鉄道の遺跡を発掘せよ!2 H萩駅で半世紀前のやくもを見れるか!? その3
公開日:2018/9/15
前回のあらすじ
H萩駅付近に仕事に来ていた私は、5年前に鉄道仲間との雑談にて、H萩駅ホームに半世紀の時を得ても今なお眠り続ける準急時代の 初代 やくも が あると聞いた私はそれを拝むべく仕事を切り上げH萩駅へ向かった。入場券を買い、ホームへ発掘調査に入って行った・・・。そして、私は3番ホームを探してみたが、何も書いておらず、肩が落ちていた。しかし諦めるのはまだ早い!2番ホームがあるじゃないか!!と思って2番ホームを、見渡して見ると、そこには丸い円で書かれた輝くものが・・・これこそ まさしく やくも だったのだ、数々のやくもが2番ホームにちらばめられていた。さらに まつかぜ も発掘しまだまだ発掘へ進むのであった・・・H萩駅編、いよいよクライマックスへ・・・
やくもを発掘した私は、まつかぜだぁーと思っていると、
横に何やら野球ボールのような書き物を発見。よくみて見ると・・・ おお、コレは!!

急行 あきよし さんべ さらにわずか3年としか活躍しなかった急行 はぎ だ! まるでお子様ランチのように円の中に書かれた、急行の愛称たちは、私からすれば世界三大珍味のトリュフ、キャビア、フォアグラのよう。

恒例の出島書き
さんべ あきよし があると聞いていましたが、まさか急行 はぎ まであるとは思いませんでした。
いやぁほんと予想外・・・
急行 さんべ
昭和36年のダイヤ改正で登場。急行列車でデビュー時は大阪から浜田を結ぶ夜行列車だった。 昭和43年のダイヤ改正より山陰西部から九州方面へ向かう列車となった。 「さんべ」の最大の特徴は、長門市駅で美祢線経由と山陰線経由に分割し、それが下関で再び併結するというかなり珍しい運転であった。そのため、離婚・再婚列車と呼ばれ、かつては鉄道サスペンス小説モノで犯人がトリックとして使う場面でよく登場した。これは益田駅 - 下関駅間の走行距離が山陰本線経由・美祢線経由・山口線経由で大差が無いために実現したものである。 また最盛期は夜行列車タイプも存在していた。 さんべ は その後、平成9年に臨時列車化され、平成11年に廃止となった。
急行 あきよし
昭和35年、山口ー博多間の気動車準急として登場。 さんべ とともに 離婚・再婚列車の運行ダイヤがあった。年代ごとに始発駅や到着駅が変更された。昭和60年に廃止された。
急行 はぎ
米子~長門市を結ぶ急行として1972年ダイヤ改正で登場。1975年まで約3年間と短い間、運行された急行列車である。名前の由来は山口県萩市。とはいえ、この列車の発着駅が萩ではなく、長門市であるため名称に合わずわずか3年後の1975年に愛称を、急行ながとに変更された。
この豪華3点セットの横と やくもの 間には、消えていましたが、乗車位置案内らしき物がありました。

コレは帰宅後、じっくり撮影したものを見ましたが、おそらくさんべだと思われます。

さっそく出島書き

愛称板 さんべ 禁煙車/快速 禁煙車 ○広 下関
https://muuseo.com/azuazu257/items/249

(当ミュージアム あゝ愛しの愛称板より 急行 さんべの愛称板)
さらにホーム跨線橋側に行くと、先ほどの野球ボールと同じ形で今度は割とまだ読める程度の物がありました。

こちらも あきよし さんべ はぎ となっていますが、さんべの下に二 一とありますが、これはおそらく さんべ 21号ということだと予想しています。
この他にも2番線を見渡して見ましたが、今のところ発掘できたものは、これだけでした。 では一番線に行って見ましょう。1番線は改札に直面した対向式ホームとなっています。

また跨線橋を渡って1番ホームに来ました。 ちなみにこのホームより、瑞風や○○のはなしが停車します。 ではホームの端から端まで移動します。 移動して移動して移動して移動し・・・アレ!?意外にない!?
これは予想外です。H萩駅ではほとんどこのホームに停車する列車が多いのに対して、意外にありません。 しかし諦めるのはまだ早いので、かなり端まで行ったところで2番ホームにあったような○囲みがありました。

しかしほとんど消えており、何が書いてあるかは解読不可能です。 いつか、解読するロボットを出してくれ!!と言っても無理なので分からずじまいです。 ところで、このホーム、もう一つ気になる点があったのです。というのが、0番線らしき存在があるのです。それはこの1番ホームと脇側にある駐車場の間。

しかしこんな狭いとこに列車が入るのか!?と思っていましたが、おそらく現在は駐車場の一部と化しているのでしょう。Wiki先生の記事によれば、かつては多くの貨物の留置線があったとのことなので、これはその一部でしょう。
1番線はこれ以上探してもなかったので、これにてH萩駅での発掘調査を終了いたします。 今回は半世紀以上の前のやくもの乗車位置案内も見れて大変満足な発掘調査でした。 しかし、乗車位置案内もほとんど消えかかっていっているため、消失してしまうのも時間の問題かなと思います。 雨が降り出した頃、私は大急ぎ車に乗り帰り道につくのでした。
鉄道の遺跡を発掘せよ!次回もお楽しみに!!
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