「ザボン」と「ブンタン」第八回
初版 2018/12/26 18:10
改訂 2018/12/27 23:38
☝高木春山+荒俣宏+八坂安守+やまひこ社『本草図説』一 植物(1988年(初版) リブロポート)
賀状準備だの架蔵資料無料閲覧サーヴィスご案内だの店の業態変更告知だの、と月初めからずーっとこまごま忙しくて、だいぶ間が空いてしまった。
前回、色々な本草書を眺めてみて、アタマの中がぐ〜るぐるしてこられただろう(実は書いている方も、途中からだんだんワケがわからなくなってきたww)が、とにかく柑橘類のモノと名前とが昔っからごちゃごちゃになっていたっぽい、ということだけはおわかりになったかと思う。
図版研が考えるに、こうした混乱が起こるもととなったのは、初期の本草書には図版がついていなかったからに違いあるまい。『本草綱目』初版再版のいー加減な図でも、何もないよりははるかにマシだ。『山海經』にしても最初から図が添えられていれば、カメの身体にトリのアタマがくっついたりキツネの尻尾が九本になったりはしなかったろう。
一度も目にしたことないものを解説文から想像するとき、その人が今までにどのようなものを見聞きし、どのような体験をしてきたかによって生み出されるイメージはかなり違ってくるものだ。写実性のある図版が添えられていない本に新たに図を加える際、古今を問わずそのようなバイアスが描き手に影響しないわけがない。
ためしに、明治期の獣の博物画をみてみよう。
http://lab-4-retroimage-jp.seesaa.net/article/460505890.html
たとえば、サル。
ニホンザルはともかく、国内にはいない種類のものは、どうも何だかアヤシい。
☝☟東京博物學會『新撰博物標本圖解』哺乳類第一(明治39年初版 四方堂出版部)
オランウータンやゴリラなどのいわゆる類人猿は出来のよろしくない着ぐるみみたいだったりするし、原始的とされる小さなサルたちもそれらしく描かれているものもある一方で、図によってはSF映画にでも出てきそうな、人語をしゃべる架空の珍妙な生物っぽかったり。
☝☟東亞教育畫館『博物界一覽』(明治42年(初版) 東亞教育畫館)
☟この右下のオランウータンなど、まるでフランケンシュタイン博士のクリーチャみたいな不気味さ。
どこでどう間違ったんだか……。
日本が無謀にも東南アジアへの版図拡張を試みていた昭和初期の図鑑ではだいぶマシになっているけれども、でもやっぱり何だかヘン。
☝☟小野田勝造+小野田伊久馬『内外動物原色大圖鑑』(昭和15年新装改版 誠文堂新光社)
たとえば、ラッコ。
☝田中芳男+服部雪齋『動物第一 獸類一覽』(明治06年(初版) 文部省)
☝のように、あおむけに海面に浮かんでいる姿ならば、今日親しまれているイメージに近いものがあるが、…
…実は☝こんな風に、岩場に立ち上がった姿で描かれていることの方が多い。
☝☟東亰造画館『博物小画譜』哺乳動物之部第二輯(明治39年(初版) 東亰造画館)
これ☟なども左右反転しているだけで、構図としてはそっくり。しかし、前の図のトボケた風貌とは打って変わって、こちらは三白眼で睨みつけている凶暴な雰囲気。察するに、黒目勝ちのつぶらな眸のまわりの白い毛を、白目と勘違いなさったのではないかしらん……。
☝東京博物學會『新撰博物標本圖解』哺乳類第一(明治39年初版 四方堂出版部)
身の毛もよだつ唸り声をあげながら今にもばーんと飛びかかってきて喰われちゃいそう。尻尾も妙に細くて水中の方向転換などには役に立たなそうだし、とても同じ生き物とは思えない。
なお、昭和初期の動物図鑑をみても、やはりそっくりなポーズのラッコが出てくる。
☝☟田中茂穗ほか『有用有害觀賞水産動植物圖説』(昭和08年再版 大地書院)
ほら、これも。
☝小野田勝造+小野田伊久馬『内外動物原色大圖鑑』(昭和15年新装改版 誠文堂新光社)
というわけで、恐らく当時の博物学ギョーカイではよくしられた元図があったのではないかと想像しているが、今のところ(追求していないこともあって)特定はできていない。
さておき、たとえ☟左上のヤマネコがまるでアナグマみたいな姿に描かれているからといって、決してその博物画を描いた画工の腕前に問題があるのではなく(その証拠に、写実的でかっこいいライオンのつがいや、かわいらしいネコの親仔の姿が同じ一枚の図版の中にご覧いただけるだろう)、描くにあたって得られた見たこともない動物の情報が実にいー加減であやふやなものであったがために、どれほど無用な苦心惨憺をなさったか、ということを如実に示しているものに違いないと思う。
☝東京博物學會『新撰博物標本圖解』哺乳類第一(明治39年初版 四方堂出版部)
ちなみに、本当のヤマネコは☟こんな感じ。
☝小野田勝造+小野田伊久馬『内外動物原色大圖鑑』(昭和15年新装改版 誠文堂新光社)
毛皮の柄は確かに似ているんだけれども……いやはやww
と、まぁそんなわけで、こうした誤った博物画でヘンなイメージを植え付けられた人々が過去に量産されていた可能性があるのだが、こうしたイメージのバイアスによる種の取り違えが、もしも病を治すための薬の原料選択に悪影響を及ぼすとなると、これはもう笑い話では済まなくなる。
急を要する場面で効かないものを使っては目も当てられないことになるし、そうでなくても植物やキノコの類いには、食糧や薬の材料に使えるものとそっくりの見た目ながら猛毒をもつ種があったりもするし、本草学者としてはゆるがせにできない問題だったことは想像に難くない。それを自らの持てる観察眼と画力とによって解決しようとする試みる人物が江戸時代後期に現われ、我が国初の彩色植物図鑑が刊行された。それが灌園こと岩崎常正により文政十一年(1828年)に完成された『本草圖譜』だ。
今やこれらの貴重な刊本や写本がカラーで誰でも自由にみられるのだから、ありがたいこと限りない。
さて、灌園センセはこの図鑑の序文で刊行の意図を語っておられるのだが、その中でも特に図版研の強調したいのは次のくだり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2550775/5
益軒貝原篤信をはじめとする数々の本草学者がそれぞれの本草書を著してきた、というのに続けて、
則其説益精。然猶急於説緩於圖。或雖有圖甚略且拙。輾轉臨摹。花果不分。乕訛爲猫。後學疑貳。受惑滋甚。洵可惜哉。
、つまり「その解説は詳しくて役に立つのだけれども、しかしその図版となるとすべての種類について載っているわけではない。たとえ図があってもかなりテキトーな上にヘタクソだったりするし、ひとが描き写したものの描き写しをまた写したものだったりもするから、花が描いてあるんだか実が描いてあるんだかすらよくわからなくなっているものさえある。そんな、虎も猫にされてしまっているようないー加減な図版の載っている本しかないのでは、それで本草を学ぼうとしても却って混乱するばかり、なんともザンネンなことだ。」という風に歎いておられるのだ。
こうした問題を解決するには、やはり図版をメインにした本草書を出すしかない! という思いに衝き動かされて、灌園センセは自ら絵筆を執り植物画を描き続け、その完成版を元に予約者へその複製本が頒布されることになったそうだ。
その辺りの事情は、園芸文化や本草学の歴史について研究しておられる平野恵氏がご著書にまとめておられる。
http://www.heibonsha.co.jp/book/b288067.html
残念ながらモノクロではあるが、図版も結構数多く載っている。
舶来の植物書や、大名が絵師に描かせた写生図にも取材していることにも触れてある。
また、『本草圖譜』に写図が少なくないことを批判する立場から、武士として岩崎常正よりも位の高い旗本・仲達馬場克昌〈ばばかつまさ〉が、が、自らの写生画のみで作り上げられた別の本草図鑑『群英類聚圖譜〈ぐんえいるいじゅうずふ〉』についても(その図はないものの)言及がある。
岩崎常正その人については、前回取り上げた昭和初期の本草学史本の著者・白井光太郎が、大正四年(1915年)刊の『植物學雜誌』に「本草圖譜ノ著者ニ就テ」という標題の論文を載せておられる。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/29/346/29_346_305/_article/-char/ja
続篇がありそうなしめくくりにはなっているが、実際には続きは公表されなかったのか、J-STAGEサイトにはそれらしい文は見当たらない。
実はその翌年、大正五年からこの『本草圖譜』全巻を彩色木版で覆刻しよう、という壮大な企画が持ち上がり、白井はその校訂者に推されて主動的な役割を果たされたのだ。大役を担われることになって、とても続きをおまとめになるゆとりはなかったのかもしれない。
ここ☝のところに「日本の植物図鑑は幾度も刊行を試みられるが、すべて途中で頓挫し、……ようやく(昭和十五年刊の)『牧野植物図鑑』がこれを果たした。」とあるが、じゃあ例えば第二回(=続・「ざぼん」と「ぶんたん」)で取り上げた、村越三千男率いる東京博物學研究會が明治〜大正期に出している『植物圖鑑』や大正十四年に初版が出ている牧野の『日本植物圖鑑』はどーなの? とか田中+小野の『有用植物圖説』は? とかいう疑問がつい湧いてしまうのだが、収拾がつかなくなるので本題から外れる話にツッコむのはヤメにしておこう。
ところでこの本でも、明治から大正にかけての覆刻について触れられている…
…のだが、平野氏独自のご研究による原著の特質や編纂にあたっての数々の協力者についてのご解説も含め、詳しいことは同書をお読みいただくとして。
大正期の「本草圖譜刊行會」覆刻版完成に至る事情は、このシリーズ最終巻の終いに、☝の『植物學雜誌』の記事再録とともに載せられている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926458/20
これを読むと、想像に難くないとはいえ、どれほどのご苦労の末にこのシリーズが奇跡的に完成したかが知れる。とにかく、印刷物として全巻が出たのはこれが初めてだったのだ。
国会図書館デジタルコレクションに収録されているこの本だが、☝でご覧のように、実に残念ながら公開画像はすべてモノクロ……印刷物好きとして、これはやはり現物が欲しい! 今なら百万ばかり出せば、全巻揃いが手に入れられなくはないらしい。
しかーし! 図版研スタッフ全員の両足を持ってさかさまにして振り回してみたってそんな資金は出てきやしないので、あくまで「欲しい」と云ってみるだけ☆ 永遠に欲しいものがあるのは、ある意味シアワセなことだと思うww
戯れ言はおいといて、岩崎常正の略歴が『園芸の達人〜』巻頭に簡潔にまとめられていてわかりやすいので、ここに引いておこう。
この章の標題にもなっているように、灌園センセが『本草圖譜』をお出しになる大きな動機のひとつが、幕命で携わることになった(結果として未刊におわった)『古今要覽』という類書(百科事典)編纂事業だったそうだ。
当初「御徒見習」というヒラ役人だった岩崎が、その知識と画才とを買われてから『古今要覽』のような大部の本を編むお役目に取り立てられ、(肝腎の図版がこの本には載せられていないのでどのようなものかはわからないが)そこで彩色植物画を多数描くことになったという経験が、間違いなく『本草圖譜』企画発案に繋がっていよう。
さてさて、前置きがだいぶ長くなったが、この図鑑に「ざぼん」が載っている。
出版物のうちでは、実に残念ながら既に絶版だが、小学館の「手帖シリーズ」に載っている図版が最も気軽に手許で眺められると思う。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002123533-00
国会図書館デジタルコレクションの写本も掲げておこう。よくみると、☝の図版と違って「さぼん」と添えてある。花の向きも微妙に異なる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2555972/22
これをみると、この前ページに解説が載っていることがわかる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2555972/21
朱欒〈しゆらん〉[釈名] ざぼん さんぼ[筑前] じやぼ[土佐]/しやかたらみかん[京]
此〈この〉物〈もの〉柚〈ゆ〉と異〈こと〉なり葉長〈はなか〉さ七八寸花五瓣白色柚〈ゆ〉の如〈こと〉く実甚大にして/匏〈ほう〉[ふくへ]の如〈こと〉く外皮も又柚の如〈こと〉く黄色皮厚〈あつ〉さ一寸許〈はか〉り肉淡黄〈うすき〉/色にして苦〈にか〉く生〈なま〉にて食〈しよく〉すへからす 砂糖〈さとう〉に和〈くわ〉して食用す
一方、大正期の覆刻版では解説が図のまわりに書き込まれている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926427/20
内容はもちろんおんなじだが、漢字の使い方や送り仮名の書き方などに違いがある。この辺は写本ゆえ、なのだろう。
『木の手帖』ではなぜか省かれているが、「朱欒」の一種として「をんほうもうす」というのも載っている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2555972/21
一種/をんほうもうす
形状前條〈まへ〉と/同くして長さ/一尺に及〈およ〉ふ
実の長さが三十センチメートルあまりもあるという、見開きに収まり切らないほどながーい「ザボン」は、これまで出てこなかった気がする……というか、こんな品種どこに行けばあるのかしらん。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926427/21
大正覆刻版では「をんばうもうす」となっている。果実のカタチも不思議だが、「オンボーモース」という名前の響きも不思議。取り敢えず仮名でググっても全く引っかからない。いったい何語なんだろう……??? 謎。
「香欒」も載っている。
香欒〈かうらん〉[集解]
とうくねんぼ[日向]/さんほう[伊豫]/うちむらさき[筑前]/四國九州の暖地〈たんち〉にあり形状前〈まへ〉/に似て唯〈たゝ〉皮〈かは〉の内の瓤〈しやう〉淡紅〈たんこう〉色/香氣〈かうき〉あり味〈あしは〉ひ稍〈やゝ〉甘し食〈くろふ〉ふへし
こちらは(「食ふへし」の振り仮名が送り仮名とダブっているところも含めw )国会図書館デジタルコレクションの写本とほぼ同じにみえる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2555972/24
大正覆刻版は振り仮名なし。日向方言は「たうくねんぼ」、伊予方言は「さんぼう」になっている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926427/22
この『木の手帖』巻頭解説執筆者でもある監修者の植物分類学者・大場秀章氏が恐らくお書きになったと思われる解説も、この際引いておくことにしよう。
この解説だと、「扁球赤肉種=ウチムラサキ/トウクネンボ」「扁球白肉種=ザボン」「西洋梨形(果肉色は書かれていない)=ブンタン(文旦)」で、全部ひっくるめて漢名が「朱欒」ということになるように読めるが、「香欒」は意図的なのかどうか、すっとばされてしまっている。
ここにもご指摘があるが、江戸市中とその近郊くらいが生涯の行動範囲だったという灌園センセが写生された、暖地の果物である「ザボン」や、今日でも東京ではまず見かけない「うちむらさき」がいったいどこで花を咲かせ実をつけていたのかは、とっても気になるところだ。しかもそこには、例の「おんぼうもうす」のなる樹も生えていたことになるのだから。
なお、『本草圖譜』は昭和五十五年にも、今度はオフセット印刷で全巻覆刻されている。
http://iss.ndl.go.jp/books?ar=4e1f&rft.pub=%E5%90%8C%E6%9C%8B%E8%88%8E%E5%87%BA%E7%89%88&display=&search_mode=advanced&rft.au=%E5%B2%A9%E5%B4%8E%E7%81%8C%E5%9C%92+%E8%91%97
その監修者で、昭和中〜末期を代表する植物図鑑シリーズである保育社の『原色日本植物図鑑』共著者のおひとりでもあり、昭和四十七年(1972年)に刊行された『新註校定国訳本草綱目』の校訂も手がけられた植物分類学者、北村四郎は昭和六十年(1985年)刊『本草の植物』の中に、「『本草綱目』の植物」というかなり長い(四百ページ以上もある)文章を書いておられる。
これの「果部第三十巻山果類」章の「柚」のところに「ザボン」が出てくる。
門外の徒がいうべきことではないかもしれないが、その前の「橙」のところのご指摘、牧野富太郎が『國譯本草綱目』と『日本植物圖鑑』とで「橙」や「柚」同定の説を違えておられるのは、お考えが変遷したというのではなくて、「本草学」でいう「柚」と「植物学」でいう「柚」とでは指している種が異なる、というご見解のあらわれではないかと思う。
土州にてジャンボと云
とあるのは、「ジヤボ」と書いてある国会図書館デジタルコレクション掲載の本とは違っているが、そう書いてある別の刊本があるのかどうかはわからない。それはともかく、北村も本草の「柚」は牧野富太郎や田中長三郎と同様に「ザボン」と解釈なさっていることがわかる。ただし「朱欒」「香欒」については全く触れておられない。「新註校定」版をみても古代の地名についての補足があるばかりだったが、今やほとんど使われなくなった別称のことはもういいよね、というお考えだったのかもしれない。
☝北村四郎『本草の植物』(北村四郎選集II-昭和60年(初版) 保育社)
もうひとつ、惜しくも完成しないうちに著者が亡くなってしまって刊行に至らなかった、知られざる彩色本草図鑑もみておこう。豪商旧蔵のコレクションである愛知県西尾市立図書館岩瀬文庫に含まれている、十九世紀前期の御家人・春山高木以孝〈たかぎゆきたか〉の『本草圖説』という本だ。
☝☟高木春山+荒俣宏+八坂安守+やまひこ社『本草図説』一 植物(1988年第一刷 リブロポート)
監修に当たられた博物書研究家の荒俣宏氏が、原書の魅力と本書が編まれるに至った僥倖とを、巻頭解説でアツく語っておられる。
この中で、高木以孝についてわかっていることもまとめられている。ちなみに、☟の建物が岩瀬文庫。
薩摩藩と浅からぬ縁があり、なんと第五回で取り上げた『質問本草』を編ませた、かの蘭癖大名・島津重豪から目黒に屋敷を拝領して薬園をひらいていたとかで、そこで栽培した植物の写生もこの図鑑に含まれているのだそう。
岩崎常正と違って身分が高い分、自由も利いたのだろう、かなりあちらこちらへ旅にも行っていたようだ。薩摩にも足を運んだ記録が残っているという。
今回の冒頭に掲げた「ザボン」の図が、この本に載っている。
☝この「穰ヲミセタル圖」は、「生枝柑」とその前に書いてあったのを消してある。左側に『本草綱目啓蒙』の当該箇所が引いてあることからも明らかだが、この図は「朱欒」「ザボン」に間違いない。
大サ甜瓜ノ如ク、形榠樝ノゴトシ
とされる果実を横に輪切りにしている。種とその中身とが添えてあるのも面白い。
そしてこちら☝は「香欒」の図。「ザンホ又タウク子ンボトモ云/穰紫色ヲ帯ルモノ」と添えてある。
中途で切れている引用文がどこまで続いているかは、巻末解説をみるとわかる。ここに『本草綱目』も引いてあるが、これは春陽堂版『國譯本草綱目』からの引用だろう。
同じく巻末に収録されている原書の目録☝をみると、卷之百三十三「山果類四」に
生枝柑[即海紅柑]ジヤガタラミカン 二十一丁 一種 朱欒 ザボン 二十四丁
、卷之百三十四「山果類五」には
柚 十四丁 一種 香欒[ザンホ タウク子ンボトモ云] 十七丁
とあって、「朱欒」は「海紅柑」の一種、「香欒」は「柚」の一種として載せられていることがわかる。「香欒」の次には
文且[柚一種] 薩刕ノ産 二十丁
というのもみえ、薩州、つまり鹿児島産の「文旦」も「柚」のなかまとして載っていることがわかるが、この本は覆刻ではなくて抜粋版のため残念なことに割愛されてしまっていて、恐らくは現地で写生された図がどんなものなのかはわからない。
図に添えてある「ザボン Citrus grandis Osbeck」の解説☝は結構詳しい。
台湾ではこの小形の洋梨形のものを文旦〈ぶんたん〉といい、大形の球形果をザボンと読んで区別する。
白色のものと淡紅色〜淡紅紫色をおびるものとがある。白色のものをザボン、淡紅色〜淡紫色のものをウチムラサキと呼んでいる。
という記述がちょっと目を惹く。あと、知られた特産地が長崎県、というのも。
ところで前回まで眺めてきた本草書では、「香欒」には紅肉系で甘味のある「上品」と、それから白肉系で酸っぱい「下品」とがある、と書いてあったのを憶えておられるだろう(……と思いたいww)。
しかし『本草圖譜』や『本草圖説』では、「香欒」のところには「うちむらさき」、つまり紅肉種の図しか載せていない。これはなぜだろうか。
図版研が想像するに、『本草圖譜』はこれまでの優れた本草書の弱点ともいえる視覚的情報を補うのを目的に編まれた。つまり、既刊の本草書とこの図譜とを見較べることで、今まであやふやだったところが明確になり、精確な理解が可能になる。だから、添えてある解説文はいたって簡潔にとどめ、描く対象を見開きでばーんと大きく見せるレイアウトにしてある。
……と、ここからが肝腎なところ、という場面で今回のアップロード容量が尽きてしまったようだ。まことに不本意ながら続きは次回。
#コレクションログ
#比較
#欲しい
図版研レトロ図版博物館
「科学と技術×デザイン×日本語」をメインテーマとして蒐集された明治・大正・昭和初期の図版資料や、「当時の日本におけるモノの名前」に関する文献資料などをシェアリングするための物好きな物好きによる物好きのための私設図書館。
東京・阿佐ヶ谷「ねこの隠れ処〈かくれが〉」 のCOVID-19パンデミックによる長期休業を期に開設を企画、その二階一面に山と平積みしてあった架蔵書を一旦全部貸し倉庫に預け、建物補強+書架設置工事に踏み切ったものの、いざ途中まで配架してみたら既に大幅キャパオーバーであることが判明、段ボール箱が積み上がる「日本一片付いていない図書館」として2021年4月見切り発車開館。
https://note.com/pict_inst_jp/
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realminiature
2018/12/27今回も読み応えありました!続き楽しみにしてます!
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図版研レトロ図版博物館
2018/12/27早速ありがとうございます☆
今回も寄り道に次ぐ寄り道で記事が伸びてしまい、結局「決着」まで行き着かないうちに容量オーヴァで保存を蹴られて、またもや一部書き直しする羽目になりましたww
でもちゃんとテクストエディタでバックアップを取りながら書いておりましたので、ダメージはそれほどありませんでした♡
続きにも早速取り掛かりたいと思っております。どうぞオタノシミに☆
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