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サイケデリック戦士/ホークウィンド モーターヘッドのレミーが在籍。
「シルヴァー・マシーン」のヒットで日本でもおなじみの英サイケデリック・スペース・ロック・バンド、1974年リリースの五作目「永劫の宮殿」からのシングル・カット。デイヴ・ブロック、ニック・ターナーの二大巨頭を軸に、この時期のラインナップにはヴァイオリンとキーボードで元ハイ・タイド、サード・イヤー・バンドの名手サイモン・ハウスが参加。そして当然後に「エース・オブ・スペーズ」で大ブレイクのレミー・キルミスターがヴォーカルとベース。シンプルだがキャッチーなメロディーを、ひたすら反復してはトランスに入っていくという、まさにサイケなスペース・ロックとしか言いようのない芸風の佳曲。全裸で踊る女性ダンサーもメンバーもいたし、派手なライトショウなど視覚上のステージ演出は、これも当時のグラム・ロックの範疇で語ることもできそうです。ただし、このシングルが発売されたころには、明らかにかれらの人気にも翳りが。クイーンが既に登場していただけの理由では勿論ありませんが、なんかしらんけれどあの頃は次々に色々な面白いのが出てきましたから。
スペース・ロック 7" Single リバティ揖斐是方
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前衛ドラムの芸術/サニー・マレー 日本盤ESPオリジナル
アイラーやテイラーとの共演でも有名なドラマー、マレーによるセカンド。1966年当時のジャズシーンに於いて、アバンギャルドなフリー・ジャズなる形容もやむなしですが、筆者は現在、その演奏の革新性を的確に分析できるほどのジャス・ファンでもありませんので、大雑把にいえば割とあの時代のフリー・ジャズ然としたタイプのレコード、というのが正直な印象です。ですが、それでも伴奏打楽器してのドラムスじゃない発想で、リード奏者の演奏とは別に、けたたましくせわしないパルスを送り続けるドラマーというのは、やはりこれはこの人あたりが第一人者といってもいいのではないかと思います。面白いのは、参加しているトランペットのジャック・カーシルが、そもそもレストランの厨房で皿洗いをしていたアマチュア・ミュージシャンで、マレーに声をかけられて参加したいう話。それから本作での支払いの件では、ESPの創業者・バーナード・ストールマンともめにもめたという話。何も支払いをせずに行方をくらました彼を探し出して問い詰めたくだりなどが、「証言・ESPディスクの時代」という本でのマレー・インタビューで語られています。とうとうマレーの取り分は一切支払われなかったようで、数年前にパリで逝去するまで、やっぱり彼はこの作品に関してはノーギャラのままだったんだろうか。可哀想。なんとも妖気漂うポートレートにアートディレクターのクレジットではゴッズのジェイ・ディロン。流石ESP。
フリー・シャズ LP、アルバム ESP 日本ビクター揖斐是方
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帰り道は遠かった/サブ・アンド・ビート 自主製作GS
秋田のとあるスナックのトイレで、作家の藤本義一がトイレット・ペーパーに書いた歌詞を、作曲家でジャズ・ギタリストの奥村英夫が作曲して生まれた一曲。二人はかつて大阪でのイレブンピーエムの出演者で、ロケで訪れた秋田での逸話だそうです。当然この曲は「チコとビーグルス」で大ヒットして世に知られ、東京を追われた(笑)ザ・ジェノバもカバーしてシングルをリリースしています。が、このレコードはそれら以前に製作されたオリジネイターの奇盤とでもいいましょうか。1966年に結成された大学生によるセミプロのトリオで、67年の夏に奥村氏と知り合い、68年の夏にはこの盤を製作したということのようです。ジャケット裏のライナーには、この曲を名付けて「民謡ロック」と書かれておる。笑い。確かに民謡そのものの合いの手が。セーノで一発で録ったのでしょうが、演奏は遠く、ボーカルとハーモニーだけ近く、そのアンバランスさも最高です。楽曲そのものは知名度の高いポップ・チューンなので、その事実と録音状態のあまりのギャップが味わい深いですね。ちなみに、この曲と同名の奥村氏の自伝では、いきなりチコとビーグルスに歌わせたことになっている。絶対に、先にこちらで録音したはずですが、無視黙殺の憂き目だ。可哀想・・
民謡ロック 7" Single キング揖斐是方
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『他人の穴の中で』付録『俺より他に神はなし』唄・平岡正明
クシシュトフ・キェシロフスキーの「デカローグ」の1は「俺より他に神はなし」という十戒のひとつを寓話化し、AI文明を妄信する者が神に罰せられる末路を描いていましたが、この一神教絶対宣言である暴虐の決定論が小気味良いですね。日本人の汎神論とは仲良くできないかな、やっぱりな。 そのフレーズをそのままタイトルとし作詞をしたのが、日蓮宗僧侶の上杉清文。歌うは革命三羽烏の一人、平岡正明その人。 私事にわたり恐縮ですがまさに人生を変えた曲のひとつです。この曲の歌詞の一部を読んだのは「ニューミュージックマガジン」誌の書評だったか、衝撃でした。1981年頃の話です。 風はひとりで吹きゃしねえ/風を吹かせる奴がいる/とかくこの世は駆け引きで/正義が勝つとは限らねえ/ひとが泣こうがくたばろうが/俺がよければすべてよし/俺より他に神はなし このソノシートを目当てに「他人の穴の中で」を買い、歌詞カードを手に入れ、我流でこの曲に触発された「俺が居る」を作曲し録音、三上寛がレパートリーとしてアルバム化し、それから幾星霜を経て今の自分に至るわけで、遡ればすべて平岡氏の歌うこの曲に尽きるのです。 非常にチープな伴奏にのせて歌われるこの曲ですが、まさに耳で聴く平岡節そのもの。氏の硬質な文体がもつハードボイルドかつニヒリスティックな肌合いをそのまま歌にしたような歌詞。これは野坂昭如楽曲における桜井順の、ドアーズにおけるロービィ・クリューガーの功績に等しい。歌い手と作詞者の見事な一体化。 かつて「俺が居る」の文底には反天皇制があると評した人もいましたが、その源流は当然この一曲に還元されていきます。個の持つ絶対性。それをこの日本人社会で声高に歌う行為のラジカリストぶり、とでもいいましょうか。 三上バージョンがリリースされる前に、平岡氏本人に認知された曲とはいえ所詮「俺が居る」は氏の書名の通り「他人の穴の中で」生まれた傀儡のイカサマ曲であります。
ディープ歌謡 ソノシート 書籍 秀英書房揖斐是方
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「ウイザウト・ユー」の「ニルソン・シュミルソン」 米盤の別ジャケット ニルソンの謎のカウンターフィット盤
米国の地方都市にあるシアーズなんかの巨大ショッピングセンターでは、肉や牛乳をいれたカートの中に、ペリー・コモかなんかのカットアウト99セントのLPを何枚か放り込んでいたおばさんなどを見かけたことがあります。40年以上前の話で恐縮ですが。その時、「レコード」という物への考え方、扱い方のあまりの違いを垣間見た気がし、さらにいえばラジオ局の数も含め米国人にとっての音楽と日常の関係が、いかに日本と異なるかを思い知りました。当時はまだ当地のレコード店にも8トラックのカートリッジテープなども山ほど売られておりました。多くはありませんが、アメリカでは、大メジャー・レーベルからでているれっきとした大ヒット・アルバムが、実にわけのわからない胡散臭いジャケット(当然アーティスト写真などない場合が多い)で販売されているのは知っていました。しかし、まさかあのRCAが売りまくって、グラミー賞ヒットの、あまりにも有名な「シュミルソン」が、こんなジャケットのレコードでも存在していたとは驚きました。ジムとイギーとヴィンス・テイラーを念頭に、宇宙から落ちてきた異星人ロックヒーローとしてのキャラクター、ボウイの「ジギー・スターダスト」に対抗し(?)同じレーベル・メイトであるハリー・ニルソンは、「アーリー・イン・ザ・モーニング」を唄っているくらいで、早朝、起き抜けに冷蔵庫をあさりに来たよれよれのナイトガウンを羽織った生活者として、シュッとした元銀行員の雰囲気をかなぐりすて、別キャラクター「シュミルソン」に変貌、イギリスで出会った素行の良くない笑ロックンローラーたちと、ロック・ミュージシャン然とした境地に突入、「ウイザウト・ユー」の大ヒットでいよいよ全盛期を迎えました。それが1971年。それは衆知の事実です。しかし、ニュージャージー州にあるメロディー・レコーディングスは、こんなジャケットでその名盤を(4曲は必殺ですが、ニルソンにはもっと良い名盤あり)買ってから10日以内なら返品可能みたいなことを書いて、写真の通りのレーベルで、米国内で販売していたわけです。音は特段の難もなく、ごく一般的なレベルでのクオリティーで、RCA原盤との大きな差異はありません。そこで、私が知りたいのは、このレコードがいつ頃どの程度流通し、他のアルバム、他のアーティストでもこうした例は珍しくないものなのか否か、なのですが。お詳しい方がいらしたら是非ともご教示ください。こうした例は今まで米国のカートリッジの世界でしか知らなかったものですから。
ロック LP、アルバム メロディー・レコーディングス揖斐是方
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野坂昭如 Petit Testament '80 事実上のラスト・アルバム 野坂流・10年遅れの切腹の儀
アマゾン・プライムかなにかで既に配信によって全曲が聴けるとはいえ、レコードとしては未聴のまま、探し続ける事40数年。世間ではさほどのレア盤ではいのかもしれないが、自分個人にとってはいつまでたってもみつからない、そんなレコードも稀にあります。これなどその典型。遂に、野坂のラストライブが。当然未CD化ですが。1980年4月30日、東京厚生年金会館でのライブ。ジャケットを見ると沢田研二トキオへの対抗意識が(笑)ここでの選曲、はしゃぎぶり、50歳にして病を得た後の歌手生命への疑念。そして総括の決意。明らかにこれは歌手・クロード野坂流の、ポップでキッチュでふざけた、しかし同時に極めてシリアスな、彼の切腹の儀とみえます。それを敢えてドキュメンタリー・レコードとして遺した。歌唱としては初になる作詞作「おもちゃのチャチャチャ」やお馴染みのレパートリー、拘りの大国での大ヒット、YMCAなどを交えて最後には「君が代」。ささやかな遺言という意味である「ブティ・テスタマン」の文底に流れる野坂流のミシマ・マナー。あの檄文など、三島の遺した諸々の直球とは対極に位置する徹底したコミカルなギミック、しかしそこには「冷徹」な笑いしかありません。 三島の自決は彼にとって二度目の強制終戦だったのに対し、野坂も「二度目の敗戦コンサート」としている。小沢昭一の歌った、アプレゲールのなれのはて、とまでは言わないまでも、これは野坂なりの、ライブ・パフォーマンスによる再びの敗戦ということなのだろう。実際に鬼籍に入る35年も前の、ショウの形をとった遺言か。音楽は残念ながら、80年代丸出しの浅薄かつバッド・テイストな伴奏。しかしこれは仕方があるまい、電飾パラシュートの時代だったのだから。しかし、それにしても一体なぜこのレコードだけが、無視黙殺ノーリイシューのままになっているのか。無論様々な事情が絡んでいたのでしょうが。自主製作からCBSソニーに始まり、エレック、コロムビア、パイオニア、東芝、そしてビクターとレーベル移籍の変遷はめずらしいことではないが、しかしそこを乗り越えた楽業総括のボックスひとつ出ないとはね。現役のレコード業界人には誰一人、歌手・野坂を知る人物などいないのではないかとすら思えてきます。(そういえば、晩年になりダニアースの唄や小林亜星と組んで曲を発表したりしていたけれど、あのへんは蛇足の感、強し)
歌謡曲 LP、アルバム ビクター揖斐是方
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KAK/KAK アメリカン・サイケデリック・ロックの名作 1969年
一曲目はカンの「コネクション」を思い出さずにいられない、あちらは何年でしたか、どちらが早いのでしょうか「アンリミテッド・エディション」に入っているムーニーの。二曲目のイントロはクレヨラの「ハリケーン・ファイター・プレーン」を想起させるし、B面一曲目の雰囲気はモビー・グレイプだし、こう書くとあたかもこのバンドはオリジナリティー、絶対性に欠けるような印象を持たれるかもしれません。しかし、本質はその対極にあり、サイケデリック・ロックとして極めて優れた内容と音楽性を持つ名盤だと思います。クイックシルバーメッセンジャーサービスのファンなら直ちに納得していただけるのではないか、どこまでも澄み切った青空の中を縦横に駆け巡りながら上昇し大気圏外にまで突き抜けていくような、透徹したギターの音色、このクリアネスこそカクの身上。これが唯一のアルバムで終わったことが残念な非常にユニークかつ貴重なバンドでした。空中に舞うタンバリンも印象的なアートワークも相俟って、サイケデリック・ロック史に今も鮮烈な存在感を示す一枚でしょう。カントリー調のA面と、キャッチーなリフ、弾きまくりのギターが圧倒的なB面がむしろ逆にするべきだったと確信する米プロモ・シングルもありました。
サイケデリックロック LP, Album エピック揖斐是方
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A GUIDE TO THE LABYRINTH / JIM MORRISON
昨夏に予約を募り今春漸く発売された豪華本で、版元の英ジェネシス・パブリッシングは、多くのロック・アーティストの超豪華限定本を発刊していることで有名です。英国の伝統というのか、凝りに凝った仕様のコレクタブルな本ばかり。そしてだいたいどれも異常に高い。ただし、この詩人になりそこなったロック・シンガーの文業は、現時点では、いささかヤリスギの感も否めないものの最終形決定版と言っていいでしょう。例えば、先にハーパーデザイン社から出された分厚い「ザ・コレクテッド・ワークス」では、「蜥蜴の祝宴」の詩はオリジナルのノートブックのページ写真が掲載されていましたが、こちらではそのノートブックを丸ごと一冊そのままレプリカとしてボックス内に収納しています。(写真三枚目・中央) その表紙には「リザード・セレブレイション」と記され、手書きのページを手繰れば、音楽と効果音をバックにアルハム片面すべてを費やして目論んでいたといわれる「詩による放送劇」を意図していたことが明確に伝わります。 他にも写真二葉、ノートのレプリカがもう一冊、朗読の17cm盤レコード、アウターバッグなどがセットされ、本体には実妹・実弟・元同僚のミュージシャン二名の直筆サインが入った限定2000部。ブライアン・ジョーンズに捧げた詩も原型を再現されています。600ページ余には、あの「ポニー・エクスプレス」の原稿写真、後に「ソフト・パレード」の一部となる歌詩を含む、もう一つの「放牧地帯」なども掲載。勿論幼少期から晩年に至るまでの未発表写真も多数。 どこへ行くにも常にノートを持ち歩いていたというこの人の、徹底して言葉で人間を探ろうとした試みの記録は、やはり文学者と共通する姿勢を感じさせるに十分です。27歳でそれは絶たれてしまうのですが、酒でも詩でも音楽でもなく、結局のところは死が彼の出した結論だった、生涯の最期、わずか数年間で彼を規定し苦しめたロックンローラーとしてのキャラクター、それを自身で殺したという見方もできるでしょう。 余人には読まれたくない習作がここまで露にされてしまう不幸は夭折者の宿命。人生を軌道修正する時間は自ら絶ったに等しい、衝動が理知に勝ったというべきか、しかしその衝動こそ、それを装った理知だったのかもしれません。このあたりが実に面白いのだこの人は。 没後半世紀を経て、いよいよ彼の歌と音楽は、その「言葉」とクロスフェイドされていくのではないでしょうか。そんな事も感じさせる一冊です。 事実、今世紀に入ってからは名盤とされる一枚目ですら世界的には音楽上の褪色を指摘され続けています。今後はこの書籍が象徴するように、ただ英語圏のみでの、しかも極めて狭いフィールドでのマニアックな文学上の評価がなされていくだけなのかもしれません。そして一般的には単に、チェ・ゲバラ同様に何をした誰かも知られないままただTシャツの中のアイコンとしてしか認知されなくなるのでしょう。
朗読 7" Single 書籍 genesis揖斐是方
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ESP 日本盤 コンパクト 『オーネット・コールマン/タウンホール・コンサート』
日本では最後に国内盤のCDが出てから30年近く経っているのではないですか、米国のカルト・コレクタブル・フリーキー・レーベルのESP。もう誰も興味は持たないですかね。歴史的名盤も擁するフリー・ジャズにおけるこのレーベルの重要性は、やはり看過できないものがあるでしょう。1960年代は日本ビクター・ワールド・グループが国内発売を行なっていました。もちろん、あのすべてのカタログではなく、ごく一部ですが。1968年1月にジョン・コルトレーンのものとともにリリースされたのが、このコンパクト盤です。オリジナルの定価は500円。収録曲が長いので、シングル盤ではなく、それより高い設定の規格で出されたレコードで、やはり「コンパクト盤」といったところでしょうか。ジャケット、タイトルが示すようにこれは『タウンホール1962』からのカットです。長いキャリアの中でも不遇時代で、活動歴の中でのミッシング・リンクとなる貴重なライブ・アルバムであることと、内容のすばらしさ、そして何よりもESPの日本盤17cmコンパクトという点で、ずいぶん長い間探していた一枚です。ゴッズのものと、ポール参加の盤「パスオンジスサイド」からのカットくらいしか米国盤ESPシングルなど記憶にない中での日本盤笑。ただし、これは白レーベル。やっぱり当時は売れなかったんだろうなーと確信できるわけですが。#freejazz #ESP #ornettecoleman
フリー・ジャズ 7" コンパクト ビクター ESP揖斐是方
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OAR / Alexander SKIP Spence (1969)
オンタリオ州から両親とともにベイエリアへ移住したのが1959年。まずはクイックシルバー、次にジェファーソン、そしてモビー・グレープへと在籍歴があるミュージシャンです。サイケデリック、アシッド・ロックなどというわかったようなわかんないようなジャンルの中では鬼才と語られる人物で、名盤とされているこの米オリジナル盤もかなりのレア盤のようです。肝心の内容は、一曲を除いてそんなに際立ったものでもなく、平均的な当時のアメリカン・フォーク・ロックの趣きなんですが、聴いているうちにやはりどこか変だと、麻薬だか酒だか、酩酊と朦朧に任せて勢いで創ったなと笑、思えなくもない。1968年7月、モビー・グレイプのレコーディング・セッション中に彼はバンド・メンバーに斧をもって襲い掛かり、当然医療刑務所へ。同年12月、一人でさまざまな楽器を奏でた本作を録音という運びです。1969年のリリースですが、これは当時のCBSでのワースト売り上げを記録したそうです。たしかにシド・バレットとの類似性は指摘できる作風で、本人のドラッグ耽溺からくる狂気も共通項として挙げられるでしょう。1999年4月、肺がんにより没。皮肉なことにほぼ同時期、ロバート・プラント、トム・ウェイツらによる本作へのトリビュート盤がリリースされました。
ロック LP, Album CBS揖斐是方
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REMEMBERED FOR A WHILE/NICK DRAKE
今年もまた今日が来てしまった以上、この人も忘れるわけにはいきません。2014年に限定1000部でリリースされた、ドレイクの豪華書籍、ポートフォリオ、10インチ、7インチレコートなどのセットです。姉の女優、ガブリエルら3人の直筆サインも入った、まさにドレイクをしばらくの間は思い返すのに絶好のボックス・セット。生前に遺したわずか3枚のアルバムセールスと活動期間中の不遇、ドレイク本人の抱えていた心の闇、しかし没後これだけの時間が経ち、これだけ世界的な評価と名声を得るに至ったシンガーソングライターも稀有でしょう。未発表マテリアルを収めたレコードだけでも意義あるリリースと言う他ありません。#nickdrake
フォーク ロック 7" Single 10"アルバム 書籍 安くはなかった揖斐是方
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椿説弓張月/三島由紀夫
また今年も今日が来たので、1969年11月に横尾忠則のジャケットで発表された三島由紀夫のセカンド・アンド・ラストアルバムを。三島自身が一人で声色を変えて何役もこなした自作の朗読パフォーマンスで、没後半世紀余、歴史的・文化的な価値は損なわれるどころか、ますます高まっていると思います。が、繰り返して聴く気が起きないのですな、どうも。後年、ジャケット改悪でシーデー・リイシューされたとて、それでも聴けない笑。当たり前だが、本物すぎて、どうしても馴染めないのです。ただ、兜をかぶっているのではなく、兜にかぶられている態の先生の写真と横尾アートだけが印象に残るばかりなのでした。かかる日になどて三島は英霊となりたまいし。そんなフレーズが浮かぶ憂国忌です。#三島由紀夫 #横尾忠則
歌舞伎 LP, Album CD コロムビア揖斐是方
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ハリスン、ジャガー、クラプトン、ジョプリン、リード、ザッパ、レノンらのインタビュー・ボックス・セット
ヴィレッジ・ヴォイスのロック・ジャーナリスト、ハワード・スミスによるインタビューをCD化したボックス・セットです。2013年に限定500部でリリースされました。バッジやインタビュー当時のノートのレプリカ、数葉の写真、カセットなども同梱されておりますが、面白いのは小野洋子のTシャツをスミスが穿いている一枚。ここにこれをわざわざ入れた意図が、なんとも微妙です。収録されたミュージシャンの名前は写真の通りなのですが、とにかく時代がベストであり、従ってメンツが凄すぎます。#mickjagger #georgeharisson #loureed #frankzappa #joecocker #janisjoplin #ericclapton #johnlennon #yokoono
インタビュー CD 私家盤揖斐是方
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オランダの国民的バンドが放った世界的な大ヒット ゴールデン・イアリング 「レーダー・ラヴ」
60年代から活動を開始し、本国オランダでは超大物の国民的ビッグネームがこのゴールデン・イアリングです。かつては日本でもレコードが出ていましたが、同じダッチ・サウンドとしては圧倒的にショッキンク・ブルーに軍配があがりました。このバンドは初期のビートバンドから出発し、60年代後期のサイケデリック時代には「ミラクル・ミラー」や「エイト・マイルズ・ハイ」といった名作を発表、ハード・ロックにシフト・チェンジした70年代前半にこの曲と、アルバム「ムーンタン」で黄金期に突入、80年代に入ってもヒットをとばしていました。この曲は1973年の作品で、日本以外での世界的大ヒット・ナンバー。 (高校白書だか青春白書だか「ビバリーヒルズ」のあのドラマで、車を飛ばしてブランドンが新しい恋を探しに、というようなエピソードで全編にわたって流れ、エピソードそのもののタイトルにもなっていました)これを携えて、アメリカと同じように日本でも噂されたザ・フーとのジョイント・コンサートでも実現していれば、大きく評価は変わったと思われます。アルバム・ヴァージョンとは異なり、こちらは5分余のエディット・シングル。ラジオからたった一度流れたのを聴き、このレコードを買った記憶があります。#thewho
ダッチ・サウンド 7" Single ポリドール揖斐是方
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第51回蜥蜴忌 THE SOFT PARADE
69年の4作目のコスタリカ盤です。裏は米オリジナルとほぼ同じ、シングル・ジャケットですがレーベルはエピック。当時の中南米盤は殆どエピック・CBSレーベルなのですが、ここまで大幅にデザインを変更しているものも珍しい、しかもバンドの写真は一切使われていないのです。バンドは頑張って創作したアルバムでも、こうしたやっつけ仕事のようなパッケージにされるのは切ないのではないでしょうか。#アナログレコード
ロック LP, Album エピック揖斐是方