広から広尾線に乗り入れ終点の広尾まで運行する夏季多客臨として誕生。翌年から始発が広尾となり糠平を目指す運行形態となる。これは急行えりも、国鉄バス、急行大平原と乗り継ぐ観光切符の販売によるものであった。ディスカバージャパンによる国鉄利用による観光需要も低下し糠平行きは1974年の夏季多客臨が最後、翌年は広尾〜帯広間の夏季多客臨となるもこの年限りで急行大平原は消滅した。 充当された車両はキハ22と56による編成であった。 持ちは○帯
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急行「えりも/なし」○手
1966年3月の改正で札幌〜様似間の準急えりもが急行に昇格。以後3往復体制とまでなるが静内から様似間の日高線での利用率低下と普通列車運行本数の兼ね合いから3本あった急行は静内から先の普通列車化が徐々に進み1985年3月改正時に急行は全て札幌〜静内間の設定となる。その急行えりもも86年11月改正で急行ちとせに置き換わり消滅した。充当された車両は準急時代がキハ22、急行の様似運用時代はキハ56.27静内運用時代はキハ40であった。 昭和40年代の夏季多客臨設定では急行えりも、国鉄バス、急行大平原と乗り継ぎのスジで札幌から千歳.日高線、広尾.士幌線で糠平までの通し切符が発券されたこともありました。 持ちは○手
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函館本線 小樽-ニセコ / ニセコ-小樽
紺板琺瑯白浮文字 相互表記吊り板 持ち○札 1988年から1995年の8年間、函館本線の小樽-倶知安間で運行された快速C62ニセコ号。3年目から運行終了までの6年間はニセコ駅まで延伸されるようになった。この延伸に伴い鉄文協は仕様証明書付きのサボと愛称板の抽選販売を開始した。最終年度はサボも愛称板も在庫が無くなり販売は最終運行を終えてからの販売となりこの板はその際に入手したもの。証明書の日付は最終日だけの記載であるが実質的には1995年の運行日十数日間で使用したものであり煤のつき方がその証でもある。スハフ44で使用。
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函館本線・瀬棚線 函館→長万部→瀬棚 / 函館
琺瑯製紺板赤帯白文字 相互表記板 凹文字 1966年10月1日に運行開始となった函館駅 - 長万部駅・瀬棚駅間を運行する急行「せたな」の行先表示板。 この板は1982年11月15日改正のダイヤで下り列車の運行経路が函館駅→長万部駅→瀬棚駅間に変更された際に作られたものです。急行区間は函館-長万部間となりその旨を表記。下りは国縫駅 - 長万部駅間は重複運転となった。一方上りは熱郛始発の列車に国縫駅で瀬棚発の普通列車が併結となり急行せたなとして函館に向かった(瀬棚駅発の際裏面の函館行きが表示された)1984年2月1日改正で急行から快速に格下げとなり行先表示板も同系デザインの快速せたな用に変更となった。 持ち○函
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急行「さちかぜ / かむい」○手
1971年7月の改正で急行かむいのスジを1本だけ札幌〜旭川間ノンストップ運転として1時間36分で駆け抜けたビジネス急行に与えられた愛称がさちかぜであった。711系交流電車による運用で4年後の1975年7月に登場した485系1500番台車によるL特急いしかりにその座を渡し列車名消滅となった。 さちかぜの愛称板は小樽始発の関係で○小が多い中、本板は持ちが手稲の急行かむいとのリバーシブルタイプであり711系の札幌運転所のかむい運用と共通運用に適して用意された板。 持ちは○手
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特急「おおとり / おおぞら」○函
昭和40年代から廃止となった昭和63年の間にキハ82系に使用された赤帯タイプの愛称板。道内に於いて取っ手の無いタイプの愛称板は函館運転所発注が主でありこれもその一枚。 特急おおとりは昭和39年10月に函館〜網走/釧路間の特急列車として登場。昭和45年10月からは釧路駅発着編成を特急おおぞらに置き換え函館〜網走駅間単独の運行となる。国鉄末期の昭和63年3月の改正で札幌までのは特急北斗、札幌から先網走までは特急オホーツクと分割されて列車名は消滅した。持ちは○函
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