鉄道の遺跡を発掘せよ! かつての列車の乗車位置が最多!?アンコールワット級の遺跡!徳山駅

初版 2018/09/19 21:03

改訂 2022/09/07 09:19

アンコールワット級の遺跡を探れ!!

 さあ、やって参りました徳山駅。 ここは周南市(旧徳山市)を代表する駅として新幹線も停車します。

また、駅の南側には徳山港が広がり、新幹線プラットホームからはコンビナートが広がりをいわゆる工場萌え必見の方は必須な駅です。新幹線の駅前にコンビナートがある珍しい駅になっています。

さて、駅の詳細はおき、オーナーはこの駅を鉄道の大遺跡、さしずめ鉄道遺跡界のアンコールワットと呼んでいます。

その理由はかつての列車の乗車位置案内がおそらく日本一多く残っているのです。というのも、この駅は中心駅だけあって、かつて新幹線開業前には数々の特急・急行列車が停車していました。 さあ、発掘調査に必要なカメラだけ持って行きましょう! では入場券を購入してホームに入って行きましょう。

それでは、1番ホームより。

鉄道の遺跡を発掘せよ!!を読んでいただいてます方(いつも読んでいただき本当にありがとうございますm(_ _)m)はもうお分りでらっしゃると思いますが、ホームの隅っこに行きます。 この駅のホームは現在リニューアル工事中でホーム真ん中辺り嵩上げ工事されています。これにより、数々の遺跡が埋められてしまったようです(泣)オーナーはバブルの時に遺跡の上に関係なくマンションを建てていたという話を聞いたことがあり、何やらそれを彷彿させました。

端に歩いて行くことありました!

なんと豪華3点セット! これは つばめ はと なんと月光 までありますねぇ。 

出島書き

特急 つばめ 現在、九州で活躍する 新幹線 つばめ は初代から数えて6代目にあたる。 かつては2代目は東京〜大阪間を(初代は東京〜神戸)を結んだことがあったが、東海道新幹線東京〜新大阪開業後3代目として大阪〜博多へ(最終的には西鹿児島)活躍の場を移し新幹線博多駅開業後に廃止となった。のちに4代目博多〜西鹿児島(現・鹿児島中央)の特急として復活する。 

特急 はと つばめの兄弟列車として、東京〜大阪間でつばめの補完的役割列車として活躍した。 東海道新幹線東京〜新大阪開業後も、つばめ が新大阪〜博多になった際に、はとも同区間の運行となり、やはり補完的役割を果たした。当時は同区間に特急 かもめ がおり、つばめ・はと・かもめ と並び 三羽鳥 と呼ばれた。 1975年 山陽新幹線 博多駅開業後に廃止された。

 特急 月光 1967年のダイヤ改正より登場した。新大阪〜博多を結んだ。 世界初の電車寝台である、581系が、「月光型」と呼ばれるのは、初めて581系が投入されたのが、本特急列車だからである。 「月光」という列車名称は自体は、1953年11月~1965年10月まで東海道本線東京~大阪間の夜行急行列車として存在した。 581系寝台特急月光は昼間は夜の月光での運用の間合いとして、特急 みどり 新大阪〜大分 で運転され、581系の特急運用としての使い勝手の良さを証明した。 その後、月光は山陽新幹線岡山駅開業によって運行区間を岡山〜博多・西鹿児島へと運行区間を変え、1975年の山陽新幹線博多駅開業後に廃止となった。

 つばめ はと はM島口編にもありましたが、おそらく月光の乗車位置案内が残っているのは当駅くらいではないでしょうか。

では、ここで、581系月光についてのよもやま話を・・・

 * 九州鉄道記念館に展示されている581系1両はヘッドマークが月光になっている。しかも展示されている581系は素の581系ではなく、581系ではなく583系より改造された近郊電車715系食パン。つまり583系から改造された715系をまた登場時の581系に改造して戻すということをしている。そのため寝台特急なのにつり革がある、デッキの広告枠の中に最近のJRの広告がある、ロングシートがあるなど珍事が発生している。

* 鉄道模型メーカーであるマイクロエースは何を思ったか、九州鉄道記念館で修復された715系が一両だけではなく、もし715系の4両編成がすべて583系塗装に変わったらという珍品を、JAMで発売したことがあった。

* 京都鉄道博物館にて展示されている583系は開館当初よりヘッドマークは間合い運用時の雷鳥であったが、最近になってヘッドマークが月光に差し替えられた。

* テレビアニメ 超特急ヒカリアン では581系月光が、285系サンライズと南海ラピートの師匠として登場する。

(ヒカリアン 第97話 幻の寝台特急 より)

 何かと話題に上がる月光ですが、これも世界初の電車寝台が残した形跡でしょうか?

次行きましょう? おっこれは みどりですねえ。

もちろん現在の九州時代のものではなく(そもそもここは九州ではない(汗))

出島書き

 特急 みどり 1961年に 特急 かもめの補完的役割として登場。登場時はキハ82系だった。 東海道新幹線の東京〜新大阪開業後は新大阪〜熊本、大分 と運行区間を変えた。 1975年の山陽新幹線 博多開業と共に山陽本線を走るその他の優等列車と共に廃止された。 しかし翌年1976年に長崎本線・佐世保線が電化され特急 かもめ と共に みどり は特急として復活。 現在、特急 みどり は 博多~佐世保 を結んでいる。 

そして みどり の横には・・・M島口にもあったしおじもありました。

 特急 しおじ 山陽路を代表した昼行特急。しおじは、1964年10月の東海道新幹線開業により、新大阪から山陽方面を結ぶ連絡特急として誕生した。運転区間は新大阪~広島・下関で、東海道本線を追われた電車特急たちが山陽線で再編成された。そのため車両は当初、こだま型151系が使用され、豪華と言われた元パーラーカーが入っていたこともあった。1975年の新幹線博多駅開業により廃止となった。27年後の2002年にはリバイバルしおじが運転された。

 しおじの横を探っているとお次は、なは が! なは は結構 最近までいましたね。なっはっは。 

寝台特急 なは は、1968年に登場した寝台特急で新大阪 - 西鹿児島間(その後一時期は京都発着)、九州新幹線の部分開業(新八代- 鹿児島中央間)後は京都駅 - 熊本駅間を、東海道本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行されていた寝台特急である。2008年に廃止された。 名称の由来は琉球日報が沖縄の本土復帰を願い「本土に沖縄名の列車を走らせよう」というキャンペーンで公募したものである。県内外からの5,211通の応募をもとに国鉄に提出された「なは」・「おきなわ」・「しゅり」・「でいご」・「ひめゆり」の5つの候補の中から選出された。そのため、当時アメリカ占領下に置かれていた沖縄県那覇市が名前の由来となった。 

この時点の発掘調査で、このボリューム。 T山駅駅編まだまだ続きますよ〜。

〜その2へつづく〜

#コレクションログ

ご覧いただきありがとうございます。
ローカル地方に住む鉄道ファンです。
鉄道モノならば、部品からグッズ、鉄道模型、プラレール、鉄道チョロQ等を集めております。
また、私のミュージアムでは、かつての東京の交通博物館や大阪にあった交通科学博物館のような鉄道を主力としながらも、車や飛行機、船といった乗り物系の資料の展示公開をコンセプトとしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

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    charlie0215

    2018/09/20

    隊長、凄い成果ですね。
    今回の発掘は「ノーヘル賞」クラス⁉️

    解読は分かり易かったですね。
    「月光」の初代は良く子供の頃、鉄道の本の表紙になってました。
    寝台特急は大阪にありませんでしたか?

    今回もお疲れ様でした。

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      Railwayfan

      2018/09/20

      コメントありがとうございます。
      今回の解読は時の形が割と残っているため難易度が低いです。残念ながら前に見たより字が消えてきています(T . T)
      月光は本数が多かったからですね。
      新大阪駅には くろよん ちくま の吊り下げ式案内板が最近まであったと聞きましたが、まだ大阪駅では未確認です。
      T山駅編まだまだ続きますよう〜

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      charlie0215

      2018/09/20

      まだまだ(驚嘆)
      楽しみですね。

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