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デジタル時計付ラジオ第一号
ソニー 8FC-59型 "デジタル24" メーカー:ソニー(株) 年代:1968年 機械式デジタル時計を採用したクロックラジオの最初のもの。クロックラジオの基本デザインを確立したこの機種は、グッドデザイン賞に選定された。
日本ラジオ博物館
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超小型ラジオ
STANDARD SR-H437型 "Microinic Ruby" メーカー:スタンダード無線工業(株) 年代:1963年 個別のトランジスタを使ったものとしては最も小型のラジオ。一応実用にはなるが、小さすぎて使いにくい。実用品というより、海外で女性向けの贈答品として人気があった。
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充電式トランジスタラジオ1号機
サンヨー 8S-P25型 「カドニカ」 メーカー:三洋電機(株) 年代:1963年 自社開発したニッカド電池と充電器を内蔵したラジオ。同社は「カドニカ」の愛称でラジオのほかにシェーバーなどを発売し、同社の電池事業の基礎を築いた。
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FMチューナ1号機
トリオ FM-100型 メーカー:春日無線工業 年代:1957年 NHKのFM実験方法開始に合わせて発売された日本初の市販FM受信機。国内市場が小さいため、すでにFM方法が普及していたアメリカ向けのOEM供給をメインにデザインされた。"REALISTIC"は、米ラジオシャック社のブランドである。トリオはその後FM受信機のトップメーカとなる。(借用品)
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(左)RCA Victor 1-RH-13型 (中央)RCA RJC12E型 (右)RCA RZG104Y型
メーカー:RCA(Radio Corporation America) 年代:(左)1959-61年(中央)1964年頃(右)1968年頃 ここに展示した3台はアメリカの一流メーカーRAC(Radio Corporation of America)のポケットラジオである。年代を追って、アメリカ製 -> 日本製 -> 香港製と製造国が変化している。 タイトルの「新興国」とは、日本のことである。そにーのTR-610に代表される6石ポケットラジオはアメリカを中心に大変な人気を呼び、大量に輸出された。細かく、手がかかる割りに安価な小型ラジオに対し、アメリカメーカーはすでにかなり品質が向上していた日本のメーカーへのOEMで対応した。1965年頃にはアメリカ市場の大半を占めるまでになった日本製トランジスタラジオだが、1960年代後半には香港、台湾製品が、げんちに進出した日本企業の部品を使用して大量にアメリカに輸出されるようになった。 アメリカは、1969年には94%のラジオを輸入するようになり、1970年代前半に自国でのラジオの生産がほぼなくなった。日本もその後を追って1980年代前半には国内でのラジオ生産が統計上なくなるのである。
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アルミ鋳物製ラジオ
シャープ 5R-24型 5球スーパー メーカー:早川電気工業(株) 年代:1949年 アメリカではプラスチック製のラジオが量産されていたが日本ではできなかった。このため、プラスチック風のキャビネットを木や金属で作ることが行なわれた。これはアルミ鋳物を使ったもので、アメリカ製ラジオに近づこうとした努力がうかがわれる。
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プリセット式5球スーパー
ピジョン(Pigeon) PR-312-B型 メーカー:相互電気 年代:1954年頃 5つの局をプリセットして、スイッチで選べるようにした特殊なラジオ。本機は長野市篠ノ井で使われていたもので、地元のNHKとSBCの他に、東京のラジオ東京(現TBS)と文化放送がセットされている。当時の民放の聴かれ方がわかる貴重なセットである。
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国民型受信機
トヨタ K-2-C 国民型2号A受信機 メーカー:トヨタ自動車刈谷東工場 年代:1947年 終戦直後、「国民型受信機」として、標準型受信機の規格が制定された。ナショナル、シャープなどのラジオメーカーだけでなく、軍用生産を禁止された大企業や、新興の中小企業が、戦災で失われて不足していたラジオの市場に目をつけて数多く参入した。自動車生産を禁止されたトヨタ自動車もそのひとつで、このセットは、同社の電装品工場(現デンソー株式会社)が生産したものである。トヨタは自動車の生産が再開され、軌道に乗るまでの1949年までラジオの生産を続けた。
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終戦直後のオールウェーブスーパーラジオ
ビクター 5AW-1型 ”黎明” メーカー:ビクター 年代:1946年 戦後、日本を占領した連合国総司令部(GHQ)は、それまで禁止されていた短波放送の受信を解禁した。これにより、国内メーカーから多くの全波(オールウェーブ)受信機が発売された。これはそのひとつで、ビクターの戦後一号機でもある。夜明けを意味する「聡明」と名付けた所に、戦後の新しい時代にかけるメーカーの意気込みがうかがえる。 戦前直後の物資が欠如した時代に生み出された高級受信機は、高価すぎて売れなかったが、こうして日本の電子産業は戦後復興の一歩を踏み出したのである。
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吉田式スタンドラジオ
メーカー:日本電波工業研究所 年代:1935-37年 電気スタンドに高一付4球受信機を組み込んだ特殊なラジオ。傘の中に下向きにスピーカーが組み込まれ、4本の柱の中に真空管が入っている。デザイン優先の真鍮製キャビネットはラジオの性能には不利で、感度や操作性は悪い。戦前の最も余裕があった時代の製品である。
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高級なミゼット型ラジオ
ヘルメス(Hermes) No.4 ステージ型 メーカー:大阪変圧器(株) 年代:1936年 東京、大阪などの大都市が発展してくると、小型でも洗練されたデザインのラジオが求められるようになってきた。これは、大阪の電気機器メーカーが製造した小型の高級受信機である。品質を追求して一流メーカーの部品が採用されている。凝ったデザインのキャビネットは日本楽器(現ヤマハ)が製造したものである。
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松下製ラジオ1号機(当選号型)
ナショナル5球1号型超遠距離用R-51型 メーカー:松下電機製作所 年代:1932年 これは、電球のソケットやアイロンの量産で実績を作った松下がラジオに進出した最初の製品のひとつ。同社の試作品が1931年に東京放送局(JOAK)主催の交流受信機コンテストに当選したことからその市販モデルを「当選号」と呼んで宣伝した。高品質を目指して理想を追求し、漆塗りの豪華なキャビネットに収められた最初のシリーズには、コストがかかりすぎて商業的には失敗した。
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長野県内で生産された高級ラジオ
メーカー:金萬電気商会 年代:1929年 長野県諏訪郡岡谷にあった中小メーカ製のニュートロダイン受信機。高周波段にUX-201Aを3本。低周波段にUX-112Aを2本使用する。 このセットは、長野県上伊那郡辰野町の旧家に残されていた。 奇跡的に当時使われていたままのバッテリーとホーンスピーカ(Omarブランド)が揃っている。 セット内部にも修理や破損の痕跡が無く、ほぼ購入当時の状態を維持している。
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初代ウォークマン
ソニー TPS-L2型 ”ウォークマン” メーカー:SONY 年代:1979年 原型は小型のカセットテープレコーダ”プレスマン”を改善して再生専用のステレオとしたもの。ウォークマンの登場で音楽をヘッドホンで屋外で聴くライフスタイルが定着した。また、市販のテープや録音機器がないと機能しないことから、いわゆる”ビジネス生態系”が確率した例である。
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報道用カセットレコーダー
ソニー TCM-100 ”プレスマン” メーカー:SONY 年代:1977年 報道関係者向けに作られた小型のカセットテープレコーダ。マイクとスピーカを内蔵し、立てて使うことができ、インタビューの際に利用であった。これにステレオのヘッドを付けたものがウォークマンの原型である。
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