高橋介州 (たかはしかいしゅう) 加賀象嵌(かがぞうがん) 輪廻香炉りんねこうろ 希少伝統工芸

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高橋介州 (たかはしかいしゅう) 

加賀象嵌(かがぞうがん) 輪廻香炉りんねこうろ

https://youtu.be/oNW4mLWcfvc

 希少伝統工芸のため数が非常に少ない 名工の作品

梵字 阿弥陀如来を表す「キリーク」と観音菩薩を表す「サ」が象嵌されている

阿弥陀如来→極楽浄土への先導者私語来世の救いをもたらす仏
観音菩薩→33の姿に変化し、あらゆる苦悩を救済し功徳を授ける仏

生死、生まれ変わりを表現していると思われる

余談だが、転生香炉という作品も見たことがある。

金銀銅などを打ち込んであります。
内側にも金箔貼りされていて、介州の作品の中でも手の込んだ仕事のものです。

人間国宝 中川衛先生の師匠にあたる

金工 

高橋介州
没年月日:2004/10/29
分野:工芸, 工芸家 (工)
読み:たかはしかいしゅう、 Takahashi, Isamu*
 金工家で、日展参与の高橋介州は、10月29日午後0時13分、肺炎のため死去した。享年99。1905(明治38)年3月、石川県金沢市木ノ新保生まれ。本名、勇。1924(大正13)年金沢市の県外派遣実業実習生として東京美術学校(現在の東京芸術大学)の聴講生となり海野清に師事、彫金技法を学ぶ。1929(昭和4)年、金沢市産業課の金属業界指導員となる。また同年、第10回帝展に初入選し、以後、帝展、新文展に入選を重ね、戦後は日展に出品を重ねる。48年には日展会員となる。そして、62年には日展評議員となり、80年には参与となる。作家活動の一方で、41年には石川県工芸指導所所長となり、62年からは石川県美術館館長をつとめた(71年3月まで)。そして、75年には加賀金工作家協会を結成し、会長として、若手作家の育成につとめた。76年勲四等瑞宝章受章。82年には加賀象嵌技術保持者として石川県無形文化財に認定された。動物や鳥などをモチーフとした香炉に、石川県の伝統的な彫金技法「加賀象嵌」の技術をいかして模様をあらわした装飾性豊かな作品を制作した。

加賀象嵌とは?
加賀象嵌は、その名に「加賀」を冠することが示すとおり、石川を代表する伝統工芸のひとつとし て認められています。しかし実際、それがどういうものなのかは、なかなか複雑です。
 加賀象嵌の歴史は、二代藩主前田利長が、後藤家五代徳乗の三男琢乗を召し抱えたことに始まるといわれます。後藤家は室町時代より代々将軍家の刀装御用をつとめた家柄です。以降、寛文2年(1662)まで、京都と江戸の後藤家が、隔年で加賀へ下って指導にあたり、加賀の金工に大きな影響を与えました。表紙の「金銀象嵌雪に鷹図香炉」の作者である八代水野源六の家系は、後藤家の弟子筋です。白銀師と呼ばれ、加賀にあって藩の御用を取りまとめる特別な地位にありました。
 とはいえ加賀の金工は、単に後藤家を真似ているだけではありません。例えば、表面が滑らかな仕上がり(平象嵌)、重ねた象嵌(鎧象嵌)、断面が台形になるようにアリをたてた彫り込みなど、今日、加賀象嵌の特徴として挙げられるものは、江戸時代、主に鐙に用いられて発展しました。こうした技法がどのように確立していったのかはまだ明らかではありませんが、職人たちが、さまざまな試行錯誤をしつつ醸成していったことでしょう。
 加賀象嵌は近代に入ると大きな打撃を受けます。米沢弘安の死によって消滅の危機に瀕しますが、高橋介州らの作家たちにより、今なおその命脈を保っています。
 今回は、そうした加賀象嵌の軌跡を、作品によって辿っていただきたいと思います。

加賀象嵌
特徴》
象嵌とは、金属、陶磁器、木材などに模様を刻み込み、そこに金銀その他の材料をはめ込んで装飾を施す技法のことをいいます。金属象眼は彫金技法のひとつとして重要な表現方法で、「加賀象嵌」の主流をなす平象嵌をはじめ、いろいろな象嵌技法があります。

加賀象嵌の華麗で洗練された文様には、傑出した意匠感覚の鋭さがありますが、この優れた表現は精緻な技法に支えられています。金属素地の文様部分を鏨(たがね)で表面より底部を広げて彫り削って(このことをアリを切るという)、別の金属を嵌め込んで打ちならします。
すると、文様となる金属が表面より内部で広がった状態となって外れなくなるのです。この接合方法を加賀ではとりわけ精密に行って、豊かな表現を可能にするとともに、堅牢な仕事としての評判を高めました。

なかでも「鐙」は、加賀象嵌の代名詞でもあり、その卓越したデザインの斬新さと豪華さに加え、加賀象嵌は絶対に外れないと言われた技の入念さによって知られていました。

石川県立美術館展示参照
https://muuseo.com/keimiyachi/items/2884

日記
https://muuseo.com/keimiyachi/diaries/94

高橋介州と加賀象嵌のあゆみ パンフレット
高橋介州と加賀象嵌のあゆみ パンフレット 石川県立美術館HP 参照 http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/exhibition/4779/ 概要 高橋介州と加賀象嵌のあゆみ  明治38年、金沢に生まれた高橋介州は、大正13年、県外派遣実業練習生の第1回生として東京美術学校(現東京藝術大学)の聴講生となります。この時の実習生には他に、漆工の小松芳光や染織の成竹登茂男がいました。東京では金工家の海野清に師事し、金工を基礎から学びました。昭和4年には金沢市産業課の金属業界指導員になると同時に教師として職に就き、同年第10回帝展に初入選、以来新文展、日展に旺盛に出品します。16年には石川県工芸指導所所長に着任し、戦中の厳しい情勢の中、県内の工芸保護に尽力しました。戦後は石川県美術文化協会理事長や当館の前身である石川県美術館の館長をつとめ、県内工芸界をリードしながら、失われつつあった加賀象嵌の技術伝承に刻苦します。57年には加賀象嵌で石川県指定無形文化財保持者に認定されました。 高橋の作品は、加賀象嵌の伝統をふまえた平象嵌の端正かつ精緻な仕上げと、無駄のない洗練されたデザインが特徴です。時代に即した伝統の再構築を果たしているといえるでしょう。          本展は平成16年の逝去から初めての特別陳列です。高橋の作品を20点陳列し、そのわざをご覧いただくとともに、石川県の工芸界の指導者としての足跡も振り返りたいと思います。 さらに、高橋に師事し、重要無形文化財保持者(人間国宝)となった中川衛をはじめとし、県内で活躍する作家たちの作品もあわせてご紹介します。藩政期から受け継がれつつ、現在もなお展開していく加賀象嵌の魅力を、どうぞお楽しみください。 開催日時 2017年10月6日(金) ― 2017年11月7日(火) 9:30 ― 18:00(入場は17:30まで) 高橋介州 没年月日:2004/10/29 分野:工芸, 工芸家 (工) 読み:たかはしかいしゅう、 Takahashi, Isamu*  金工家で、日展参与の高橋介州は、10月29日午後0時13分、肺炎のため死去した。享年99。1905(明治38)年3月、石川県金沢市木ノ新保生まれ。本名、勇。1924(大正13)年金沢市の県外派遣実業実習生として東京美術学校(現在の東京芸術大学)の聴講生となり海野清に師事、彫金技法を学ぶ。1929(昭和4)年、金沢市産業課の金属業界指導員となる。また同年、第10回帝展に初入選し、以後、帝展、新文展に入選を重ね、戦後は日展に出品を重ねる。48年には日展会員となる。そして、62年には日展評議員となり、80年には参与となる。作家活動の一方で、41年には石川県工芸指導所所長となり、62年からは石川県美術館館長をつとめた(71年3月まで)。そして、75年には加賀金工作家協会を結成し、会長として、若手作家の育成につとめた。76年勲四等瑞宝章受章。82年には加賀象嵌技術保持者として石川県無形文化財に認定された。動物や鳥などをモチーフとした香炉に、石川県の伝統的な彫金技法「加賀象嵌」の技術をいかして模様をあらわした装飾性豊かな作品を制作した。
https://muuseo.com/keimiyachi/items/2884

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