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- 「疲れに1本!エスカップ」広告付「ホームボーリング」(バンダイ1971年)
「疲れに1本!エスカップ」広告付「ホームボーリング」(バンダイ1971年)
昭和46年(1971)にバンダイから発売された「ホームボーリング」には何とも奇妙な別バージョンが存在する。
スウィーパーの正面に「疲れに1本!エスカップ」の文字。
その1点以外は通常商品と何ら変わらない。
さらにほぼ名刺大の三つ折りカードが赤い紙袋に収納されていて、 中を開くとスコアのつけ方や投球法の図解が示されている。
そしてカード表紙の右上にはS.CUP(エスカップ?)の文字、 右下には商品写真とともに「疲れに1本!エスカップ」のロゴが躍る。
これはいったい、どのような性質の機種なのであろうか?
可能性が高いのは次の2パターンのうちいずれか。
■エスカップの懸賞当選品
■単なるエスカップの広告出稿
いずれも確証がないのでどちらと断定することはできないが、 懸賞にしろ広告出稿にしろ、本機が世に出た昭和46年(1971)当時のボウリングブームがいかに凄まじいものだったかが察せられよう。
この年は曜日ごとに異なる民放各局がゴールデンタイムにボウリング中継を放映、軒並み高視聴率を叩きだしていた。
となると、エスカップの当時の発売元・エスエス製薬としては、テレビの人気ボウリング番組のスポンサーはさすがに荷が重いので、せめて当時のボウリングゲームの最高峰たる本機に広告を出稿した-仮にこれが本当だったとしても、決して一笑に付すことはできない。
今を去ること50年以上も前、日本列島を猛烈な熱量と速度で駆け抜けたボウリングブームという名の台風。
あのアホみたいなお祭り騒ぎをギリギリ実体験できた世代(当時小5)でよかった。
しかしそんなボウリングブームも、ほんの半年かそこらであっという間に国民から飽きられ、テレビ放映は相次いで打ち切り、全国に数多くあったボウリング場も次々に閉鎖。
ボウリングゲームに至っては昭和46年の1年間だけであらゆる玩具メーカーから競うよう20以上の機種が発売されたのに、翌昭和47年には(筆者の知る限りでは)たったの1機種。
とかく人間、特にわれら日本人は、かくも熱しやすく冷めやすい生き物なのかと、子供ごころにも愕然とさせられたのを鮮明に覚えている。
https://www.youtube.com/watch?v=eW_kHwfOG58