「ザボン」と「ブンタン」第六回
初版 2018/11/13 11:28
改訂 2018/11/14 13:51
☝小野職愨+久保弘道+長谷川竹葉『第二博物図』(明治09年頃翻刻版 山中市兵衛)の昭和末期の複製品
前回の……というより、その追記の続き。
各地の小学校で用いる教材として配布するため明治六年文部省により作られた掛図は、『動物第一獸類一覽』
http://lab-4-retroimage-jp.seesaa.net/article/460505890.html
と植物を扱った第一〜四『博物圖』の五種だったが、引き続き同八年に『動物第二鳥類一覽』
http://lab-4-retroimage-jp.seesaa.net/article/460519088.html
が出された。そして同年、あるいは七種目の掛図である『動物第三爬蟲魚類一覽』
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0201010000/0000000014/00
が作られた翌九年には、『小學博物教授書』という本も刊行されたようだ。
といっても、当初は掛図とまるっきりおんなじ解説と、それから線画による図版とが載っているだけのものだった。
なぜそんな本が作られたのかといえばおそらく、巻いてある掛図そのものをいちいちひろげなくても、教える側の予習復習ができるようにするためだろう。無論授業中にも、掛図を背に生徒に向かったまま、話を組み立てながらしゃべることもできるわけだし。
☝☟文部省『小學博物教授書』(明治09年翻刻御届 甘泉堂)
題簽がなくなっていたり内題と違ったりするので、和本は扉も載せておこう。
これにも「ザボン 朱欒」が載っている。
まことに残念ながら、この本は図版の一部が塗り絵にされてしまっている……明治人も、おいたをしていることが結構あって困りものww
さてこの本のように、ほどなくその翻刻版が民間版元から出されたかと思うと、これに註解を加えたいわば「話のタネ本」ともいうべき「博物教授書」も続々と登場するようになる。どうせならばもっと現場の手助けに役立つものを、というハナシになったのだろうが、それらに載っている「ザボン 朱欒」図もみておこう。
☝☟片山淳吉+中邨健藏+小野職愨『文部新刊小學懸圖博物教授書』卷一(明治09年(初版) 錦森堂)
ご覧のように、表紙を開けてみないと掛図の教授書だということがわからない。
また別の本。
こんな風に、掛図とは異なった図版レイアウトにしてある。
こちらは図版と解説とが別々になっている。
☝☟島次三郎『文部省新刊小學懸圖博物教授法』卷之一(明治09年(初版) 墨香居)
内容の分量が増えたので、動物篇はこの「植物の部」とは別冊になっている。
この本は、掛図全体がひと目でみられるよう縮写図も載せている。
何らかの化学変化が起きたのか、表紙や本文は状態がよいのに、この巻頭図版のみこんなに褐変してしまっている。
虫損はひどいが巻頭図版が褐変していないものもあるので、あわせて載せておこう。
だいぶ印象が違う……よね?
綴じ糸が切れてバラけているのをいいことに、「果實類」の丁をひろげてみる。
☝☟島次三郎『文部省新刊小學掛圖博物教授法』卷之一(明治09年(初版) 墨香居)
刊行時期も版元もおんなじなのに、なぜか扉のデザインがあからさまに違う……謎。
またまた別の本。
よくみると、「ザボン」じゃなくて「サボン」と書いてある。
念のため書いておくと、「ヿ」は「コト」の合字。
☝☟水溪良孝『博物圖便覽』(明治10年(初版) 五車堂)
タイトルが、より「ガイドブック」っぽい。
後のものになるほど、だんだんと図鑑っぽいレイアウトになってくる。
この註解者は「ザボン」を「朱變」と思い込んでおられるらしい……ww
博物教授書には珍しく「香欒」についても言及しているのだが、やはり「香變」に……WW
序文をみると、ちゃんと本草書などにも当たっておられる(だから「香欒」も出てくる)のだが……思い込みとはオソロシいもの。
☝☟堤辰二『小學植物教授書』卷之一(明治15年(初版) 修靜館)
内題や奥付では「卷之一」なのだが、題簽は「上」になっている。和本ではこういう違いはよくあるおハナシ(元々が複数巻の合本がさらに分冊になっていたりすると、一段とややこしいことに……)だが、書誌データを作る時にどうするか悩む。
この本はすでに、当研Q所架蔵資料目録ブログで紹介したもの。
http://lab-4-retroimage-jp.seesaa.net/article/456776090.html
博物教授書での「ザボン」の味については、酸っぱくて渋い、という、これまで眺めてきた文献にはみられない表現が散見されて面白い。
苦いのとは違うのね……。
明治十年代になると、掛図の縮写図版に色をつけたものも現れた。
編者が人気絵師でもあったこともあり、この本は大変な評判を呼んだらしい。何しろ版元が売れ行きのよさに調子づいて、文部省が掛図を作らなかった鉱物篇の教授書も刊行しているのだ(ただしすでに老齢だった註解者が準備の最中に亡くなってしまい、他の人物がその遺稿を引き継いで完成させている)。
ますます図鑑に近くなってきた気がする。ザボンの形がやや縦長だが……。
一覧の方では「ザボン」なのに、個別の図版では「サボン」になっている。
そしてその解説では「ザボン」。
日本語は元々、濁点や半濁点は基本的には表示しないものだったのを、明治に入って急につけるようになったためか、当時の出版物ではこの辺結構テキトーな感じがする。
☝☟松川直水(半山)『博物圖教授法』(明治16年再版 岡島寳玉堂)
扉の葉っぱ模様の額がたのしいデザイン☆(破れているのが残念……)
こちらは(多分)☝の肖〈あやか〉り本。
とはいえ、色はちょっと違う……。「サボン」も、なんだかミョーにひょろ長い。
いずれにせよ現物の色味には程遠いのだが、それでもこうしてカラフルなページがあると心惹かれてしまう。それはさておき…
…この註解ページ、どこかでみたような……。
そう、四つ前の『博物圖便覽』とまるっきりおんなじなのだ。いーのかこんなんで……。
実はこうした、同じ版元で別の著者の既刊書の中身を一部そのまま載っけている(しかも本来の著者名などどこにも書いていない)本というのは、明治期には時折みられるようだ。日本がいわゆる「ベルヌ条約」に加盟して著作権法を制定したのは十九世紀末年
http://www.cric.or.jp/db/domestic/old_index.html
だから、それ以前じゃあしょーがないよね、ということなのだろう。
☝☟柴田勝良『博物圖教授法』甲卷(明治17年(版權)譲受 五車堂)
扉のデザインもどこかでみたような……。
こうした博物教授書の中には、「ザボン」が載っていないものもある。
図版も解説も、柑橘類はミカン、ユズ、ブシュカンだけ。
これは三重で出されたものだが、第四回でみた北神貢『柑橘栽培書』に同県の章はない
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840085/15
くらいだから、「伊勢では識らなくても困らないだろう」というお考えだったのかもしれない。タイトルに角書きで「通常」と冠してあるのも、「身近にないものは省いた」という意味と思われる。
☝☟梅原三千+野澤玄宣『通常新編博物圖教授本』甲(明治17年(初版) 文化堂)
ローカル本だが、東は名古屋から西は大坂まで取り扱い書店があったようだ。
終いにもうひとつ。
巻頭の『第二博物圖』縮写図版には「ザボン」がちゃんと載っているのに…
…本文には出てこない、という本もある。
「ミカン」のところに「海紅柑」は載っているけれど…
…「ユウ」のところに「朱欒」が出てきたりはしない。
あとは「ダイダイ」だけ。子供に問い詰められて、現場で困ったりしなかったのかしらん、と余計な心配をしてしまう。
☝☟城水兼太郎『小學通常博物書』卷之三(明治16年版權免許 吉岡寳文軒+船井弘文堂)
この本は神戸と大坂の版元が共同で出していた。
このような博物教授書の翻刻版や註解入り教授書は、いずれも名古屋から神戸の辺りまでの版元が出しているのが特徴的。需要のありかを見つけるアンテナが高く、利にも敏い地域性が顕れているような気がするし、文部省のお膝元である東京とはちょっと違うところをみせたい、という意識も働いたのかもしれない。
さて、ここまでご覧になっておわかりのように、最初期の学校教育を受けた人々にとっては「巨大な柑橘」といえば、酸っぱくて渋く砂糖をかけて食べる「ザボン 朱欒」であって、「文旦」も「うちむらさき」も出てこない。それが前回みたように、二十世紀に入った辺りに「うちむらさき=朱欒、ザボン=香欒」と感覚のままに主張して栽培家の間でもてはやされた「福羽説」と衝突して語義が大混乱に陥ったとしても、ちっとも不思議はない気がしてくる。
今回は前回の反動ではないけれどww 気がつけば図版満載になった。次回はまた本草書の話に戻ることにしよう。
#コレクションログ
#比較
図版研レトロ図版博物館
「科学と技術×デザイン×日本語」をメインテーマとして蒐集された明治・大正・昭和初期の図版資料や、「当時の日本におけるモノの名前」に関する文献資料などをシェアリングするための物好きな物好きによる物好きのための私設図書館。
東京・阿佐ヶ谷「ねこの隠れ処〈かくれが〉」 のCOVID-19パンデミックによる長期休業を期に開設を企画、その二階一面に山と平積みしてあった架蔵書を一旦全部貸し倉庫に預け、建物補強+書架設置工事に踏み切ったものの、いざ途中まで配架してみたら既に大幅キャパオーバーであることが判明、段ボール箱が積み上がる「日本一片付いていない図書館」として2021年4月見切り発車開館。
https://note.com/pict_inst_jp/
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realminiature
2018/11/13今回も実際の博物館の展示を見たあとのような良い意味での知的疲労を覚えました!!何かが深堀されていくのを見るのってワクワクしますね!
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図版研レトロ図版博物館
2018/11/13早速ご覧いただきありがとうございます☆
おっしゃるように、ミュージアムのたのしさというのは、ずらりと並べられた展示品で少々くらくらするくらいの知的こーふんあればこそのもの、と思いますので、コレクションひとつひとつを展示室にUPしていくのよりも、こういうカタチでまとめて紹介しつつ「数をみていくことで初めてみえてくるもの」を浮かび上がらせる方が寧ろたのしいんじゃないかな、という気がするのですよね。
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